東風 読み方。 「東風」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説!

東風は「こち」 南風は「はえ」 北風や西風は?

東風 読み方

では東風の正しい読み方は、「こち」「とうふう」どちらなのかを見ていきましょう。 結論から言ってしまうと、 東風の正しい読み方は「こち」「とうふう」の両方になります。 東風を「とうふう」と読むと間違いだとされることも多いですが、 辞書には「こち」「とうふう」の両方の読み方が載っています。 (両方の読み方が載っていない辞書もあります) ただ 一般的には東風は「こち」と読むことが多いです。 東風(とうふう)のように「東(とう)」が用いられている言葉には、 「極東(きょくとう)・東宮(とうぐう)・東遷(とうせん)・東西(とうざい)」などがあります。 東風(とうふう)のように「風(ふう)」が用いられている言葉には、 「風鈴(ふうりん)・威風(いふう)・強風(きょうふう)・風神(ふうじん)」などがあります。 熟字に訓読みをあてた読み方だから、熟字訓(じゅくじくん)です。 訓読み(日本由来)はそれだけで意味が分かる読み方が多く、音読み(中国由来)はそれだけでは意味が分からないものが多いです。 そして熟字訓は熟字(2字以上)に読み方があてられているため、 漢字単体に読み方が振り分けられているわけではありません。 ですので漢字(1字)の訓読みのようにその熟字(2字以上)だけで、 意味が伝わるように読み方があてられているものが熟字訓というわけなんですね。 熟字訓と言われる読み方は特殊で、あらかじめその言葉の読み方を知っていなければ、読み方が分からないものがほとんどです。 次の章で東風の意味について解説していきます。 2.東風の意味と類義語について では東風の意味と類義語について見ていきましょう。 東風を用いた例文としては、「穏やかな東風が吹く」や、 「彼には何を言っても馬耳東風(とうふう)だ」のような使い方で用いられています。 これは人が心地良いと感じる春風が吹いたとしても、 馬は何も感じていないように見えることから来ています。 また 東風の類義語としては、「季節風(きせつふう)・貿易風(ぼうえきふう)・モンスーン」などの言葉が挙げられます。 どの言葉についても東風と意味は似ていますが、まったく同じ意味ではないので注意してください。 スポンサーリンク.

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東風の読み方と意味、「こち」と「とうふう」正しいのは?

東風 読み方

東風の意味とは 「東風」の意味は以下の通りとなります。 1 こち…春から夏に吹く、東寄りの風。 又は人名。 2 あゆ…東の風 別名は鮎の風。 3 とうふう…中国発祥の東風に対する呼び方。 4 ひがしかぜ…東から西に吹く風。 春に吹く風。 5 とんぷう…麻雀における専門用語で、場風や面風について。 それぞれの呼び方によって、微妙に意味の違いがあります。 麻雀の専門用語は別扱いですが、それ以外はどれも基本的には「東から吹く風」全般について「東風」となります。 これら以外にも、音楽グループ名、映画タイトル、中国の地区名称など「東風」と付く様々なケースがあります。 ですから、「東風」は単なる風の方角や方向ではなく、春を意味する風とするのが正しくなります。 その名残として、今でも春を代表する味覚や植物に対し、「鰆ごち」「梅ごち」「桜ごち」という言葉が、主に瀬戸内地方では使われています。 東風の文章・例文 例文1. 東風が強くなると春を感じ始める。 例文2. 東風は春の季語だが、場合によっては夏の季語ともなる。 例文3. 例文4. 諺の馬事東風は、人の意見や批判を聞き流すという意味で、東風の春風は暖かく馬も何も感じないとするのが、由来である。 例文5. 東風を意識し始めると、卒業や入学などの過去のイベントを思い返す。 「東風」の例文は、単に東からの風という使い方もできますが、季節を意識したものが多くなります。

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東風 (ミサイル)

東風 読み方

経歴 [ ] 上条(現在の松河戸)の出身とする説がある。 史実としては確認できない、あくまで伝承の類であるが、18世紀(江戸時代)には既にこの説が広まっていた。 道風はに属するというにあり、宮中で用いるに文字を書いたり、の清書をしたりするのがその職務であった。 能書としての道風の名声は生存当時から高く、当時のや貴族の間では「の再生」ともてはやされた。 『』では、道風の書を評して「今風で美しく目にまばゆく見える」(意訳)と言っている。 没後、その評価はますます高まり、『』として祀られるに至っている。 一方で気性が激しく、「筆のを批判した」 などという不評も同時に伝わっており、晩年はたいへん健康を壊し、随分苦しんだという。 20年() 5月5日:、昇殿• 時期不詳:• 延喜21年() 3月13日:• 時期不詳:正七位上• 3年() 8月:• 時期不詳:• 2年() 日付不詳:• 時期不詳:従五位上、• 天慶5年() 4月27日:宇佐使• 天慶9年() 日付不詳:贖銅2斤• 元年() 日付不詳:• 2年() 日付不詳:。 天徳4年() 日付不詳:。 10月9日:• 3年() 12月27日:卒去(正四位下行内蔵権頭)• 天徳2年()正月に自分を山城守に任じ、もしくは近江の権守を兼任させて欲しいという奏状をに奉じた。 その文章は平安時代の代表的な詩文集を集めた「本朝文粋」巻第六に収められている。 系譜 [ ]• 父:小野葛絃• 母:不詳• 妻:不詳• 男子:小野奉時• 男子:小野長範• 男子:小野奉忠• 男子:小野奉明• 男子:小野公時 主な作品 [ ] 道風の作品は、雄渾豊麗、温雅で優れ、は爽快で絶妙を極め、その筆跡を「野跡」という。 は深くその書を愛好され、の榜や行草法帖各一巻を書かせた。 真跡 [ ] 『』(巻頭部分、三の丸尚蔵館蔵)• 三体白氏詩巻 - () 蔵 を楷行草の各書体で揮毫したもので、八紙を一巻として、巻第五十三の詩六首分が現存する。 ちょうど二首分ずつ、楷・行・草の順に調巻されるが、禄禄二年()のの識語によれば、当時すでに、楷書二首、行書二首、草書二首という現在の形であったことが分かる。 - (国宝)蔵 寛平3年()、少僧都法眼和尚位で寂した第5世座主が、36年後の延長5年()、法印大和尚位を賜り、「智証大師」と諡されたときのである。 文はの撰、道風34歳の書で、藍のに行草を交えて太い弾力性のある文字である。 - 三の丸尚蔵館蔵 土代とは「下書き」の意で、に飾る屏風に揮毫するの下書きである。 延長6年()11月、道風が勅命を奉じて宮中の屏風に書いたときの下書きで、が作った律詩八首と絶句三首が書かれている。 署名はないがその奥書きに、平安時代末期の能書家で鑑識に長じていたが、道風35歳の書であることを考証しているので、真跡として確実である。 巻子本のの詩巻で、料紙はである。 処々に細字を傍書しているのは、その字体を工夫して様々に改めたことを示している。 書風は豊麗で温和荘重、筆力が漲り悠揚としている。 玉泉帖(ぎょくせんじょう) - 三の丸尚蔵館蔵 白氏文集の詩を道風が興に乗じて書いたで、巻首が「玉泉南澗花奇怪」の句で始まるのでこの名がある。 楷行草を取り混ぜ、文字も大小肥痩で変化に富む。 絹地切 - 東京国立博物館ほか分蔵 伝承筆者 [ ] 古来、道風をとするが、疑問視されているもの• 継色紙(つぎしきし) - 東京国立博物館蔵 (伝筆)、(伝藤原行成筆)とともに といわれ、仮名中でも最高のものといわれる。 色紙型の料紙二葉を継ぎ合わせたものに、古歌一首を散らし書きしたのでこの名がある。 紫、藍、赭(赤色)、緑などに染めた鳥の子紙に、白もまじえた粘葉本の断簡(だんかん、切れ切れになった文書)である。 - (国宝)東京国立博物館蔵 「安幾破起乃(あきはぎの)…」の書き出しによりこの名がある。 随一の名品であり、へ変遷する過渡期のものとして大変貴重である。 10世紀末頃の作とされている。 愛知切• 綾地切• 小嶋切• 大内切• 八幡切 その他 [ ]• 集古浪華帖 (道風の消息を集めて、木版で模刻刊行したもの) 逸話 [ ] 小野道風と蛙 道風が、自分の才能を悩んで、をあきらめかけていた時のことである。 あるの日のこと、道風がに出かけると、にが飛びつこうと、繰りかえし飛びはねている姿を見た。 道風は「柳は離れたところにある。 蛙は柳に飛びつけるわけがない」と思っていた。 すると、たまたま吹いたが柳をしならせ、蛙はうまく飛び移った。 道風は「自分はこの蛙の努力をしていない」と目を覚まして、書道をやり直すきっかけを得たという。 ただし、この逸話は史実かどうか不明で、広まったのは中期の『』(おののとうふうあおやぎすずり : 4年〈〉初演)からと見られる。 その後、以前の日本のにもこの逸話が載せられ、多くの人に広まった。 戦後のの教科書にも採用されている。 そんなわけで戦前では知っているのが当たり前というほどの有名人であった。 この逸話は多くのの題材とされ、の札の一つである「柳に小野道風」の絵柄もこの逸話を題材としている。 また現在では上でののの絵柄にこの絵が採用されている。 旧跡 [ ] 神社 [ ] 道風を祭神として祀る神社がいくつか存在する。 - にある神社。 - にある。 参考文献 [ ]• 『』、(46年)• 宝賀寿男編著『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、(61年)・・・系譜セクションの出典• 『人物叢書 小野道風』2013 脚注 [ ]• 名前の読みは「みちかぜ」だが、現代では「とうふう」とすることが多い。 『麟麟抄』巻6• 『源氏物語』「絵合」の巻• 『』によると「は田広し、は米雀門、は火極殿」と非難したという。 道風は65歳ぐらいの頃から目が悪くなり、67歳ぐらいの頃には言語までが不自由になったという。 その頃からの道風の文字はのびのびした線ではなくなり、後世ではこれを「道風のふるい筆」といっている。 山本[2013:38]• 3年()9月の跋がある随筆『梅園叢書』(著)にこの話が記されているが、『梅園叢書』が刊行されたのは2年()のことである。 花札の絵柄に小野道風が採用されたのはからと見られる。 関連項目 [ ]• - 道風の実兄。 - 道風の出身地であるという伝承が残るにある専門。 道風の業績の紹介や様々な書道作品などが、展示されている。 - 道風をにしたの。 - 著作の『』と並んで、道風が春日井出身であることの根拠となっている書物。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - () この項目は、・に関連した です。 この項目は、に関連した です。

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