夏が過ぎ風あざみ。 夏が過ぎ、風あざみ、王貞治、少年時代。業平、向島。: 東雲通信

夏が過ぎ、風あざみ、王貞治、少年時代。業平、向島。: 東雲通信

夏が過ぎ風あざみ

井上陽水さんの『少年時代』の冒頭部分の歌詞です。 曲とともに聞いたことがない人はいないはずの歌詞なんですが、この中で、意味の分からない言葉が入っていませんか? …そう、以下の言葉です。 「 風あざみ」 この「風あざみ」って、言われてみればよくわからないですよね。 なんとなくわかるような気がするけど、いざ説明を求められると答えられない…そんな人が多いのではないでしょうか? まあ答えられないのは当然です。 実は「風あざみ」という言葉…、 存在しないみたいです(笑) 「どぉーーーーい!! 」って感じですね。 実はこれ、井上陽水さんが何となく雰囲気で勝手につくった言葉なのです。 「風あざみ」なんていう言葉自体、本来存在しないのです。 この事実を知った当時、私は衝撃を受けました。 まず第一に、意味のない言葉を勝手につくり、歌詞のこんな冒頭に持ってくる井上陽水さんの神経に驚いたというのがあります。 ただ一応、彼はもともと探し物をしている人に対して「探し物は何ですか?」と尋ねた後、すぐに「それより私と踊りませんか?」とわけのわからない誘いを仕掛け、最終的には「夢の中へ」といざなおうとする変人です。 「探すの手伝ってやれよ!」とも思いますが、それが常人を超越する井上陽水ですので、これはこれで受け入れるしかありません。 私がそれ以上に衝撃を受けたのは、意味の分からない言葉を含む『少年時代』という歌が、一般大衆に「いい曲」として受け入れられていることです。 一部言葉の意味が分からなくても、その音楽が醸し出す全体の雰囲気を感じ取り「いい曲だな~」と思ってしまう…これは言い換えれば、本来意味のないものにすら価値を感じてしまうということになります。 人間はどのような時に価値を感じるのか? これを考えることはビジネスに限らず、あらゆることにおいて重要であると思いますが、人に価値を感じてもらうために、どうやら「言葉で説明する」ということは必須ではないようです。 「風あざみ」からわかる論理的説明を凌駕するもの 私は過去のこちらの記事「」において、ソシュールの言語論的転回を取り上げました。 ここでの理論を簡単におさらいすると、 「私たちは言葉を用いることによって初めて、世界を理解することができる」 というものになります。 何かを理解しようとする時、人間はそのモノを言語化することではじめて理解したことになります。 言葉に表すことによってのみ、そのモノをプラス・マイナスのニュアンスを含んだ、理解できるものとして脳の中におさめることができるのです。 しかし、音楽の世界においては一概にそうとも言えないようです。 先ほどの「風あざみ」の例のように、意味不明な言葉が入っていたとしても全体として「いい曲」として受け入れてしまうことがあります。 理解不能な言葉すらそうとは感じさせずに肯定的に受け入れてしまう、そのような力が音楽には備わっているのでは…と考えられます。 人が価値を感じるのに、論理的な言葉による説明は究極的には不要なのかもしれません。 そしてそれを考えるにあたり、「音楽」というのは一つのヒントになると言えるでしょう。 ではここで少し、音楽と脳科学について触れておきましょう。 音楽と脳科学 「音楽は人に快感や勇気を与える」ということには、脳内の快感作用の仕組みが関係しているようです。 これは一部脳科学的にも明らかになっています。 音楽にはリズムというものがあり、そのリズムは「音域の高低」「音の強弱」等を組み合わせることで作られます。 この「音域の高低」(キーが高くなったり低くなったりすること)と、「音の強弱」(音が大きくなったり小さくなったりすること)とが、一種の振動波を生み出すのです。 人はこの振動派を、聴覚や体の振動で感じ取り、それが感覚神経によって脳に集められ、脳の神経に興奮や安らぎ等の快感をもたらすとされています。 この時、脳内で働いている主な神経伝達物質には、 ・ ドーパミン(やる気とともに快楽・喜びの感覚を引き起こす) ・ ノルアドレナリン(緊張や恐怖とともに覚醒を引き起こす) ・ セロトニン(バランスを整え、精神の安定をもたらす) があります。 一般的に「テンポが早く、音量の大きい曲」は、神経の覚醒・興奮を伴った快感を引き起こしますが、この時脳内では快感物質ドーパミンやノルアドレナリンが分泌されていると推測されています。 逆に「テンポがゆっくりで、音量の小さい曲」は神経の興奮を鎮め、気分をリラックスさせてくれます。 この時、脳はノルアドレナリンやアドレナリンの分泌を抑え、セロトニンを分泌して休息状態を作っていると考えられます。 また、音楽を聴く際は上記三つ以外にも、アセチルコリン等の脳内の神経伝達物質は少なからず作用しているでしょう) そして、年代の特性に関していえば、一般的に若い世代の人は、覚醒興奮作用を持つ快感物質ドーパミンやノルアドレナリンの分泌量が多い傾向にあるため、その分泌速度に合った興奮・覚醒を引き起こす「テンポの速い、音量の大きな曲」を好むことが多いです。 逆に年配層の人は、脳や体が疲労しやすい状態であるため、疲労を和らげるような「テンポのゆっくりした、音量の小さい曲」を好むようになると考えられています。 たしかに、アップテンポの曲を好む年配層は少ないですよね。 当然個々人で差はあるので年代だけを取り上げて一概に言えることではありませんが、この傾向は脳科学的に説明ができるものなのです。 このように、音の振動波が脳の神経に快感をもたらします。 さらに、その音に乗せられた歌詞が人に具体的な共感をもたらすことで、音楽は人の心を揺さぶる強力なものになるのでしょう。 どうやら、音楽には意味不明な言葉をも覆いつくして人に共感を与える力が備わっているようです。 「風あざみ」のように、一部知らないはずの言葉が出現しても、その音楽全体が作り上げた世界観という強い魔力によって、人の脳はそれを肯定的に受け入れてしまう…。 そんな音楽に支配された、 私の心は夏模様 早稲田大学商学部卒。 大学卒業後、進学塾の講師として大学受験指導に携わり、東大・早稲田大・慶應義塾大等の難関大学合格者を多数輩出。 しかし長年続けていくうちに、次第に現代の教育産業のあり方に疑問を持ち始め、このまま塾講師だけを続けていくことの意義が薄れ始める。 その後、進学塾の現場を離れ、さまざま模索している中で、教育産業の負の側面の突破口としてインターネットビジネスに大きな可能性を感じる。 そして2013年からは「ピオリム」というハンドルネームで個人でビジネスを展開し、メディア構築・コミュニティ運営・個別コンサルティング・リアルセミナーなど様々な活動を実施。 そのまま事業を軌道に乗せ、2015年に法人化。 現在は「塾講師としての活動」と「インターネットビジネスでの活動」を通じ、そこで培った経験・スキルを統合させて教育分野に変革を起こすという思いから、心理学・脳科学・言語学等の様々な視点を取り入れた体系的・実践的講義を展開。 主にオンラインのコンサルティングやオフラインのセミナー及び通信制高校のサポート校の運営などを通して、インターネットで独自の価値を創造して社会の中でお金を生み出す力を発揮できる人間の育成に携わる。

次の

風あざみ(少年時代): びんぼう削り

夏が過ぎ風あざみ

名曲少年時代の有名な歌詞です。 風あざみって陽水さんのオリジナルの言葉らしいですよね。 あざみの花が秋風に揺れる様子を描写したようです。 …あざみって春の花らしいですけどね。 風といえば藤原敏行の有名な句に 秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる ってやつがあります。 これは晩夏の句ですが、最近の釜房の風や風景はめっきり秋めいてきました。 ちょっと前まで聞こえた、降るような蝉の声もいつの間にか秋の虫にバトンタッチしつつあります。 勉強する時に音楽を聴きながらって人も多いと思いますが、僕なんかは受験期には自然環境音をBGMにしてましたね。 波の音とか川のせせらぎとか。 クーラーガンガンの部屋のなか、外いきゃ蝉が鳴いてるのにわざわざ蝉のBGMかけたり、猛暑が続くと雨が恋しくなって雷のBGMかけたり。 懐かしいです。 もう一年も経っちゃったんですな。 たまには聞き直したいもんです。 まぁ、さすがにエルゴCDに自然環境音はやめときますけど。 食欲の秋、運動の秋、読書の秋…。 とりわけ僕は食欲の秋に興味があります。 例えば秋ナス。 昔から秋ナスは嫁に食わすなって言いますしどの時代でもうまいもんはうまい。 ところでこの言葉のゆえんには諸説あって、秋ナスがうますぎるから嫁には食わせないって言うケチケチ亭主関白の話とか、ナスは冷えやすいから大切な嫁には食べさせないって言うツンデレやさ夫の話とか色々あります。 まぁ僕には当分関係のない話ですね、はい。 僕にぴったりです。 秋の食材といえば秋刀魚も魅力的です。 スーパーで見る秋刀魚の値段も徐々に安くなってきました。 実家が川魚屋とあって秋刀魚とか秋の海魚が安くなりだすと鰻が売れなくなるって親父が嘆いてました。 正直価格帯とか違うからあんまし関係ないんじゃないかとも思いますがアレですね、旬って奴。 鰻は夏バテ予防のスタミナ料理ですもんね。 やっぱ夏が旬なんだな。 って思ってるあなた、鰻の旬は秋ですからね!!!!!秋になっても鰻買ってくださいよ!! さて、秋刀魚に話を戻します。 僕、実家の鰻焼き用のでっかい網で秋刀魚を焼いて食べるのが大好きなんです。 家庭用コンロで焼くのとはまた一味違って魚の脂がいい具合に浮き出てジューシー。 それを大根おろしとポン酢でいただくと絶品なんです。 あの感動をもう一度、と密かに最近計画していることがあるんです。 今住んでるアパートが川の近くなので休日とか連休はBBQやら花火やらで賑わいます。 彼らのせいで毎週末洗濯物が煙臭い…。 そんなウェーーイ学生たちを横目に七輪で秋刀魚焼こうぜってもんです。 宮城は秋刀魚が有名ですからね、これを食べない手はない。 汗水垂らしながらうちわでパタパタやってりゃ彼らも僕に一目置くことでしょう。 肉と交換条件に出されても絶対にしません。 死ぬほどうまそうに喰ってやりますよ!もう一つのあざみの花言葉、報復ですよ!!報復!! 薬味もこだわってあえて既成のポン酢は使わずに、生醤油にスダチあるいはカボスとかで食べてみたいです。 美味しんぼの受け売りなのは勘弁。 うまくいったらキノコのホイル焼きとか焼き芋とかもやりたいもんです。 秋がドンドン楽しみになってきた一年目漕手の荻野でした! 次は多賀さんからダル絡みの本質を学んだらしい大輝に回します。 よろしく!• 2 recent comment.

次の

風あざみの意味とは?少年時代の歌詞からわかる井上陽水の変人ぶり

夏が過ぎ風あざみ

研究開発室 渡来 皆さんお元気ですか。 9月になりましたが、まだまだ暑い日が続いていますね。 高麗人参を飲んで、残暑を乗り切っていきましょう。 また、食欲の秋に備えて体調を万全にしておくために、夏が過ぎても高麗人参を飲み続けてくださいね。 この他にも、まだまだたくさんあると思います。 地域限定のものでは、 「しまった、しまった」といえば、「島倉千代子」に始まり 「こまった、こまった」といえば、「コマドリ姉妹」 「まいった、まいった」といえば、「マイケルジャクソン」 「なんのこっちゃ」といえば、「抹茶に紅茶」 など、 これら吉本新喜劇でお馴染みのフレーズは、 大阪の人なら高確率で、つい声に出してしまうことでしょう。 また同じ言葉でも、地域によって思い浮かぶ言葉に違いがあったりしますね。 例えば、コーヒー。 京都で「コーヒー」といえば、「イノダコーヒー」かもしれませんが、名古屋で「コーヒー」といえば、「コメダ珈琲」となるかもしれません。 このように、少し調べただけでも地域や世代、過ごしてきた環境などによって、違いがあることがわかります。 大変、興味深いですね。 私の場合、「夏が過ぎ…」という言葉を耳にすると、「風あざみ」という言葉が浮かびます。 これが、頭から離れなくなります。 頭の中で、ピアノの伴奏とあの歌声が流れると、自分の少年時代のことを思い出し、しばしば郷愁にふけります。 ところで、『少年時代』の歌詞にある「風あざみ」「夢花火」「宵かがり」といった言葉。 曲の雰囲気とマッチして、とても聞き心地が良いですね。 しかし、普段は使わない言葉ですよね。 実はこれらの言葉、井上氏が作り出した言葉なのだそうです。 この事を知った当初は、何か騙されたような気がしました。 この名曲から教えられた、少年時代のような無邪気な心と豊かな感性を大切にし、日々の業務に励んでいきたいと思う、今日この頃です。 それでは、ごきげんよう。

次の