マラウィ の 戦い。 フィリピン南部マラウィ、軍と過激派が激戦 死者300人以上に 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

マラウィ(6)初・淡水! マラウィ湖でダイビング@リコマアイランド

マラウィ の 戦い

【現在地】リコマ島 マラウィ Likoma Island Malawi 【気温】28度 昼 【天気】晴れ 【通貨】10クヮチャ=約1. 5円 遠くて遠いダイブショップまでの道のり 朝はまだ元気があるとはいえ、ダイブショップのある「マンゴードリフト」というロッジまでは最短でも1時間かかる道のり。 しかも、道であって道でないようなリコマウェイ。 突き進むこと30分。 昨日発見したの近くの村でさっそくお子様たちにつかまります。 毎日書いているような気がしますが、ここリコマアイランドのお子様たちは、本当に本当に元気がよろしい。 そして旅行者に興味津々。 「ハローハワユー。 プリーズユアネーム? 」 「ハロハロー。 マユミ。 マイネームイズ、マユミ」 「マユミ! マイネームイズ お子様の名前!! ビーマイフレンド」 10人近い子供たちが駆け寄ってきて、一人一人とこのような会話を交わします。 昨日の経験から、時間には余裕を持って出発しましたが、私は9:00にダイブショップに集合しなければなりません。 お手柔らかにお願いしますと心の中でとなえながら、昨日同様、手をつなぎ思わぬ方向に連れていかれ、何をおっしゃっているか不明の現地の言葉でたくさん話しかけられ、??? と思いつつも、 「ん? あーイエスイエス、いやノー」とかよくわからない返答をいたします。 こうしてしばらく遊んだあと 「私今日ダイブショップに行かないと!! 」という旨を説明。 たぶん通じていないのですが 「マンゴードリフト!! マンゴードリフト!! 」と言うと、なんとなく分かっていただけたようで、先へと進ませてくれました。 それなりに村から離れたあたりまで来ると、村からお子様たち、そして大人までもが叫びます。 「マユミー!! マユミー!! 」 私は振り返り大きく手を振って 「バイバーイ!! 」と叫びます。 そうして前を向くとすぐにまた背後から 「マユミー!! マユミー!! 」 私は振り返り大きく手を振って 「バイバーイ!! 」と叫びます。 そうして前を向くとすぐにまた背後から 「マユミー!! マユミー!! 」 私は振り返り大きく手を振って 「バイバーイ!! 」と叫びます。 そうして前を向くとすぐにまた背後から このやり取りはいつまでもいつまでも続き、 今生の別れかと思うくらいにそれはもう本当に いつまでもいつまでも いつまでも 約30回くらい。 「あれ、私今ダイブショップに向かってるだけだよね」という疑問すらわいてくるくらいに名残惜しまれながら村をあとにしました。 そうし再び歩き出し、昨日同様道なき道を歩くこと1時間20分。 やっとの思いで、マンゴードリフト、到着です。 急いだので昨日より20分ほどタイムが縮まりました。 さあはじめての淡水ダイビング ダイブショップに到着すると、インストラクターさんと、今日いっしょに潜るスイス人のおじさんとご挨拶。 「私はビギナーダイバーなうえに、淡水は初めてでございます。 なにとぞよろしくお願いいたします」 若干緊張気味の私に 「大丈夫、大丈夫。 波はほとんどないし、ウェイトを調節すればそんなに違いはないからリラックスして潜ったらいい」と優しいアドバイスをくださいまして、さっそくウェットスーツお借りして着替え。 機材を持ってボートに乗り込みます。 ボートは木でできています。 リコマ島付近のダイブスポットはこのマップのとおり。 本日私は2ダイブするのですが、1つ目のスポットは、地図にはないもっと南の小さな島。 ボートで約20分くらいなのですが、かなりモザンビークに近い水域です。 この島の周囲をぐるっとまわります。 1本目は、スイス人のおじさんは潜らず、私1人とインストラクターさんの2人で潜りました。 「約40分くらいで1周できて、ちょうどエアーも100切るくらいだと思うから、そしたら終了だ」 そうおっしゃるインストラクターさんに心の中で 「私、ビギナーにしてはエアーがもつほうなんですよ。 なかなか終了できないかもしれませんね ニヤリ 」と答えます。 できるだけ長く潜って水中世界を見ていたいですからね、 酸素は大切に使うのです。 こうして準備が整い、湖へとドボン。 ここでは、機材を付けずに先に水に入って、そのあとBCDを投げ入れてもらって、水中で装着するやりかたでした。 ウェットは5mmの長袖、長ズボンタイプ。 気温32度、水温24~25度。 湖の水は冷たいのですが、気温が高いのでさほど寒さは感じません。 やっとフード無しでダイビングができるくらいに暖かい場所にやってまいりました。 そして、ゆっくり足から潜っていくと… こ、これは…!? 視界がものすごく… 悪い。 さ、さ、魚は? やだものすごく地味。 もっとこう赤やオレンジや緑や青や黄色のお魚が至る所にびっしりいてそれはもうカラフルで華やかでって… そう言ってたじゃないですかGoogle先生!!! 思ったよりぐっとモノトーン。 シックでシンプルな色使いのお魚たち。 水深25m付近で 「キャットフィッシュ」という、1mくらいのサイズで、口の周りにヒゲが生えたようなめずらしいお魚を2匹ほど目撃したのですが、透明度の低さ&動きの素早さで写真に収められませんで、申し訳ございません。 これ私悪くない。 5~7mくらいの浅瀬に行くと、それなりにお魚はいますし、それなりに鮮やかな色の個体も登場するのですが… ほら、ね、カラフルでしょう?? あとあれ、あのー 地形はおもしろいよね。 マラウィ湖の底には、大きな岩がたっぷりゴロゴロしておりますから、その隙間を通り抜けたり、岩陰をのぞいてお魚を探したりするのは楽しかったです。 魚のフンが舞いますけど。 それからあとはー… あ、そうそう!! カニもいました。 カニね、すごいよね。 こうしてぐるっと島を1周し、40分が経過。 でも私のエアー、まだ 130残っています。 マラウィ湖でのダイビングは緊張感が全くなく、ウェーブもカレントもほとんどないので、 ただただふわーっと潜って、ふわーっと周遊してきただけ。 びっくりするくらいエアーが減らないんですね。 で、でも今日はいいかな。 ほら、ちょっと寒くなってきたし、40分経ったし、ね。 エアーたくさん残った状態でのダイビング終了が、今日ほど残念に思わなかったことはありません。 こうして1本目が終了。 2本目は、 NDOMO POINTという、リコマ本島に近いポイントです。 こちらもまあお魚はいましたが、期待していたほどではありません。 ここ最近、 海では予期せぬ大物に会い、トロピカルなお魚天国に浸りまくっていましたが、ここはなんと言っても 「湖」。 海と比較してはいけないのです。 これって、けっきょく、つまり、なんていうか、 スノーケルでよ いや、これ以上言うのはやめましょう。 こうして2ダイブを終えマンゴードリフトに帰還。 ランチはマンゴードリフトのレストランでツナパスタを食べました 7ドル。 お昼をたべてちょっとのんびりしたら 「Ulisa Bay Lodge」に戻らなければなりません。 帰りもまた一筋縄ではいかない 来るときに通ってきた道はなかなか険しいけものみちでございましたが、マンゴードリフトのスタッフさんに 「海岸沿いを行くともっとショートカットできる道があるよ」と教えてもらい、今度はそちらを通ってみることにします。 湖を眺めながらのウォーキング。 これはとても気分がよいですねぇ。 なんて思っていられたのは最初の5分くらい。 海岸沿いは、石ころだらけ~。 岩です。 これを「ショートカットだよ」と言って昨日今日来たような何も知らない旅行者におすすめするのはいかがなものか。 しかし、 私がそこを 道だと思えば、それはもう私にとっては 道となるわけで…。 今さら引き返せませんので、 この道は道であって道でない、でも道なんだと自己暗示をかけ突き進みます。 やっと石ころが終わったと思ったら、ここは朝、それは壮大な、涙なしには語れない、今生の別れをしてきた村ではないですか。 あ゛あ゛ぁぁぁ見つかったー!!!! お子様たちはしっかり私の名前を憶えてくださっていて、また朝とほとんど同じようなやりとりを繰り返し、たくさん写真を撮ってお別れました。 これ距離的には多少ショートカットかもしれませんが、時間的にはショートカットではないです。 もし私が無類の子供好きであったなら、それはそれはたまらなく楽しいひとときになったと思うのです。 しかし、私は子供が憎いとか嫌いとかではないですが、 どうしていいかわからない。 「こんなときどんな顔をすればいいかわからないの」状態で、ただただたくさんのお子様の輪の中で右往左往しているだけなのです。 それでも、お子様たちは楽しそうで、誰が私と手をつなぐかで喧嘩になってしまうくらいですから、 私にはなおさらなにがなんだか分かりません。 とりあえず、「笑えばいいと思うよ」の原理で、ニコニコと現地の言葉で話しかけてくる子供たちを見ていると、なんだか楽しくなってきて、 こちらもつい笑ってしまいますので、まあこれでいいのかな、と。 ぐったりと疲れ、今日はコーラではなくスプライトでのどを潤します。 私のだらっと具合は、まさにこんな感じでございました。 本日の夕焼け後の空もまた美しく、平和な時間が流れます。 晩御飯はマラウィ湖で捕れたお魚プレート。 豆のソース添え。 湖のお魚は、骨の仕組みが海の魚と違うようで、たくさんの骨と戦いましたがとてもおいしかったです。 この島に来た初日に、 のんびりだらだら過ごそう! と書いた気がしますが、今のところさほどのんびりもしておらず、 むしろストイックに歩き続けているだけの毎日です。 足の、今までできたことのない場所に靴擦れができ 「湖の水は、海水じゃないからしみなくてよかったな」と思ったところで、本日の投稿を締めくくります。 本日も、最後までお付き合いくださってありがとうございました。 ボートにタンク2本積んでそのまま2ダイブ目をやる場合は+35USD。 このプランが標準で、合計85USD 約8,500円。 機材等のレンタルはすべて込みです。 ナイトダイブは実施しておりません。 【ダイブサイト】いくつかある周辺のサイトに日替わりで行く感じです。 【時間】朝9:00集合でそこから準備をしてボートで出発。 2ダイブを終えて、お昼ごろ戻ってきます。 1人でも催行してくれますが、予約はできれば前日までにしたほうがよさそう。 マンゴードリフトに宿泊している場合は予約とかすぐできますが、私が滞在している「Utika Bay Lodge」にいる場合は、徒歩1時間ちょっとかかりますのでご注意ください。

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【マラウイ編】5分で読めるアフリカの全て。観光から歴史、行き方まで!

マラウィ の 戦い

ただし、フィリピンにとって戦闘の終息は、必ずしも平穏を意味しません。 今後、ドゥテルテ大統領率いるフィリピンは、どんな「敵」や課題に直面するのでしょうか。 そこには、大きく4つのリスクを見出せます。 強気がもつリスク まず第一に、 今回の「勝利」がドゥテルテ大統領をこれまで以上に「強気」にすることで、国内政治を逆に混乱させかねないことです。 フィリピン軍は部分的に米国やオーストラリアから支援を受けながらも、基本的に独力でIS系組織からマラウィを解放。 これはドゥテルテ大統領にとって、国民に対して大いに面目をほどこすものだったといえます。 ただし、ドゥテルテ大統領の神通力にも陰りが見え始めています。 ドゥテルテ大統領は麻薬取引や犯罪に厳しい態度で知られ、その強気が人気の源泉でした。 しかし、。 その支持率が未だに高水準を保っていることは確かですが、10ポイント以上の支持率の下落は初めてのことです。 この状況下、。 マラウィ危機の終息を受けて、10月21日に。 「麻薬戦争」を名目に、大統領に独裁的な権力を認める非常事態宣言を維持する場合、ドゥテルテ大統領がマラウィ危機であげた株を維持できるかも不透明になるといえるでしょう。 強気の外交方針の加速 第二に、マラウィ危機の終息は、 ドゥテルテ大統領を対外的にもさらに強気にする契機になるとみられます。 国内の人権侵害を理由に、その就任以来、ドゥテルテ大統領は欧米諸国との関係が必ずしも良好ではありませんでした。 実際、マラウィ危機が始まってからも、伝統的な同盟国である米国は、兵士の武器が人権侵害に用いられる懸念から、武器提供を行いませんでした。 そのなかでマラウィ解放にこぎつけたことは、ドゥテルテ大統領にとって、 米国への「借り」を最小限にとどめたことで、強気の外交方針を維持しやすい環境を保てたことを意味します。 その一方で、西側先進国と対照的に、中国やロシアはマラウィ危機に直面したフィリピン政府の求めに応じて、武器提供を増加。 両国にとって、マラウィ危機は米国の伝統的な同盟国であるフィリピンに接近する格好の機会だったといえますが、他方でフィリピンにとっては中ロの軍事援助は「独立路線」を強める材料になったといえます。 こうしてみたとき、マラウィ危機後のドゥテルテ大統領は、これまで以上に、とりわけ米国に対して、強気の独立外交を展開するといえます。 特に 国内で「麻薬戦争」への批判が高まり、ドゥテルテ大統領が「外」に関心を向けさせて批判をかわすために反米的なトーンをさらに強めた場合、地域内の力関係はこれまで以上に動揺しかねないとみられるのです。 復興をめぐる駆け引き これに関連して、第三に、 マラウィ危機の復興・再建は、各国間のつばぜり合いの次のステージになるといえます。 5月23日以来の戦闘では、。 さらに、市街地での戦闘は市民生活にも大きな影響を与え、。 マラウィの復興は急務ですが、。 これがフィリピン政府にとって大きな負担になることは、想像に難くありません。 そのなかで、。 これに対して、。 その他、オーストラリアは10億ペソ、日本も1億ペソの提供を約束するなど、各国とも復興支援を提供しています。 このうち、オーストラリアは近隣でISの勢力が増すことへの警戒が人一倍強く、最大の援助額を提示していることも不思議ではありません。 さらに、。 逆に、それはフィリピンにとって「売り手」の強みを増加させる要因になることは確かですが、それが復興を加速させるかは未知数です。 国内の公共事業などと同じく、援助には腐敗や汚職が珍しくなく、数多くの相手からアプローチされるほど、それはより容易になります。 政治的な理由から「売り手」になるほど、ただでさえ汚職の目立つフィリピンで、復興・再建の事業が特定の有力者たちの食い物にされる懸念は大きくなるといえるでしょう。 ムスリム同士の反目 最後に、マラウィの解放がフィリピンにおける次のテロの呼び水になりかねないことです。 特に、今回の戦闘はムスリム同士の敵意も加熱させたといえます。 戦闘の最中の7月、フィリピン政府はムスリムが多く暮らすミンダナオ島マラウィ一帯の自治権を拡充。 これはマウテなどIS系をフィリピンのイスラーム社会で孤立させるものでしたが、カトリック信者が大半を占めるフィリピンにおける宗派対立を、長期的に鎮静化させる効果もあると期待されます。 その一方で、マラウィでの戦闘が激化するなか、。 先述の自治権拡大の交渉は政府とMILFの間で行われたもので、 その軍事協力は自治権拡大の「見返り」であったといえます。 社会的に認知度の高いMILFが政府を支援したことは、「一般ムスリムもIS系を忌避している」、「宗派を超えてフィリピン国民が結束して過激派にあたる」というイメージ化につながったといえるでしょう。 ただし、その一方で、 ムスリム同士が銃口を向け合うことで、フィリピンの狭いイスラーム社会における亀裂が深まったことも確かです。 そのため、。 サウジアラビアやエジプトでは、「不信仰者」である米国に協力する政府を「背教者」とみなすテロ攻撃が絶えません。 、フィリピンのIS系勢力が四散したことを考えると、少なくとも当面、フィリピンで大規模な戦闘は起こりにくいとみられます。 しかし、 フィリピン政府だけでなく「不信仰者」と結びついた「背教者」を狙う散発的なテロには、今後とも警戒すべきといえるでしょう。 復興への道 こうしてみたとき、マラウィ危機が終息したとはいえ、フィリピンの前途には多くの課題が山積し、決して平たんな道のりでないことが予測されます。 とりわけ、フィリピン内部の抑圧や格差は、マウテをはじめとするテロ組織や麻薬組織の跋扈と無関係ではありません。 テロや内乱は真空から生まれるのではなく、社会のひずみがその助産師の役割を果たすことで、その多くは現実のものとなります。 マラウィ危機の終息はフィリピンにとって、新たな道のりのスタートに過ぎないともいえるでしょう。

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「マラウィの戦い」を戦訓にフィリピン警察最精鋭『特別活動部隊(SAF)』

マラウィ の 戦い

石井正子(立教大学教授) 5か月にわたる戦闘と市街地の壊滅 2017年10月23日、フィリピンのロレンサナ国防長官は、ミンダナオ島・マラウィ市で展開された「マウテ・グループ」との戦闘の終息宣言を発表した。 「マウテ・グループ」とは、マウテ家のオマルとアブドゥッラーという兄弟が中心であったためそう呼ばれているが、本人たちは「イスラム国(IS)」と名乗っていた。 ちょうど5か月前の5月23日、マラウィ市で警戒にあたっていた国軍は、フィリピンでISに忠誠を誓う諸グループのリーダーであるイスニロン・ハピロン氏に遭遇した。 「マウテ・グループ」と共にいたハピロン氏の確保に踏み切ったところ、交戦に発展した。 同日、ロシア滞在中であったドゥテルテ大統領は戒厳令を布告し、人身保護令の権利を停止した。 国軍は「マウテ・グループ」が立てこもったマラウィ市の市街地一角を包囲し、その掃討に踏み切った。 「マウテ・グループ」の掃討には5か月もの時間が費やされた。 理由の一つとして、国軍の市街戦への訓練不足が指摘された。 国軍は、反政府勢力に対峙するために密林などでゲリラ戦の訓練を積み重ねてきた。 しかし、市街戦には重点を置いてこなかった。 「マウテ・グループ」は密集する建物に隠れ、階上にスナイパーを配置した。 戦車にはRPG(rocket propelled grenade)砲で対抗し、IED(improvised explosive device, 即席爆発装置)を仕掛けて国軍の侵入を阻んだ。 掃討に手を焼いた国軍は、激しい空爆と迫撃砲を浴びせた。 国軍側には、アメリカ軍、オーストラリア軍が情報提供、中国が銃と銃弾提供などの軍事協力を行った。 「マウテ・グループ」側には、インドネシア人、マレーシア人などの存在が確認されている。 空爆と迫撃砲、銃撃戦により、戦闘区域となった市街地の一角は、「グランド・ゼロ」と呼ばれるほどに壊滅した。 フィリピン政府筋の情報によると、ハピロン氏とマウテ兄弟は殺害され、「テロリスト」約900人、国軍・警察関係者165人、一般市民約50人が死亡し、マラウィ市の全人口約20万人と周辺の自治体からあわせて30万人以上が避難を余儀なくされたという。 「マウテ・グループ」=テロリスト像 「マウテ・グループ」がISに忠誠を誓ったことから、報道は「テロ」の脅威を強調するものが多かった。 フィリピンのメディアが、背景として、モロイスラム解放戦線(MILF)とフィリピン政府との和平プロセスの遅延を指摘してはいた。 が、「マウテ・グループ」の報道には、すでに世界的に定着していた「テロリスト」「IS」のイメージがかぶせられた。 実際、2016年4月に「マウテ・グループ」は、ブティグ町で誘拐者6人のうち2人にオレンジの服を着せ、斬首した。 同年には二度、ブティグ町を占拠しようとし、国軍と衝突した。 5月23日の事件発生時には、彼らが掲げた象徴的なISの黒い旗が報道写真の対象となった。 黒い旗のイメージの影に、ローカルなコンテキストは見えにくくなった。 「マウテ・グループ」の掃討が突如実行に移されたことから、多くの一般市民が市街戦に巻き込まれて脱出できなくなり、一部が同グループの「人質」として捕らえられた。 アムネスティ・インターナショナルがこれらの「人質」に聞き取りを行った報告書によると、シャハーダ(信仰告白)を唱えることができなかった一般市民を「マウテ・グループ」が殺害したと証言している。 一方、アムネスティ・インターナショナルの報告書には、国軍による脱出者に対するハラスメントや、破壊された家屋からの略奪などの実態も記載されている。 メディアでもこうした国軍の問題行為は取り上げられたが、ドゥテルテ大統領は国軍をかばい、マラウィ市は「テロリスト」から解放されたと宣言した。 兄弟を知る人たちの「マウテ」像 オマルとアブドゥッラーは、どのような人物だったのだろうか。 その人物像を素描しよう。 十二人キョウダイの二人は、南ラナオ州のラナオ湖の南にあるブティグ町出身である。 ブティグ町には和平プロセスによって政府公認となった北東ミンダナオフロント・コマンダー、ジャナティ・ミンバンタス氏が率いるMILFの軍事基地もある。 南ラナオ州の人口の約9割はムスリムのマラナオ人であり、マラウィ市はフィリピンではイスラム教育の中心地である。 1980年、市議会は市の名称を「マラウィ・イスラム都市(Islamic City of Marawi)」とすることを決議した。 父親はMILFのメンバーでエンジニアであり、マラナオ人のMILFの幹部とは親しい間柄であった。 母親は商売で成功をおさめており、母親のロマト家の親族関係を通じて、上述のミンバンタス氏や地元の有力者とつながっていた。 兄弟はマラウィ市内のプロテスタント系のダンサラン・カレッジを卒業した。 その後、オマルはエジプトで、アブドゥッラーはヨルダンで勉強をし、英語に加え、アラビア語も話すことができた。 2017年現在、弟のアブドゥッラーは35歳であると報じられた。 2017年8月、「ムスリム・ミンダナオ自治地域における若者の暴力的過激主義に対する脆弱性についての調査」という報告書が発表された。 マギンダナオ州、南ラナオ州、バシラン州、スル州の18~34歳までのムスリム100名を対象にアンケート調査を行なった結果、地域差はあるが、若者が過激グループに参加する一番の動機として「貧困」があげられた。 しかし、二人は貧しい家庭の出身ではなかった。 すなわち、兄弟の社会関係は、地縁・血縁を通じてマラナオ人社会や出身町のコミュニティに根差していた。 二人は、1970年代から分離運動を展開し、牽引してきたモロ民族解放戦線(MNLF)やMILFの幹部やメンバーの子どもの世代にあたる。 親の世代からフィリピン国家のムスリムに対する「歴史的不正義」について学び、45年以上にわたる武力紛争と進展しない和平交渉が繰り返される時代のなかで成長した。 二人は教育を受け、政治的、社会的、経済的不満を抱く若者を組織化するリーダーとしての資質を備えていた。 実際、兄弟を個人的に知るという人に話を聞くと、彼/彼女らの「マウテ」像は、報道で伝えられる「テロリスト」像とは異なっていた。 例えば私は2017年9月に、マウテ兄弟を幼いことから知るMILFのメンバー二名に話を聞いた。 うち一人は戦闘区域に病院を所有していたが、破壊された。 もう一人は20年かけて建設したマドラサ(イスラム学校)、自宅、車などの財産を失った。 MILFとフィリピン政府は1997年に停戦に合意し、南部に新しい自治政府を設立する和平交渉を行っている。 しかし、新自治政府設立は未だに実現していない。 兄弟は、南部の問題が一向に解決しないことへの不満を表し、和平交渉という手段では政府に騙されるばかりではないか、と挑戦的な疑問を投げかけていたという。 さらに興味深かったのは、二人がともに事件の背後に米CIAのテコ入れを指摘したことだ。 中国やロシアに接近するドゥテルテ大統領への警告として事件が引き起こされた面もあるのだという。 むろん、この事実関係は確認できないが、フィリピンのムスリムのあいだにもアメリカに対する強い不信感があることは確認できた。 2018年3月には、兄弟と同じカレッジを卒業し、市役所に勤めていた女性に話を聞いた。 彼女の自宅も戦闘区域にあり、全壊した。 オマルはとてもおとなしく、宗教的な生徒であったという。 人質の首を掻き切るなどの残虐な行為が報道されているとその事実を問うと、「それは報道で聞いたことがあるが、事件発生後、自宅に一度戻って家族とともに脱出する際に、ISISは丁寧に脱出者を誘導していた」とエピソードを語った。 実は、2016年に当選したマラウィ市のマフル・ガンダムラ市長は、彼女の叔父にあたる。 一方、2001年~2007年までは元MNLFのコマンダーであったオマル・ソリタリオ・アリ氏が、2007年~2016年まではその弟のファハド・サリク氏が市長を務めていた。 前々市長と前市長とマウテ家は親族関係でつながっている。 それゆえに、一部では、事件発生の裏に、現市長と敵対する前々市長と前市長の動きがあったのではないかとのうわさもある。 ちなみに前市長は、2018年6月7日、「マウテ・グループ」に関与したとの容疑で逮捕された。 兄弟を個人的に知る人物の証言を重ねると、兄弟にとってマラウィ市街戦は、通った学校、雑談を交わしたであろう飲食店、診てもらったり見舞ったことがある病院や診療所など、数々の想い出がある場所で展開されたと想定できる。 地元では市街地と私財の破壊を目の前にして、戦闘を止めるべく、兄弟と政府当局のあいだを仲介する試みがいくつかあった。 例えば、兄弟と対話のルートをもつ宗教的指導者であるウラマーやスルタン、任意の市民団体が仲介役に奔走した。 前々市長も仲介を試みたとの報道もあった。 「テロリストとは一切の交渉をしない」というのが政府当局の立場であるため、公には否定されているが、水面下では対話と打開策の模索が大統領府や国軍側からもちかけられたとの証言も聞いた。 しかし、こうした仲介の試みはいずれも実らなかった。 「歴史的不正義」を繰り返さない復興とするために はたして仲介による問題の解決は、本当に不可能だったのだろうか。 現段階で私はそれを述べることはできない。 一方、これがマニラ首都圏のビジネス中心地マカティ市であったならば、市街地を爆撃して解決する選択肢が採られたであろうか、という意見も聞かれた。 ここに表れているのは、他の解決の方策は尽くされたのか、という憤りだ。 マラウィ危機発生からおよそ1か月後の6月28日、ドゥテルテ大統領は犠牲者対策やマラウィ市の復興を管轄する省庁横断型の「マラウィ復興タスクフォース(Task Force Bangon Marawi)」を立ちあげた。 国防長官がタスクフォースの議長を、公共事業道路長官が副議長を務めることとなった。 終息宣言後はタスクフォースを改編し、大統領府の住宅都市開発調整評議会の議長がタスクフォースの議長を、国防長官と公共事業道路長官が副議長を兼任することとなった。 タスクフォースのデル・ロサリオ新議長は、国軍に37年間所属した元少将(Major General)である。 2013年11月に上陸した巨大台風ハイエン(フィリピン名:ヨランダ)の災害対応に際しては、国家災害リスク軽減管理評議会の議長を務めた。 タスクフォースは2017年8月から12月にかけて紛争後ニーズアセスメントを実施し、2018年3月現在、復興計画は国家経済開発庁によって精査されている。 アセスメント等にもとづき、マラウィ市を復興開発するデベロッパーを募り、スイス・チャレンジ方式によって選定する。 2018年4月までに戦闘区域に残された爆発物を処理し、戦闘開始1年後の2018年5月23日に復興計画始動の式典を行い、2021年末までに復興を完了する予定だ。 2017年12月13日、ドゥテルテ大統領の要請を受け、フィリピン議会は南部に敷いた戒厳令を2018年末まで延長することを承認した。 マラウィ市内にはすでに国軍のラナオ基地がある。 しかし2018年1月30日、同市の10ヘクタールほどの土地に新しい国軍基地を建設する着工式が大統領を招いて行われた。 マラウィ市の復興開発は治安対策の観点が重視されて進められている。 一方この間、戦闘区域に住んでいた住民は爆発物処理が完了していないという理由でほとんど自宅に戻ることができていない。 市当局は復興計画策定にあたっては住民と十分なコンサルテーションを行っているというが、新たな国軍基地の建設や、マラウィ市を一から近代的な都市にするといった当局の発言は、一部の住民の不安を招いている。 ドゥテルテ大統領は、大統領選からモロ(フィリピンのムスリムに対する一般的な総称)に対する歴史的不正義を正すことを約束してきた。 「テロリスト」を掃討するにあたって市街地一角を破壊したことについては、今のところ大きな異議は唱えられていない。 戦闘によって財産を失ったマラウィ市の住民は、その大義名分のために耐えている印象がある。 表面下で渦巻いている住民の忍耐が報われたとの解釈に転じるか、再び「歴史的不正義」が振るわれたとの解釈に転じるかは、ドゥテルテ政権下での同市の復興開発と和平プロセスのゆくえにかかっている。 (2018年3月26日脱稿) 「マウテ」は一族の姓名であることから、「マウテ・グループ」という呼称は一族に対する侮辱に値する。 一方、イスラムを政治的イデオロギーとし、イスラム国樹立のためには暴力的手段を用いることも辞さない運動は「ジハード主義」と呼ばれるが、フィリピンのムスリムのあいだには、こうした運動を「ジハード主義」と呼ぶことに対する抵抗がある。 それゆえに、フィリピンではISのような運動を「暴力的過激主義(violent extremism)」と呼ぶ傾向がある。 一方、本稿では、マウテ・グループという呼称を用いることの問題性を理解しつつも、分かりやすさを優先しカッコつきで「マウテ・グループ」と称する。 ISは、フィリピンでは一般的にISISとして周知されている。 Carmela Fonbuena, Marawi battle zone: Urban warfare challenges PH military, Rappler, June 19, 2017. (2018年3月21日参照); Priam Nepomucen, AFP to revamp urban warfare doctrine after Marawi crisis, Republic of the Philippines, Philippine News Agency, August 15, 2017. (2018年3月21日参照)。 CNN Philippines, January 5, 2018. (2018年1月5日参照)。 死者数の約8割が「テロリスト」であったとの発表については、一般市民の死者数はもっと多いのではないか、という疑問が投げられている。 国軍によるハラスメントや略奪の被害も報告されていることから、市民団体からは第三者または第三機関による事実解明調査の実施が求められているが、実施されていない。 Gill H. Boehringer, Unanswered questions about the Marawi City conflict. Bulatlat, January 18, 2018. (2018年3月21日参照)。 Richel V. Umel, IS-linked group beheads 2 captive sawmill workers. Sun Star Cagayan de Oro, April 16, 2018. (2018年3月21日参照)。 Arianne Merez, How the Maute group recaptured Butig. ABS-CBN News, November 29, 2016. (2018年3月21日参照)。 Amnesty International, November 17, 2017. Rappler, November 1, 2017. (2018年3月21日参照)。 GMA News, Duterte defends troops on looting in Marawi siege. GMA News, November 21, 2017. (2018年3月21日参照)。 Inquirer. net, October 18, 2018. inquirer. 2018年3月10日放映のABS-CBNテレビドラマ「Tangke」は、国を守ため、恋人の反対を押し切ってマラウィ市街戦で戦死した国軍兵士をヒーローとして描いた。 フィリピンのムスリムは、フィリピン全人口のおよそ5~6パーセント(約500~600万人)であり、10以上の民族言語集団で構成されている。 マラナオ人(人口約100万人)はマギンダナオ人、タウスグ人と並んで人口数が多く、アメリカ植民地期から国政に参加する政治家を輩出してきた民族である。 父親は2017年6月8日にダバオ市で拘束され、その後Camp Bagong Diwa拘置所に拘禁される。 健康状態が悪化し、8月27日に拘置所で死亡した。 Rappler, Father of Maute brothers dies due to health reasons — BJMP. Rappler, August 28, 2017. (2018年3月21日参照)。 母親は2017年6月9日に南ラナオ州マイス町で警察により逮捕され、その後Camp Bagong Diwa拘置所に拘禁されている。 Ricky Brozas, Mother of Maute brothers arrested in Lanao del Sur. Inquirer. net, June 10. 2017. (2018年3月21日参照)。 一方、親族関係にあるとはいえ、ミンバンタス氏率いる北東ミンダナオ・フロントコマンドは、「マウテ・グループ」とは一線を画し、和平合意にのっとり政府や国軍と人質救済、避難民救援、事態収拾にむけて協力した(2018年3月11日ミンバンタス氏に対するインタビュー)。 Duterte bestows ISIS status on Maute group. Vera Files, May 29, 2017. 年3月21日参照)。 Rappler, August 2, 2017. 日参照)。 Research on Youth Vulnerability to Violent Extremism in the ARMM, Institute for Autonomy and Governance, August 18, 2017. 思想的には過激ではなくとも、貧困により十分な教育も受けず、安定した職にも就けない若者が、携帯電話、Ipad、バイク、銃、現金などにつられるのだという。 その他、周囲からの勧誘、疎外感、差別、戦闘経験などの個人的な動機から、ムスリムに対する歴史的不正義、政治汚職、弱いガバナンス、不安定な治安、武力紛争の解決遅延など構造的な理由までがあげられた。 これに対し、イスニロン・ハピロンはバシラン島(スル諸島)出身でアブ・サヤフ・グループのメンバーでもあった。 Jigger J. Jerusalem, Ex-Marawi mayor facing rebellion charges nabbed in Misamis Oriental checkpoint. Inquirer. net, June 08, 2017. 年3月21日参照)。 Ryan, Rosauro, Marawi sultan offers to act as mediator. Sun Star Cagayan de Oro, June 1, 2017. Reuters, July 5, 2017. reuters. Chiara Zambrano, Attempts to talk peace with the Maute group underway. ABS-CBN News, Dec 05 2016, (2018年3月21日参照)。 Rufa C. (2018年3月21日参照)。 Administration Order No. Creating an Inter-Agency Task Force for the Recovery, Reconstruction, and Rehabilitation of the City of Marawi and Other Affected Localities. (2018年3月21日参照)。 Administration Order No. Amending Administration Order No. 03 S. 2017 Creating an Inter-Agency Task Force for the Recovery, Reconstruction, and Rehabilitation of the City of Marawi and Other Affected Localities (2018年3月21日参照)。 A retired Major General in the Armed Forces of the Philippines, he served almost 37 years in the active military service prior to his compulsory retirement on 22 November 2012. 年3月21日参照)。 64 billion needed for Marawi recovery and rehabilitation. CNN Philippines, February 23, 2018. (2018年3月21日参照)。 当初提案者を含まない競合提案を公募し、当初の提案と公募した代案を比較し、優れた条件のほうを落札する方法。 President Duterte leads ground breaking of new military camp in Marawi. Republic of the Philippines Presidential Communications Operation Office, January 30, 2018. (2018年3月21日参照);Gerry Lee Gorit, Another military camp to rise in Marawi. The Philippine Star, February 1, 2018. (2018年3月21日参照)。 Leila B. Salaverria, Modern city to rise from Marawi rubble. Inquirer. net, December 28, 2017. (2018年3月21日参照); Roy Mabasa, Rebuilding Marawi: Four-lane highways, underground cables, promenade along river. Manila Bulletin, November 22, 2017. (2018年3月21日参照)。

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