プリテンド 歌詞。 PRETEND NAT KING COLE 歌詞情報

プリテンド Pretend

プリテンド 歌詞

ナット・キング・コールが歌っている「プリテンド(Pretend 」という曲があります。 この曲を亡き父が口ずさんでいたのを記憶しています。 日本語の歌詞で「恋というものはいつか心に花咲くものよ・・・」と。 その箇所しか覚えていません。 YouTubuで色々検索してみましたところ、 唯一、美空ひばりの日本語バージョンがありましたが歌詞が違います。 ======= 寂しいときには夢を忘れずに、夢は苦しい心をはらすものよ。 悲しいときには笑顔忘れずに、笑顔は幸せに続く道よ。 いつか芽生える、あなたの胸に素敵な愛が、素敵な恋が。 切ないときには、そっと目を閉じて歌を歌えばこの世はあなたのもの。 ======= 「いつか芽生える・・・」の箇所が「恋というものは・・・」の、ように思うのですが? 歌っていた歌手は江利チエミのようにも思えるのですが? どなたか、「恋というものは・・・」の歌詞をご存知の方が おられたらお教えいただけませんでしょうか。 よろしくお願いいたします。 プリテンド。 懐かしい曲ですし今でも当時の曲は保存しているので何時も聞いています。 1952年にナット・コールをキングに押し上げた大ヒット曲ですね。 当時、ラジオのリクエスト番組には何時も何時も、プリテンドが・・。 お尋ねの歌詞、確かに覚えがあります。 記憶は定かではありませんが仰るとおり、江里チエミ、雪村いずみが歌っていたと思います。 日本の歌手のオリジナルは柳沢真一。 笈田敏夫もペギー葉山も歌っていましたね。 おそらくビンボー・ダナオもジエームス繁田も歌っていたかもしれません。 美空ひばりが確かに一連のアメリカンPOPを歌っていたのは知っていますがこのプリテンドを歌っていたのは存じ上げません。 歌詞が違うと言う事、歌手によって訳詩を変えて歌うと云う事はよく有ります。 黄泉の国にいらっしゃるお父上が何時も口ずさんでおられた一節はおそらく、江里チエミが歌っていたプリテンドの一節でしょう。 ただ、彼女の場合英語(進駐軍のキャンプを回っていたので英語の歌詞のほうが達者だった)の歌詞のほうがぴったり来るので、色々歌っていてもアメリカンPOP曲では日本語の歌詞はごく一部分のみ、さわりの部分を歌っていたと記憶しています。 (もう二,三節日本語があったかも) お父上はその後の歌詞を英語で歌ってらっしゃいませんでしたか? 私たちの年代はジャズ全盛時代、(アーティストが続々日本へ来た時代、食べるものも食べずその金を上京して聞きに行った時代です。 一番しびれたのはグレン・ミラー楽団)アメリカンPOP全盛時代の昭和20年代後半に青春を謳歌していますので、今でも多くの級友達はこれに加えタンゴですかね。 多分お父上もそうであったのでしょうね。 口から出てくるのは何時も当時の曲ですし、プリテンドは今でもきちんと歌えます。 (英語で) お役に立てなくてすみません。 亡父は私をお風呂に入れながら、 この曲とケセラセラを口ずさんでいたのを幼いながらも覚えております。 パティペイジ、ドリスデイ、ジョースタッフォード、テレサブリューワー、ダイアンショア・・・ この時代の洋楽ポップスを「古き良きアメリカ」と呼ぶのでしょうか。 幼少であった私すらも、今、懐かしく聞き入っております。 そうなのですか。 江利チエミは進駐軍のキャンプを回っていたのですね。 その中のアドリブ的な歌詞なのかもしれませんですね。 そう、もう一節、思い出しました。 「・・・また、会いましょう」という節もどこかにあったような? そして、亡父はたしかに英語でも歌っていたかもしれません。 慕情(Love is a many splendored thing)を英語の歌詞で歌っていたのは覚えておりますので。 「恋というものはいつか心に花咲くものよ・・・」この節を覚えておられる方が ネット上におられただけでも、大変うれしい次第です。 貴重なご回答、ありがとうございました。 感謝申し上げます。

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フランク永井 プリテンド 歌詞

プリテンド 歌詞

非常に洗練されていますね。 しかし、 ナットキングコールの歌唱力を知っていると、ピアノ演奏だけだと物足りなく感じますね。 元は、ジャズ・ピアニストとして活躍していた ナットキングコールですが、その歌唱力を買われて、白人相手にポピュラーソングを歌うことになったのです。 当時、ジャズはとても黒人的な音楽で、大衆受けはしませんでした。 アーティストとして才能を伸ばしたかった ナットキングコールは、人気曲を歌い続けることに苦しんでいた時期もあったそうです。 しかし、本人の気持ちの葛藤とは裏腹に、 ナットキングコールの歌手としての魅力は世界に広まり日本にも伝わりました。 戦後の日本でも大人気で、英単語なんてほとんど知らない祖父でさえ、ナットキングコールのアルバムを聴いているほどです。 日本でも、かなり人気があったのだとうかがえます。 愛称は 「ナッキンコール」です。 ナット キング コール Nat King Cole の名曲・代表曲 では、 ナットキングコール Nat King Cole の名曲・代表曲についてご紹介します。 まずは、世界的に有名な曲から見ていきましょう。 モナ・リザ Mona Lisa ナットキングコール Nat King Cole バラード名曲 ナットキングコールの名曲と聴いて、 モナ・リザ Mona Lisa を浮かべる方も多いのではないでしょうか。 この時代のポップスは、クセのない歌詞が多いですね。 シンプルな曲ほど、 ナットキングコールの声色に合います。 ルート66 Route66 ナットキングコール Nat King Cole バラードの歌い手として知られる ナットキングコール Nat King Cole ですが、アップテンポな名曲もあります。 アメリカでナットキングコールの代表曲といえば、 ルート66 Route66 です。 Route66 Nat King Cole スターダスト Stardust は、ナットキングコールのベストアルバムには必ずと言っていいほどある曲です。 久しぶりに聞きましたが、なんて歌声なのでしょうか。 他の歌手にはない、深い魅力がありますよね。 L-O-V-E(ラブ) ナットキングコール Nat King Cole ナットキングコール Nat King Cole)は、1965年に45歳と言う若さで亡くなっています。 ナットキングコールの人気が出たのは、彼が30台の頃(1950年代)です。 そんなナットキングコールが生前にもっともヒットさせたのが、 L-O-V-E(ラブ)でした。 1964年のヒットです。 NAT KING COLE L-O-V-E The Christmas Songは、季節ものの曲なので、クリスマスになると全世界で流れます。 なので、 The Richest Songs in the World で、音楽著作権で史上最も稼いだ曲の第10位に選出されたこともあるのです。 The Christmas Songは、1946年にナットキングトリオによって録音され、1961年にはオーケストラをバックに録音されました。 アメリカで The Christmas Songは、クリスマスの季節で30代・40代の女性たちから最も愛されている曲とされています。 フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン( Fly Me to the Moon)ナットキングコール Nat King Cole) そして、 ナットキングコール Nat King Cole)といえば、 Fly Me to the Moonが代表曲ですね。 Nat King Cole — Fly Me to the Moon.

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ナット・キング・コールが歌っている「プリテンド(Pretend 」という曲があります。 この曲を亡き父が口ずさんでいたのを記憶しています。 日本語の歌詞で「恋というものはいつか心に花咲くものよ・・・」と。 その箇所しか覚えていません。 YouTubuで色々検索してみましたところ、 唯一、美空ひばりの日本語バージョンがありましたが歌詞が違います。 ======= 寂しいときには夢を忘れずに、夢は苦しい心をはらすものよ。 悲しいときには笑顔忘れずに、笑顔は幸せに続く道よ。 いつか芽生える、あなたの胸に素敵な愛が、素敵な恋が。 切ないときには、そっと目を閉じて歌を歌えばこの世はあなたのもの。 ======= 「いつか芽生える・・・」の箇所が「恋というものは・・・」の、ように思うのですが? 歌っていた歌手は江利チエミのようにも思えるのですが? どなたか、「恋というものは・・・」の歌詞をご存知の方が おられたらお教えいただけませんでしょうか。 よろしくお願いいたします。 プリテンド。 懐かしい曲ですし今でも当時の曲は保存しているので何時も聞いています。 1952年にナット・コールをキングに押し上げた大ヒット曲ですね。 当時、ラジオのリクエスト番組には何時も何時も、プリテンドが・・。 お尋ねの歌詞、確かに覚えがあります。 記憶は定かではありませんが仰るとおり、江里チエミ、雪村いずみが歌っていたと思います。 日本の歌手のオリジナルは柳沢真一。 笈田敏夫もペギー葉山も歌っていましたね。 おそらくビンボー・ダナオもジエームス繁田も歌っていたかもしれません。 美空ひばりが確かに一連のアメリカンPOPを歌っていたのは知っていますがこのプリテンドを歌っていたのは存じ上げません。 歌詞が違うと言う事、歌手によって訳詩を変えて歌うと云う事はよく有ります。 黄泉の国にいらっしゃるお父上が何時も口ずさんでおられた一節はおそらく、江里チエミが歌っていたプリテンドの一節でしょう。 ただ、彼女の場合英語(進駐軍のキャンプを回っていたので英語の歌詞のほうが達者だった)の歌詞のほうがぴったり来るので、色々歌っていてもアメリカンPOP曲では日本語の歌詞はごく一部分のみ、さわりの部分を歌っていたと記憶しています。 (もう二,三節日本語があったかも) お父上はその後の歌詞を英語で歌ってらっしゃいませんでしたか? 私たちの年代はジャズ全盛時代、(アーティストが続々日本へ来た時代、食べるものも食べずその金を上京して聞きに行った時代です。 一番しびれたのはグレン・ミラー楽団)アメリカンPOP全盛時代の昭和20年代後半に青春を謳歌していますので、今でも多くの級友達はこれに加えタンゴですかね。 多分お父上もそうであったのでしょうね。 口から出てくるのは何時も当時の曲ですし、プリテンドは今でもきちんと歌えます。 (英語で) お役に立てなくてすみません。 亡父は私をお風呂に入れながら、 この曲とケセラセラを口ずさんでいたのを幼いながらも覚えております。 パティペイジ、ドリスデイ、ジョースタッフォード、テレサブリューワー、ダイアンショア・・・ この時代の洋楽ポップスを「古き良きアメリカ」と呼ぶのでしょうか。 幼少であった私すらも、今、懐かしく聞き入っております。 そうなのですか。 江利チエミは進駐軍のキャンプを回っていたのですね。 その中のアドリブ的な歌詞なのかもしれませんですね。 そう、もう一節、思い出しました。 「・・・また、会いましょう」という節もどこかにあったような? そして、亡父はたしかに英語でも歌っていたかもしれません。 慕情(Love is a many splendored thing)を英語の歌詞で歌っていたのは覚えておりますので。 「恋というものはいつか心に花咲くものよ・・・」この節を覚えておられる方が ネット上におられただけでも、大変うれしい次第です。 貴重なご回答、ありがとうございました。 感謝申し上げます。

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