東郷 とも のり。 サンドイッチのおともに!大玉トマト「サンドパル」

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株式会社まつの• 愛知県のまつのベジフルサポーター、野菜ソムリエプロの中神ルミ子です。 先月の記事で告知した田原洋菜部会のフェアは大盛況のうちに終了しました。 そこで野菜ソムリエとしてお手伝いしていた鈴木教広(のりひろ:通称のりさん)さんが今回の主役です。 田原洋菜部会のフェアには、松野貞文社長も来場して一緒に記念撮影。 松野社長とのりさんが手に持っているのは「サンドパル」という大玉トマト。 大玉トマトといえば桃太郎などが有名ですが、これは一体どんなトマトなのでしょう?早速ハウスを見学してきました。 手前6棟がのりさんの温室で、冬はトマト、夏はメロンを栽培。 4反の畑では冬キャベツ、3反の田んぼで米を作っています。 一緒に働くのは、奥様の智美さん、ご両親、弟さんの5人。 元々菊農家でしたが、先代が今の作物に切り替えて、のりさんは二代目。 学校で農業の基礎を学び、ご両親や周りの方々から実践を学び、技術と経験を積みました。 いつもニコニコ楽しそうに仕事をされているのりさん、「農業の3K(きつい、汚い、危険)を変えるなら、楽しく農業をやらなければいけない」と話します。 のりさんの考える「楽しい農業」とは、お客様とつながって直接声を聞くこと。 「お客様の顔が見えることで、お互いが納得できるものを納得できる金額で販売することが可能になり、それが農業をやる楽しさにつながっている」とのことです。 トマトを見る目も優しい眼差しののりさんがこの「サンドパル」トマトと出会ったのは今から約4年前。 ビジネスマッチングフェアの会場で出会った愛知県総合農業試験場の方から、「このトマトを作ってほしい。 どんなものができるか実際に試してみてください」と声をかけられたのがきっかけだそう。 愛知県で6軒依頼され、ほとんどは試験場近辺の方たちでしたが、試験場から離れた三河地方で栽培していたのはのりさんだけ。 情報がなかなか入らず、初めての品種のため、最初は苦労されたそうです。 いつも栽培しているものと比べて樹勢が強く、葉がしっかりしていて樹ができすぎてしまったり、葉の形も少し長い感じで通路が狭くなりがちになったり。 それでも着果不良は少なめという特徴もありました。 最初依頼されたときはまだ名前もつかず試験番号の状態でしたが、その2年半後にようやく「サンドパル」という名前がつきました。 まさしくこのサンドパルは愛知県生まれです。 大きな特徴としては「単位結果性」ということ。 単位結果性というのは、受粉なしで果実が実るということです。 トマト栽培には欠かせないホルモン処理やマルハナバチが必要なくなるというので作業がラクになったそうです。 サンドパル、その名前の由来は「サンドイッチのおとも(パルは英語で仲間)にピッタリ!」という品種の特徴から。 カットやスライスで生食用としての利用に最適なのです。 早速スライスしてみました。 ゼリー部が小さく果肉がしっかりしているのが特徴で、スライスしても液だれがほとんどありません。 サンドイッチのように挟んでも水分がパンにつきにくいので、作りやすくて食べやすいですね。 イングリッシュマフィンで挟んでみました。 サラダにしても、しっかり形が残っています。 ところで、農業の傍ら野菜ソムリエとしても活躍されているのりさん、田原市の野菜ソムリエグループ「ベジエール渥美」では企画部長としてイベントなどを企画して、盛り上げています。 料理教室で講師をすることも。 様々な場所で出店して、トマトを使った料理を提供しています。 これは、のりさんトマトを入れたトマトフランクを使ったトルティーヤ。 (写真提供:鈴木教広さん) また、のりさんのトマトを使った酢「あじわいトマト」や、トマトがもっとおいしくなる塩「ハーブソルト」も独自で研究して販売しています。 (写真提供:鈴木教広さん) 最後に、のりさんが属する「豊橋百儂人」をご紹介。 東三河に住む農業のプロフェッショナルで構成されていて、メンバーは皆さん素晴らしい方々。 ここでののりさんは「蕃茄儂人(トマト儂人)」です。 (写真提供:豊橋百儂人事務局) この豊橋百儂人については、またの機会にご紹介しますね。 のりさんに今後チャレンジしていきたいことを尋ねると、「キッチンカーで各地へ行くこと。 とにかく食べて知ってもらいたい。 生産者としても直接お客様とつながってフィードバックを受けたい。 良い所は受け入れ、悪いところは改善していきたいですね」と、力強く語ってくれました。 全国各地にのりさんのキッチンカーが出没する日も近いかもしれませんね。 愛知県のまつのベジフルサポーター、野菜ソムリエプロの中神ルミ子でした。 関連記事•

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2016年にも開催した「定番散策コース」で、11月15日に開催。 能仁寺、展覧山、東郷公園ともに紅葉はちょうど見頃。 特に、東郷公園はあちこちが燃えるような紅に染まり、参加者から歓声が挙がる程の美しさであった。 歴史面では、能仁寺を創建した中山勘解由家範(かげゆいえのり)は、北条氏照第一の家臣。 滝山城址東方の少林寺(北条氏照の館跡とされる)近くに家範の館があったと伝わる。 飯能市中山はこの中山氏の故郷で、智観寺は中山氏の菩提寺。 智観寺付近には家範の館もあったとされる。 家範は八王子城陥落時に討死(自刃とも)。 八王子城跡近くに北条氏照のものと並んで家範の墓(供養塔)がある。 滝山城址は10月の散策で訪れ、八王子城跡は12月の散策で訪れるた。 このように、街プレ散策で点から線へと繋がりができ、参加者もより実感が持てたかと思われる。

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東郷青児と洋菓子の包装紙 東郷青児(とうごうせいじ)は、明治30年生まれで、昭和に活躍した洋画家。 モダンな雰囲気でデザインやイラストレーションのような画風でありながら、日本的な叙情性も備えた美人画を多く描いた。 東郷青児という名前は本名ではなく(本名は東郷鉄春)、青児という名は青山学院の中等部を卒業したことに由来すると言われる。 東郷青児は、若い頃に竹久夢二が日本橋に開いた「港屋絵草紙店」で、夢二の作品の写しを手伝っていた。 この辺りは結構ごちゃごちゃしているようで、夢二の奥さんだったたまきが、店に出入りしていた画学生のなかでまだ17歳の東郷青児を気に入り、夢二の絵の写しをお願いするようになる。 夢二はすでに有名画家で、恋多き男。 いつも寂しそうだったたまきに東郷青児は惹かれ、たまきもまた弟のように可愛がった。 この二人が不倫関係にあるのではないかと夢二は疑い、富山の海岸でたまきの腕を刺す、という事件を起こしている。 実際に二人のあいだに関係があったかどうかは分からない。 東郷青児自身はのちに否定している。 いずれにせよ、東郷青児の美人画には、夢二の影響が色濃く反映している。 竹久夢二『雪の夜の伝説』 東郷青児『望郷』 大正ロマンを代表する竹久夢二と、昭和の時代に活躍し、長期のフランス留学など西洋の影響もいっそう深く受けている東郷青児では多少毛色の違いは見られるが、描かれる女性に備わっている憂いや悲しみは両者に共通した特徴と言える。 また、憂いを帯びた美人画という画風だけでなく、決して明るい雰囲気ではないもののデザイン性が高く、商品的な価値として大衆的に人気となる点も共通している。 東郷青児のデザイン性を物語る上で欠かせないものの一つが、「包装紙」である。 ケーキなどの甘い洋菓子が纏う包み紙には東郷青児デザインのものが数多くあり、ファンはお気に入りの紙を手作りの封筒やしおり、ブックカバーにしたと言う。 洋菓子の包装紙だけでなく、2007年に惜しまれつつ閉店した吉祥寺の老舗喫茶店「ボア」は、東郷青児がプロデュースし、店のロゴからケーキを入れる箱、包装紙、マッチデザインなど細部に至るまで手がけた。 「ボア(BOIS)」というのはフランス語で「森」を意味し、これは東郷青児がフランスに留学したパリ郊外のブーローニュの森と、店の近くの井之頭公園の森を重ね合わせて名付けられた名前だと言う。 これは「ボア」で使用された東郷青児デザインの包装紙(上)やケーキボックス(下)。 森がイメージされたデザインとなっている。 他にもたくさんの包装紙を手がけているが、どれも東郷青児の形は崩さず、しかしデザイン性の高さや洋菓子など包まれるものとの調和も保たれている。 昭和35年〜40年頃、ボアでは、ケーキの箱のおまけとして月代わりに12種類のしおりがつけられた。 しおりには、東郷青児の絵が描かれ、すべての絵に「Bois」のロゴが入っている。 しおりの裏面には、ランボーやアポリネールといった詩人の名詩と、その詩に呼応するような店のキャッチコピーが載っていた。 横浜の洋菓子店「フランセ」の包装紙。 創業者の高井二郎さんが、親しい関係だった東郷青児に依頼し、イメージを作り上げていった。 東郷青児の故郷でもある鹿児島の銘菓「御菓子司青柳」。 洋菓子の包装紙として東郷青児の絵柄が使用されている。 東京駒込にある「アルプス洋菓子店」の包装紙。 創業60年の老舗洋菓子店だったが、2019年3月で閉店となった。 東京久が原の老舗洋菓子店「フラマリオン」。 創業は昭和34年。 創業以来、今でも東郷青児デザインの包装紙で洋菓子を包んでいる。 京都の「喫茶ソワレ」。 四条木屋町にある青い光に満ちた美しく甘美な喫茶店。 看板やショップカード、コースターだけでなく、東郷青児の油彩や水彩の絵もコーヒーと一緒に堪能できる。 創業は昭和23年。 創業者が東郷青児の絵を好み、店内に飾っていた。 途中、東郷青児も訪れるようになり、親交が深まっていった。 東京渋谷の洋菓子店「フランセ」。 簡素ながら優美なパリジェンヌの絵が描かれている。 昭和32年創業の老舗だったが、平成18年で閉店。 東京の成城にある洋菓子店「成城アルプス」。 青みがかった包み紙に、エッフェル塔を背景にしたパリジェンヌが描かれ、高級感が漂う。 (画像 :『東郷青児 蒼の詩 永遠の乙女たち』より) 包み紙だけでなく、お菓子の缶や、自由が丘「モンブラン」のショッピングバッグなどにも東郷青児の絵が施されている。 東郷青児の作風は、芸術としての質だけでなく消費社会とも非常によく馴染んだことが伺える。 昭和の頃、東郷青児のデザインが人気だったことから、よく似た東郷青児風のデザインも現れたと言う。

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