フジ ファブリック 志村 正彦。 フジファブリック「志村正彦」の死因とは?今な残るブログ日記と名曲

【志村ロスに送るフジファブ史②】パニック障害でリア充じゃない「若者のすべて」│またしても、みじめな事態

フジ ファブリック 志村 正彦

(収録曲) 1. 「地平線を越えて」 6. 「マリアとアマゾネス」 7. 「雨のマーチ」 9. 「虹」(シングル) 11. じゃないと、疲れるかもしれません」と。 03年のドラマといえば『GOOD LUCK!! 』とか? キムタクが敵なし状態だった頃ですね。 あと唐沢版の『白い巨塔』も03年。 って、そんなことはどうでもよいのです。 志村が見ていたかどうかもわからんですし。 『FAB FOX』に話を戻すと「気合い入れて聴くと疲れる」かどうかはともあれ、志村時代のアルバムでは 「もっとも濃い」「もっとも深い」「もっとも取っつきにくい」印象です。 ただし、あくまで初聴での感想。 私はこの後の『TEENAGER』(08)や『CHRONICLE』(09)からフジファブリックに入った組なので、比較すると作風がかなり違うわけでね。 しかし、聴き込むうちにどんどん味の出てくるタイプのアルバムであるのは確か。 スポンサーリンク 『FAB FOX』は山内総一郎のギターも目立つアルバム ところで、ギター(兼現ボーカル)の山内総一郎は後発メンバーだったこともあり、1枚目の『フジファブリック』ではまだ自分の色を出すには至らなかったわけです。 いや、実際は「自分の色を出したくて試行錯誤したけど、うまくいかなかった」というところか。 山内自身、1stでは 「スネたり、半分クサったようなところを、片寄さん(片寄明人プロデューサー)とか志村君にぶつけていたから(どうにも恥ずかしい)」などとコメントしていたことがあります。 が、セカンドの『FAB FOX』では山内の個性が前面に出てきます。 あのアルバムはギター・リフから作った曲がすごく多い。 「モノノケハカランダ」. 「Sunny Morning」「銀河」、「唇のソレ」もそうだし、半分以上そうなんじゃないですかね。 すごくギター色が強いアルバムです。 今度はキーボードの金澤ダイスケがスネそうになったと。 本人が冗談交じりで語っていましたね。 ダイちゃんの野望としては「志村の次、二番目に目立ちたい!」 ファーストでは鍵盤優位の仕上がりだったのに、セカンドではギターの方が鍵盤より前に出るようになってしまった。 これでは自分が目立たなくなってしまうではないか、「オレ、どうしようか」って。 しかし、そこはバンドにおける女房的存在のダイちゃんです。 「週刊金澤2007-2014」 スポンサーリンク 「ファンは総くん目当てなんじゃないの(笑)」(志村正彦) ところで、山内総一郎はルックスもそこそこ良いし、ギターも当然上手いしで、当初から固定ファンも多かったのですね。 志村自身、「山内にそこはかとない嫉妬心があったのでは?」みたいな発言も多々。 志村がグチグチ考え込むキャラなら、山内は関西人的なカラリとした雰囲気がある。 自分とは正反対のタイプだと志村が語っていたこともありますし。 ある時、雑誌『音楽と人』のインタビュアーに「でも、志村君の女性ファンは多いじゃない?」と問われました。 志村はなんと返したか? 「それはどうなんですかね(笑)。 みんな、ソウくんを観に来てんじゃないの、って」 逆に、志村、山内、金澤は溜め込んでおかずに「わー!わー!」言ってしまうタイプらしいです。 そんな時、加藤慎一はいったいどうしているのか? 山内のコメントが参考になります。 (みんながいら立ったりしている時に)加藤さんは冷静にタバコ吸ってたり、冷静っていうかボケっとしてるっていうか(笑)。 でも、あの人(加藤慎一)すごいと思うな。 そこに、(加藤さんが)冷静にいるだけで違うんですよね。 最初は5人で始まったバンドですからね。 「音楽性の違い」ということですが、志村は悔しい気持ちをブログ日記(のちに『東京、音楽、ロックンロール』に掲載)に綴っています。 「メンバーの脱退は離婚するようなもの」だとかね。 一方で、最も衝撃を受けたのは加藤慎一だったのかもしれません。 フジファブリックのアーティストブック『FAB BOOK』ではしつこいくらい足立の脱退にも触れていましたし。 いわく「事件が起きた感じ」だったと。 事件って…。 脱退後も交流はあったようなので、ケンカ別れしたのとはちょっと違うと思いますが。 楽器のポジション的にもベースが一番影響を受けるらしいのですね。 フジファブリックのドラマーはその後、サポートという形でツアーやレコーディングの度に変わっていくのですが、これに関しては加藤はこんな本音を漏らしています。 ベーシストとしては、ずっと落ち着かないですよね。 やっぱりドラムは演奏するうえでのすごく重要なパートナーですから。 その相手がいろいろ代わるからずっと修行みたいな感じなんです。 ~加藤慎一「FAB BOOK」 志村正彦は「ドラマーをそろそろ決めようかな」とブログに書いていましたが、その直後に急逝。 残った3人が新たな正式メンバーを加入させることはなさそうです。 彼らにとっては依然「フジファブリックは志村のバンド」という気持ちが大きいはず。 「志村が作ったバンドだから、自分たちに解散権はない」ということをどこかの番組で語っていましたしね。 「記念写真」山内総一郎作曲 3. 「若者のすべて」(シングル) 5. 作曲 6. 「Strawberry Shortcakes」 7. 「ロマネ」 9. F=ファンの人気投票で選ぶベストアルバム『FAB LIST1』収録曲) 発売当時はアンチも多いアルバムだった タイトル、ジャケットからも想像がつくように青春っぽい感じ。 『FAB FOX』までのネトッとした文学青年ぽさは消え、Theポップスという感じに。 非常に聴きやすいですし、音楽通でもなんでもない私にとっては大好きなアルバムです。 Amazon見ても今は良い評価ばかり。 アルバムを作る時に「今までになかったものを考える」っていうのは常に共通意見になっていますね。 (中略)意識していたのは「歌に寄ろう」ってことですかね。 『FAB FOX』はかなりギター色の強いアルバムだったんで、『TEENAGER』では、曲、歌に沿うようにしようってことは考えていました。 ~山内総一郎『フジファブリック 山内総一郎』(2016年) ネット情報ですが、発売当初は「こんなの、フジファブリックじゃない!」みたいなアンチの声も多かったらしい。 歌ものが多くなったってこともそうでしょうが、「後ろ向き」「ネガティブ人間」の集大成みたいだった志村が「リア充」よりの歌を歌ったってことも大きいのか。 彼女いないオタクファンのヤキモチでは? 『星降る夜になったら』を悩みながら作曲した金澤ダイスケ 同アルバムには共作も多いのです。 ギターの山内総一郎も三曲作っていますし、キーボードの金澤ダイスケも。 ですが、積極的に曲を作っていた山内に対し、金澤の方はあまり乗る気ではなかったようなのですね。 「自分がこのバンドで曲を書くべきなのか、どうか」みたいなことで悩んでもいたらしく。 『星降る夜になったら』は志村との共作なんだけど、「これでいいのかな」って思いつつ、志村が「こうじゃない、ああじゃない」って一緒にやってくれたことでどうにかできたんですね。 もともとの曲はサビがドラマチックでAメロ、Bメロもドラマチックと言うかきれいなメロディだったんですよ。 つまり、曲全部がいい要素の集まりだったから、それでサビがたってないな、惜しいなと。 ダイちゃんにその辺変えたりするのは嫌かな?って言ったら変えて、変えてって。 金澤・志村作曲による『星降る夜になったら』は、このアルバムで最も成功した曲の一つかもしれません。 当時よりも絶対に今の方が聴かれています。 そんなプレッシャーの中で名曲『若者のすべて』を作るわけだがな。 16ビートバージョンまであった『若者のすべて』 『TEENAGER』が歌に沿うものになったのはアルバムの中心に『若者のすべて』があったことが大きい、と山内総一郎も語っています。 すごく良い曲だったんで、いろいろなアレンジを試したんですよ。 16ビートのバージョンとかもあったくらい。 ~~山内総一郎『フジファブリック 山内総一郎』 歌詞もメンバー間であれこれ相談したようです。 志村自身、ブログ日記では会う人、会う人に「あの曲、いいですね」って言われて、まんざらでもない様子が描かれていますが。 ただ、言いたいのは、この曲、俺が一番好き。 まぁ、『いや!私の方がもっと好きです!』みたいな人がいたらめちゃめちゃ嬉しいんですけどね。 この曲を作れて俺は救われたわ。 (中略)あと、俺、この曲絶対に店に買いに行く。 (~~志村正彦『東京、音楽、ロックンロール』07年11月6日) ミュージックステーション初登場で志村本は売り切れ続出 で、その「若者のすべて」ですが。 ちょっと現在の話に戻りますと、2019年8月、フジファブリックがミュージックステーションに初登場した時に歌った曲です。 志村はもういませんから、山内ボーカルが過去映像の志村と協演したというのか、まぁ、そんな感じ。 いよいよ今夜20:00~テレビ朝日系列「ミュージックステーション」出演です! フジファブリックは「若者のすべて」を披露します。 志村もフジファブリックも、そこで初めて知ったくせに。 そう、そう! 恥ずかしながら自分はそのクチなのですが「ミュージックステーションでフジファブを知った!」という人は少なからずいるはず。 この放映の後、志村正彦『東京、音楽、ロックンロール』はAmazonの週間ベストセラーで突如ランクインしました。 出版から10年以上経っているに関わらずね。 品切れになったり。 ベストアルバム『FAB LIST1』の限定版もあっという間に品切れになったりね。 DVD『フジファブリック Live at 両国国技館』レビュー ミュージックステーションで使用された志村映像 ミュージックステーションの演奏で挿入された志村の映像は『フジファブリック Live at 両国国技館』からのものでした。 これまた19年12月現在Amazonでは売切れで、楽天で購入。 Surfer King 2. モノノケハカランダ 3. Sunny Morning 4. パッション・フルーツ 6. 星降る夜になったら 7. 唇のソレ 8. 夜汽車 9. 蒼い鳥 10. 地平線を越えて 11. 環状七号線 12. 若者のすべて 13. TEENAGER 14. 銀河 15. TAIFU 16. 虹 17. 開店休業 18. 陽炎 本ライブはアルバム『TEENAGER』発売の直前(2007年12月15日)に行われたものです。 フジファブリック初のアリーナ公演で、撮影はフジファブリックのPVでもお馴染みのスミス監督。 アングルはライブDVDにして凝り、凝り。 これ、カメラマンは大変だったろうなと思います。 楽器の真横から撮ってたり。 志村の真後ろから撮ってたり。 エンドロールはPVみたい。 仕上がりを志村自身、かなり気に入っていた模様。 曲前のMCもいいですよ。 エンドロールの『Day Dripper』は『ないものねだり』とサビが同じ エンドロールで使われている『Day Dripper』(『Surfer King』のB面)は4枚目のアルバム『CHRONICLE』の『ないものねだり』とサビが同じです。 ヘンナ、なんて言うな。 大舞台で着たってことは気に入ってたんだろ。 そうですね。 これ、どこかで見たことあるなぁと思っていたらのアイコン(?)になってるやつ。 それを見て「痩せてるなー」と思ったものですが、ちょうど両国のライブの頃、2007年の頃の写真だったのか。 本人も「当時、50キロ切りそうでヤバかった」と書いていた。 ライブでの志村は元気だし、キラキラもしてるんだけど、顔がややシワっぽく角度によっては実年齢の27より老けてみえます。 亡くなったのはその2年後の09年12月ですが、前後に発売されたアルバム『CHRONICLE』や『東京、音楽、ロックンロール』『FAB BOOK』などの写真を見る限り)は逆に少しふっくらして可愛い感じになっているんですがね。 でも、フジファブのメンバーってみんな雰囲気変わんね? そう。 ベースの加藤慎一以外、顔も雰囲気も変わっています。 逆に言えば、加藤さんは顔も体形もファッションセンスもほとんど変わっておらず、そのブレのなさが際立つ感じではありますが。 キーボードの金澤ダイスケは黒縁メガネかけたロン毛で最初は神経質そうなイメージでしたが(実際はフジファブ随一、コミュニケーション力が高い)、今はもっとナチュラルな雰囲気。 ギター&現ボーカルの山内総一郎は服装や髪形はもちろん、顔すら違います。 20代の頃は切れ長の美少年風だったのが、今はクルミみたいな瞳のかわいらしい顔立ちになっている。 かといって、整形したとは考えづらいので経年によって奥二重が二重になったのかなと。 私の周囲にもそういう人、2人ほどいます。 『銀河』から『虹』までの流れ、史上最高最強のライブ またしても脱線。 ライブに話を戻します。 個人的な圧巻は後半の『銀河』から『虹』までの流れ。 『虹』でのメンバー紹介はメチャクチャいいです。 この時に、志村が水玉ネクタイをした金澤ダイスケをいじっています。 自分だってヘンナTシャツ着てるくせにね。 「大の男が、ロッカーが、この水玉は何んだ!」「靴の裏まで水玉だ!」とかね。 確か、ダイちゃんは「mercibeaucoup,」ってブランドが好きなんじゃなかったか。 私も何枚かここの服、持ってます。 だから、服の趣味は志村よりは気が合いそうです。 志村はそうやってダイちゃんをクサしつつ「だけども、同世代では類を見ないほどロックなキーボーディスト」みたいにまとめます。 直後、鍵盤を弾くダイちゃんの腕は鳥肌もの。 楽器のことなんか、まったくわからない私が聴いても、です。 なお、このライブDVDはドラムもベースもギターも、楽器すべてをちゃんと見せます。 いつも後ろの方にいる加藤さんの笑顔にも心が和みます。 もう一つ思ったのが、山内総一郎はちょっとオーラが違う感じだなと。

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フジファブリック・志村正彦の死因は?病名不詳?当時の状況は?

フジ ファブリック 志村 正彦

フジファブリックといえば名曲『 若者のすべて』で有名なバンドです。 バンドとして成功していたものの、2009年にボーカルの 志村正彦さんが急逝。 以後3人での活動を続けています。 さて、ここで気になるのは志村正彦さんの 死因です。 フジファブリックの志村正彦さんはなぜ亡くなったのでしょうか? 今回はフジファブリックの志村正彦さんについてです。 フジファブリック志村正彦はなぜ亡くなった?死因は? フジファブリック志村正彦さんが亡くなったのは2009年12月24日のことです。 前日から連絡が取れなくなったことを心配したマネージャーが自宅を訪れたところ、すでにパソコンの前で亡くなっていたとのこと。 翌日に訃報が出され、死因は「 不明」と発表されました。 医学が発達した現代で死因が不明ということはあり得るのでしょうか?本当の死因は何なのでしょうか? フジファブリック志村正彦の死因が不明って本当!? 実は解剖などによっても疾患の特定ができない、原因不明の突然死は結構あります。 そもそも 突然死の場合原因不明のが多いくらいです。 つまり、 志村正彦さんの死因は本当にわからなかった可能性が高いです。 しかし、ネット上で見つけた情報なので真偽は不明ですが、気になる点もあります。 フジファブリック志村正彦の本当の死因は? 当時フジファブリックの志村正彦さんは非常に 多忙でした。 人気が出たことで仕事が増えたのもありますが、もともとフジファブリックの大半の楽曲は彼が作詞、作曲を手がけています。 「睡眠時間が2時間くらい」と公言しているくらいです。 もちろん「いい曲を作ろう」とする プレッシャーやストレスなどもあったと思います。 また、インタビュー記事で「電車に乗ろうとすると気分が悪くなるため乗れない」といった発言もありました。 さらに食事もかなり偏っていたようです。 生活習慣の乱れが積み重なって突然死を発症してしまった可能性が高いです。 フジファブリック志村正彦の死因は自殺? 若い人の死因としてもっとも多いのは 自殺です。 そのためフジファブリック志村正彦さんの死因も自殺だと思っている人がいるようです。 しかし、個人的には 自殺ではないと思います。 自殺だとしたらふつう死因がわかります。 死因がわからない時点で自殺の可能性は低いです。 自殺の手段もかなり限られますしね。 また、自殺を考えるような状況にも思えません。 バンドとして成功しており、直前には飲み会にも参加していました。 やはり志村正彦さんの死因は、具体的には不明でも 心臓系の疾患の可能性が高いのではないかと思います。 「 過労死」にも近いかと。 まとめ フジファブリック志村正彦さんの 死因は不明と発表されています。 突然死の場合死因が不明ということはよくあるので本当にわからなかったのでしょう。 ただ、当時の志村正彦さんはかなり多忙だったようで、睡眠不足やストレスなどが突然死の遠因となった可能性は高いです。 主要メンバーの死を乗り越え、今でも活動を続けるフジファブリック。 今後のフジファブリックの活躍に期待です。

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フジファブリック「志村正彦」の死因とは?今な残るブログ日記と名曲

フジ ファブリック 志村 正彦

2007年7月10日、27歳を迎えた志村正彦はこれまでにないスランプの中にいた。 2004年にメジャーデビューしたフジファブリックだが、新曲のリリースが全くなかった2006年には「曲ができないミュージシャンほど、世の中に必要ないものはない」と、かなり自分を追い込んでいた。 また、自分の曲が書けないのに対して、同じバンドメンバーが曲をたくさん書いてくるようになったことで自尊心も傷つけられた。 2007年に入ってからは、再び順調にシングルがリリースされてアルバムのレコーディングも進み、フジファブリックの人気はますます上昇した。 ROCK IN JAPANやRISING SUNなど数々の夏フェスにも出演し、志村にとって念願だったフジロック・フェスティバルへの出演も果たしている。 しかし、夏フェスなどのライブイベントをこなしながら、アルバムのレコーディングも進めるという多忙さが、志村の身体を蝕んでいった。 難聴のような症状が出たり、左右の目の見え方が違って見えたり、移動の飛行機の中で気分が悪くなって倒れたりすることもあった。 また、この頃から電車に乗ることができなくなる病気を発症している。 病名は明かされてはいないが、過労とスランプによるストレスからくる心の病ではなかっただろうか。 そのようなスランプの中でも名曲は生まれた。 2007年11月にリリースされた「若者のすべて」は、近年でもCMに使用されるなど、今も幅広く支持を集めるナンバーだ。 この曲を作ることができたことで、志村自身も救われたと語っているほど、彼にとっても自信の1曲だ。 そして2008年1月、この「若者のすべて」が収録されたアルバム『TEENAGER』が前作より2年2ヶ月ぶりにリリースされた。 これに伴って、アルバム・リリース・ツアーも開催され、アルバムのキャンペーンやプロモーション、取材など、相変わらず忙しい日々は続いていた。 ツアー終了後には、志村の予てからの夢だった故郷、富士吉田市での凱旋ライブが待っていた。 5月31日に富士五湖文化センターで行われたライブは、メジャーデビュー以来初めての地元での公演であり、志村自身にもかなり強い思い入れがあった。 しかし富士吉田のライブを直前に控えた、中野サンプラザ公演終了後に喉のポリープが見つかってしまう。 高音が苦しい中で全力を尽くした凱旋ライブの模様は、痛々しくも迫るものがあり、すべてをさらけ出した志村のカッコ悪くててカッコいい、そんな美学さえ感じられる。 富士吉田市で夢を叶えた志村は、翌月の1ヶ月間を休養にあてることにした。 電車に乗られない病について、医者からは「いろんなこと考えないで、仕事も休まないと、なん年後かに死んじゃうよ」と言われたという。 気軽に恋愛とかできればいいんですけど、僕そんな簡単に人と付き合えないですし。 彼女と一緒にどっか行ってストレス発散みたいなことできればいいんですけど、僕は全くそういうのに適していない人間なので、捌け口がない。 休養は必要だったんでしょうね。 この頃、食事もほとんど喉を通らなかったという志村は、まるで命を削りながら、それと引き換えに自身の夢を叶え、不器用なまま、ただひたむきに音楽と向き合っていた。 バンドが華やかな成功を手に入れつつあったその裏側で、過酷な日々を過ごしていたのだった。 参考文献および引用元:「東京、音楽、ロックンロール — 完全版」志村正彦著 ロッキング・オン.

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