あどけないの意味。 【あどけない】の例文集・使い方辞典

高村光太郎の「あどけない話」が智恵子抄の中で異彩を放つ理由。

あどけないの意味

では、さっそく、高村光太郎の詩「あどけない話」を引用してみましょう。 あどけない話 智恵子は東京に空が無いといふ、 ほんとの空が見たいといふ。 私は驚いて空を見る。 桜若葉の間に在るのは、 切つても切れない むかしなじみのきれいな空だ。 どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。 智恵子は遠くを見ながら言ふ。 阿多多羅山 あたたらやまの山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。 あどけない空の話である。 高村光太郎の数多い詩の中で、もっともシンプルな詩が、この「あどけない話」です。 シンプルという意味は、ただ短いというだけでなく、きわめてわかりやすく、素直な心情を素直に語っていることにあります。 だからといって、浅いわけでもなく、弱いわけでもありません。 簡明ですが、生きることの根源に通じる深さを有した詩です。 高村光太郎と智恵子との関係を知った上で、こういう詩は、深読みすることなく、流れにまかせて、素直に読み取ることがベストでしょう。 そうしないと、この詩の深さ、特異性が感じ取れません。 高村光太郎と智恵子は夫婦でした。 しかし、智恵子は後に精神に異常をきたし、入院生活を余儀なくされたのです。 高村光太郎は智恵子を愛し続け、智恵子に関わる詩を多数創作し、「智恵子抄」という詩集にまとめたのでした。 「智恵子抄」は、1941年に龍星閣から出版されました。 で、「あどけない話」ですが、簡単に流れをおって内容を確認してみることにします。 智恵子は東京に空が無いといふ、 ほんとの空が見たいといふ。 この書き出しで、謎を提示します。 「東京に空が無い」という、意表を突く、意味深な言い回しで、引きつかられますね。 「なんのこっちゃ?」となるわけです。 その後の一行が実に効いています。 私は驚いて空を見る。 たぶん、この一行がなかったら、駄作となっていたかもしれないと思うほど、この一行が「あどけない話」を生き生きと展開させ始めるのです。 実際に、高村光太郎が智恵子に「東京には本当の空が無い」と言われた時に空を見たのかはわかりません。 ただ、この詩において、「驚いて空を見る」と書いたことで、一気に読者を詩の世界に引きずり込んでしまいます。 なぜなら、ふだん当たり前だと思っていたことに新鮮な意味を発見することは正に「詩」であるから。 また、おそらくは智恵子が類まれな天分を持ち、しかも精神の病におかされたことで、光太郎に自分だけでは気づけない「尊いこと」を伝え続けたであろうことは容易に想像できます。 その「尊いこと」が「本当の空」なわけです。 智恵子に言われて、ハッとして空を見上げる光太郎。 光太郎は、智恵子の言葉の意味を探ろうと自問自答し、ラストの5行で、智恵子の言葉の謎を解きます。 智恵子は遠くを見ながら言ふ。 阿多多羅山 あたたらやまの山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。 あどけない空の話である。 阿多多羅山は智恵子の郷里である福島にある山です。 ふるさとで見た空が本当の空で、東京の空は本当の空ではない、という単純なことを智恵子は言いたかっただけなのでしょうか。 「なんだ、そんなことか」とも、とれないわけではありません。 しかし、 空のことを「空が無い」と嘆いてみたり、「ほんとの空がみたい」と願ったりする心の動きは、尋常ではありませんよね。 普通に人にとっては、「空」はふつうにあるものであって、日によって変化はするだろうけれど、大した問題ではないわけです。 ところが、 智恵子は「ほんとの空」に恋焦がれ、それがなくては生きている気がしない、というくらいに大事だと感じている。 「空」ほど物資文明、経済社会からほど遠いものはなく、そうした物や金と関係のないものに、全身全霊で恋焦がれることの健気さ、哀しさを光太郎は痛いほど感じています。 智恵子の純粋さは、光太郎にとって精神の支えであると同時に、哀しみの根源でもありました。 純粋であることは壊れることだ、という悲劇を、光太郎は智恵子を通じて体験してしまったのです。 高村光太郎自身が生きるということの根っ子に智恵子は存在し、死ぬまで深刻にかかわりつづけたのですが、その重い時間の中で、ふっとこぼれた話が「空」のことでありました。 深い哀しみと祈りの気持ちを、深刻な言葉ではなく、「あどけない話」として語ったことが、この詩に永遠の輝きを与えているのではないでしょうか。 「あどけない話」にこそ、人生の深い真実が秘められているのかもしれないから。 今週の人気記事ランキング• 1k件のビュー• 182件のビュー• 132件のビュー• 120件のビュー• 94件のビュー• 72件のビュー• 64件のビュー• 63件のビュー• 62件のビュー• 54件のビュー• 53件のビュー• 50件のビュー• 47件のビュー• 46件のビュー• 43件のビュー• 34件のビュー• 33件のビュー• 32件のビュー• 31件のビュー• 29件のビュー• 28件のビュー• 27件のビュー• 27件のビュー• 25件のビュー• 25件のビュー• 24件のビュー• 24件のビュー• 23件のビュー• 22件のビュー• 22件のビュー.

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高村光太郎 「あどけない話」(智恵子抄)を読む その1

あどけないの意味

これは物理現象としての空を示してはいないんですね。 文学なんだから、この「空」というのは象徴しているものがあるんです。 「空」とは何か。 それは人々の上に覆いかぶさり、自分を見守り慈しみ大事にしてくれるもののことなんです。 そういう象徴だということ。 だから「東京には空がない」という言葉は、東京には自分を見守り大事にしてくれる人間がいないということなんですね。 智恵子の狭窄し、閉じられようとする心を示し、それを捉えた高村光太郎の悲しみを示したものなんです。 では安達太良山にはあったのか。 そうなんですね。 智恵子の故郷では自分を慈しみ育んでくれた両親や家族が居り、見知った人々がいた。 だから「空はあった」ということなんです。 厳しく書いていらっしゃる方もいるけど、詩を愛好する人間としては美しいものをまるで違ったように解されると我慢できないものだから。 芸術というのは全て間接表現なんです。 直接表現というのはわかりやすいんだけど、心の奥深くにまで届かないんですね。 「東京にはいい知り合いがいない」と書けばわかるんだけど、何の感動もないし、実は正しい全てを語ってはいないということなんです。 全てのものは揺らぎがあり、固定できないものなんですよ。 だから芸術の意義がある。 間接表現というのは、そこにあるべきものを一旦隠すということだから。 喪失することでそこに余白が生まれる。 その余白に向かって、鑑賞者は自己の中に在る様々なものを投入するようになるんですね。 語りつくせないものを目いっぱいにすることが出来るから余白というものが重要なんです。 サモトラケのニケ像というものがあるけど、古代ギリシャの彫刻なんです。 ニケという翼を持った神の像なんだけど、年月を経て首と片翼を喪っている。 だから美しいんです。 喪われた部分に自分の思う限り最高の美を注入するから。 つまり余白があるんですね。 間接表現というのは全部そういうことなんです。 最初は難しいのかもしれないけど、上達するにつれ、また自分の経験が積み上がっていくとどんどん美しいものが見えてくるものなんです。 詩には強烈な力がある。 人生を一変させるようなパワーがある。 現代人は自分の詩を持たない人が多いけど、だからみんな味気ない、矮小な人生になるんだと思いますよ。 歴史上の偉人で文学の素養の無い人間はいないんだから。 特に詩は重要で。 魂の慟哭だから。 強烈に自己を揺さぶる力があるんです。 感動というのは涙を流すとか、「良かったぁ」と感ずることではない。 感じて動かざるを得ない体験なのだから。 詩が古来から愛され続けているのはそういう体験を多く導くからなんですね。 哲学者も自分で多く詩を詠んでいるし、引用もしている。 文学が人生を支えている証拠ですね。 光太郎と、智恵子の持つ「性的ないやらしさ」を感じ取りなさい。 以下引用。 www. geocities. htm 書名 我が愛する詩人の伝記 著者 室生犀星 初出 1958年 中央公論社 高村光太郎への憎しみに満ちた愛を見なくてはならない。 江戸職人の名人(高村光雲)の家に生まれ、洋行してはロダンに私淑し、「青鞜」の表紙絵を描いたこともある長沼智恵子との生活、そして名声を自然に引き寄せる、高村光太郎へのコンプレックスを室生犀星は包み隠さず表現する。 いや、包み隠さない振りをすることで、あるストーリーを創作したとも言える。 智恵子と住む千駄木のアトリエの話である。 「千駄木の並木のある広いこの通りに光太郎のアトリエが聳え、二階の窓に赤いカーテンが垂れ、白いカーテンの時は西洋葵の鉢が置かれて、花は往来のほうに向いていた。 あきらかにその窓のかざりは往来の人の眼を計算に入れた、ある矜と美しさを暗示したものである。 千九百十年前後の私にはその窓を見上げて、ふざけていやがるという高飛車な冷たい言葉さえ、持ち合わすことの出来ないほど貧窮であった。 こういうアトリエに住んでみたい希みを持ったくらいだ。 四畳半の下宿住いと、このアトリエの大きな図体の中におさまり返って、沢庵と米一升を買うことを詩にうたい込む大胆不敵さが、小面憎かった。 」そして、勇気を振るって呼鈴を押した室生犀星が見たもの。 「放心状態でいたのでコマドの内側にある小幅のカーテンが、無慈悲にさっと怒ったように引かれたので、私は驚いてそこに顔をふりむけた。 それと同時にコマド一杯にあるひとつの女の顔が、今まで見た世間の女とまるで異なった気取りと冷淡と、も一つくっ付けると不意のこの訪問者の風体容貌を瞬間に見破った動かない、バカにしている眼付きに私は出会ったのである。 」 「再びカーテンが引かれたが、用意していた私はこんどは驚かなかった。 ツメタイ澄んだ大きくない一重瞼のいろが、私の眼をくぐりぬけたとき彼女の含み声の、上唇で圧迫したような語調でいった。 『たかむらはいまするすでございます。 』」「三度目に訪ねたのは一ヵ月後のある午前中であったが、ツメタイ眼は夫のほかの者を見るときに限られている。 夫には忠実でほかの者にはくそくらえという目付で、やはり追い払われた。 」 田舎者室生犀星が見た「智恵子抄」の智恵子のツメタイ眼である。 もっとも智恵子も福島の田舎出身であったが。 彼女もまた光太郎へのコンプレックスを抱いて、「東京には空がない」という言葉とともに別の世界に閉じこもっていくのであった。 それに対して室生犀星は40数年前の屈辱を書き記すことでコンプレックスを相対化させたのである。 追記、室生犀星が見た光太郎と智恵子は、二人とも真っ裸になって、光太郎が四つん這いの馬になって、そこに智恵子が乗って、「はいどうどう」としていたことだ。 こんなことくらいは、常識なんだぞ。 なんで、そんな読み方しかできないのかということで悲しい。 そもそも、この詩のなかで光太郎自身が言っているように、空そ のものにそんなにちがいはなかったろうと思いますね。 では、なん で、智恵子はそんな風にいうのだろうということを考えるのが、詩 の面白さでしょう。 いろいろな楽しみ方があります。 例えば、あなたが実際に福島 を訪れてみて(いまは原発の問題もありますが)、安達太良山 や阿武隈川を前に、空を見上げてみるのもいいですね。 智恵子の境遇に焦点を絞れば、彼女は結婚前は、社会のな かでも先進的な女性として知られ、尊敬の目でみられていた。 芸術家としても才能があった。 けれども、光太郎と結婚して、 その称賛は批判に変わります。 結婚生活は矛盾に満ちてお り、実家の造り酒屋もうまくいかなくなってしまい、諸々のプレッ シャーから、やがて発狂に至ります。 智恵子の症状は、まず故郷へのノスタルジーとして徐々に表れ、 やがて精神が壊れてくると、子どもがえりや暴力として、手のつ けられない状態に至ります。 そういう智恵子が言っていることです。 彼女の精神は、不安定に なっています。 光太郎は、それに敏感になっています。 こんな空の 色や模様の、微妙なちがいにさえ2人は緊張しあっているのです。 それに気づけるというのは、もともと智恵子が繊細で、細々とした 感覚に優れていたことの証拠です。 彼女の良さなのです。 それだ けに、光太郎には悩ましく思えるのでしょう。 そういう、こころのクロス・トークを感じてほしいところです。 智恵子は東京に空がないと言ふ、 ほんとの空が見たいと言ふ。 私は驚いて空を見る。 桜若葉の間に在るのは、 切つても切れない むかしなじみのきれいな空だ。 どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ。 智恵子は遠くを見ながら言ふ。 阿多多羅山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。 あどけない空の話である。 「智恵子抄」に収められた「智恵子の半生」という散文の中に、智恵子さんが病弱がちでたびたび田舎の空気を吸っていなければ体がもたなかったということが書かれており、そこで「あどけない話」が引用されています。 「あどけない話」の私は驚いて空を見る。 ・・・うすもも色の朝のしめりだ。 詳し述べると、 「…彼女にとつては肉体的に既に東京が不適当の地であつた。 東京の空気は彼女には常に無味乾燥でざらざらしてゐた。 …私と同棲してからも一年に三四箇月は郷里の家に帰つてゐた。 田舎の空気を吸つて来なければ身体が保たないのであつた。 彼女はよく東京には空が無いといつて嘆いた」 「私自身は東京に生れて東京に育つてゐるため彼女の痛切な訴を身を以て感ずる事が出来ず、彼女もいつかは此の都会の自然に馴染む事だらうと思つてゐたが、彼女の斯かる新鮮な透明な自然への要求は遂に身を終るまで変らなかつた」(以上、「智恵子の半生」より) 光太郎が慣れ育った「此の都会の自然」と千恵子慣れ親しんだ「阿多多羅山の上に毎日出てゐる青い空」=「田舎の空気」の落差と、彼女の感受性の豊かさが読み取れますよね。 この「あどけない話」は、昭和3年に発表されている。 2人が結婚して10年後のもので、最も幸福に満ちた時代の詩といわれている。 光太郎が福島県の智恵子の実家に帰省していた時に書いたものだ。 国語のテストのようになりますが…。 このセリフは多分に智恵子の心象によるところが大きいと思うのですが、そのころの東京でも、智恵子がすごした場所から見ると近代的な大都会だったのではないでしょうか? 高い建物、市電が走り、街灯が灯り…今よりは星が見えたとしても、智恵子にはその星の数でもさびしく映ったのではないでしょうか? いまの東京から思えば確かに智恵子の時代は安達太良山も東京の空も綺麗だったと思いますが、その当時で言えばやはり東京には空がなかったのでしょう… 私はこの内容を家の窓や、建物の隙間から見える空の面積が少ない=空がない、というように思ってたのですが^^ 現実的に現在の私たちからみればあなたの言われるように変わりがないのかもしれませんね。

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高村光太郎 「あどけない話」(智恵子抄)を読む その1

あどけないの意味

しかし私はこのあどけない少女に何故嘘を言わせなければならなかったか。 自分が立派に申訳をすればいいのだ。 … 室生犀星『或る少女の死まで』 より引用• しかし彼は、顔を歪め油汗を流しながらも声をあげなかった。 頬にまだあどけなさが残っているその中学生の強さに、ぼくは感心した。 喧嘩をして脇腹を角材で殴られたという男の人は、角刈りの恐ろし気な顔つきだった。 … 佐野良二『闇の力』 より引用• 吐き気の理由はもう一つある。 赤い怪物に殺されているのが、まだあどけなさの残る少年だったからだ。 … 成田良悟『baccano! 1931 特急編 The Grand Punk Railroad』 より引用• そんな時間がしばし流れ、それでも、先に現実感覚を取り戻したのは、男の方だった。 そう 呟 つぶやいた声にも目にも、もはや幼子のようなあどけない色はなかった。 … 今邑彩『暗黒祭 「蛇神」シリーズ最終巻 』 より引用• 眉毛に比べ、目は温和で優しい。 あどけなさと意思の強さという、 相反 あいはんする要素が小さな顔の上にあった。 だが、その顔は生命力にあふれる、可憐な花のように美しかった。 … ろくごまるに『封仙娘娘追宝録01 天を騒がす落とし物』 より引用• 思いのほかあどけない調子で尋ねられ、私はあわてて狼狽の色を隠した。 阿刀田高『猫の事件』 より引用• 私は誇張を言っているのではない。 彼らは小児のように、あどけない純粋の好奇心でもって私に対してきた。 彼らの瞳は、そのとき、ほんとうに未知なるものの探求と発見に燃えくるめいていた。 … 小田実『何でも見てやろう』 より引用• モンローウォークというもので人の世の怪しさ醜さの底をついているから、その残りのあどけなさ無邪気さが安定していて、危ッかしさが感じられないのだ。 ヘプバーンのようなのッけからのあどけなさ無邪気さには安定感がない。 いつくずれるか分らない危ッかしさがつきまとっている。 … 坂口安吾『桐生通信』 より引用• 全裸の安斉麻理子が手術台に仰向けで寝かされ、覆布をかけられていた。 二年前とあまり変わっていない、まだあどけない感じのする肢体だった。 麻酔のチューブが麻理子の顔から機械へとつながっており、麻酔医が具合をチェックしている。 … 瀬名秀明『パラサイト・イヴ』 より引用• 年頃の娘にしては珍しく、袖の大きい白い道服を身にまとっていた。 あどけなさが 残 のこる顔の上には、 意志 いしの強さを 表 あらわす 太 ふとめの 眉 まゆがのっている。 後頭部で柔らかく括った髪の毛は、殷雷と違い風に合わせて柔らかにそよいでいた。 … ろくごまるに『封仙娘娘追宝録・奮闘編04 夢の涯』 より引用• あどけなさを留めた顔に、それとは不似合いな意志の力が広がっていた。 菊地秀行『吸血鬼ハンター10a D-双影の騎士1』 より引用• でも確かに、口を開いてみれば、 喋 しやべり方がさっきの子よりもあどけない。 雫井脩介『クローズド・ノート』 より引用• まだ十代のあどけない顔をした子だが、妙に 嬉 うれしそうな顔をしている。 貴志祐介『天使の囀り』 より引用• それなのに、女の表情にはどこか透明なあどけなさと、素直さがあった。 それは花村ゆう子の面差しにあったものと似ている、と気づいて秀彦はいささか、逆上気分に見舞われ、心を引き締めた。 … 南里征典『田園調布真紅夫人』 より引用• 寿美子は首をかしげて男の顔をのぞきこむ。 美人というのではないがそういうシグサにあどけなさがあり新鮮だった。 男とは干支でひとまわりちがっている。 … 横溝正史『金田一耕助ファイル18 白と黒』 より引用• 彼女は日を経るたびに変わっていった。 私が好きだった少女のようなあどけなさはいつの間にか見られなくなっていた。 天真爛漫ともいえる笑顔がチャームポイントだったはずなのに、物思いに沈んだような表情を見せることが多くなった。 … 東野圭吾『殺人の門』 より引用• 吟子は答えるすべもなくかつの童女のような眼を見ていた。 黒い瞳は何人もの男と寝てきた 娼婦 しょうふの眼とも思えぬほどあどけない。 … 渡辺淳一『花埋み』 より引用• 磯五もつづいた。 おせい様は 年齢 としには見えないあどけない顔を上げて、磯五を見ていた。 … 林不忘『巷説享保図絵』 より引用• ご機嫌をうかがうようなあどけない顔をして、お父さんが肩寄せてきた。 山本文緒『チェリーブラッサム』 より引用• 死体は子供、まだ 年端もいかない少年だ。 あどけない顔に驚きの表情をうかぺ、ガラス玉のような目を開い ている。 … 冴木忍『カイルロッドの苦難 4 面影は幻の彼方』 より引用•

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