よきかな 千と千尋。 スタジオジブリ「千と千尋の神隠し」からクイズを出題!

千と千尋の神隠しのハクの性別とその正体の龍神さまにまつわる伝説とは

よきかな 千と千尋

冒頭と結びに登場する彼女ですが、千尋に対してやたらと冷たい態度を取っているように思えます。 対照的に、千尋が迷い込む世界で支配者として君臨している湯婆婆(CV:夏木マリ)は、息子の坊(CV:神木隆之介)に対し過保護であり、かなり甘やかしている様子。 しかし、甘やかされてばかりで何もできなかったはずの坊はネズミに変えられ、家を飛び出し旅をすることで、最終的に千尋の味方をします。 2本足で屹立し、湯婆婆から自立したような状態になるのです。 そしてその描写があった直後、千尋は最後の試練を乗り越え、冷たい態度を取っていた母親のもとに帰ることができたのでした。 子育てにおいて、子どもを立派に自立させることはひとつのゴール。 一見淡白そうな千尋の母親でしたが、やはり最後には帰るべき場所として設定されており、千尋がそれを見失うことはありません。 2人の親の対立構造は、甘やかしてばかりが親の在り方ではないというメッセージになっているようにも感じられます。 宮崎駿監督いわく「カオナシなんて周りにいっぱいいますよ。 中略)ああいう誰かとくっつきたいけど自分がないっていう人、どこにでもいると思いますけどね」とのこと。 彼はカオナシという名前の通り、「個性を持たない」存在として表現されているようです。 実際、カオナシは千尋に自分のことを尋ねられたとき、かなり困ったような表情をしていました。 「自分がない」、「自分の居場所がない」からこそ他者の欲望を煽って自身に取り込み、パーソナリティを得ようとしたのでしょう。 カオナシはしばしば千尋にお金を渡そうとしますが、彼女は断り続けました。 この行為からカオナシは「欲望の象徴」なのではないか、という考え方もあります。 そして、一連の掛け合いや砂金がやがて泥へと変わってしまったことを考えると、この作品には「お金では買えないものがある」というテーマも存在するのかもしれません。 海原電鉄の黒い乗客 3週連続冬もジブリ! 来週は世界が絶賛、日本映画市場圧倒的なNo. 乗客が黒い影で表現されている理由は、作者が宮崎駿であることに注目すれば紐解けそうです。 宮崎駿は宮沢賢治の影響を強く受けていることで有名です。 海原電鉄は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が背景にあると思われます。 死者をあの世へ送るための銀河鉄道に着想を得ているのだとすれば、『千と千尋の神隠し』で舞台となっている八百万の神がいる世界は「あの世」に重ねられているのかもしれません。 海原電鉄の乗客が亡くなった人々として黒い影になっているのも頷けるのではないでしょうか。 その説を支持した場合、『千と千尋の神隠し』という物語は"千尋が味わった一時の臨死体験"とも言えそうですね。 千尋さんは書き間違えただけなのか、わざと間違えたのか…気になるところですぅーー😳 — スタンリー@金曜ロードSHOW! それはなぜなのか。 物語の中で明示されてはいませんが、実は彼女が生還できたのにはきちんと理由があります。 千尋は湯婆婆との契約の際、「萩野千尋」の「萩」の字を「获」と書き間違えていました。 そのおかげで契約は成立しておらず、千尋は現実世界に帰ってくることができたのです。 後にハクからも「湯婆婆に本当の名前を教えてはいけない」と言われた通り、本当の名前でなければあの世界に縛られることはなかったのです。 しかし、ハクは湯婆婆との契約をしっかりとしてしまったせいで、現実世界に帰ってくることはありませんでした。 普通の人より少し遠くを見ていたり、人の内側を見ているような瞳になるように描かれているそうです。 同じような場面は、世界中の逸話にしばしば登場します。 「見るなのタブー」とも言われるこのような描写は、日本の神話やギリシャ神話、旧約聖書にもあり、身近な話としては『鶴の恩返し』などが挙げられます。 物語の結びに古来から用いられてきたそんなお約束を踏まえた上で、千尋に「振り向かないで前を見て進め」とエールが送られているのでしょう。 「行き」のトンネルと「帰り」のトンネルが違うのはなぜ? 荻野一家はトンネルをくぐって神々の世界に足を踏み入れましたが、現実世界に帰って来たとき、トンネルは行きとデザインが異なっていました。 これには、「神々の世界には現実世界と別の時間が流れており、現実世界のトンネルが経年劣化した」という解釈もあります。 しかし、冒頭に建築関係の仕事をしている千尋の父が、トンネルは「モルタル製」であることに触れていますから、帰りのトンネルが石造りになっていることを考えるとその線は薄いのではないでしょうか。 最初から、行きのトンネルには神々の世界に導くための魔法がかかっており、もともと例のトンネルは石造りだったと考えた方が良さそうです。 ユニークな名前が並んでいます。 リンさんの横には「コイ」「ふな」「トロ」…魚の姿をしているのでしょうか。。。 そのほかにも「馬」「へそ」など気になる名前がたくさんあります。 — スタンリー@金曜ロードSHOW! とはいえ、作品の中では風俗のモチーフとして湯女が用いられたわけではありません。 宮崎駿は過去にエンタメ雑誌「プレミア」で、「"あれは日本そのものです。 (中略)みんな千尋が暮らす湯屋の従業員部屋のような、ああいうものだったんですよ。 日本は少し前までああいう感じだったんです。 "」と語っており、風俗産業の表出というわけではなく、日本の労働環境のモデル化という面があるようです。 宮崎駿監督は最後のシーンについて次のように語っています。 「この物語は、何か思いのほか切ない話です。 特に終わり方が。 しかしどの情報も、肝心となるエンディングの内容はストーリー中の様々な場面をつぎはぎにくっつけたような印象を受け、支離滅裂です。 謎めいた展開が魅力であり、国内では他に類を見ないほどの人気作品ですから、「そういえばそんなシーンあったかも」と「幻のエンディング」の存在が本当であるかのように噂が広まってしまったのだと思われます。 これに関しては過去にネットメディアがジブリと東宝に取材をしており、言質を得ていますので、やはり「幻のエンディング」は存在しないようです。 最後の豚の集団に両親がいないと気づいた理由 物語の終盤、湯婆婆が千尋に課したテスト。 それは豚の集団から、豚になってしまった父母を当てるという難題でした。 そこで千尋はその場に父母がいない、と確信を持って湯婆婆に伝えたことで、元の世界へと戻ることを許されます。 なぜ千尋は答えを出せたのか?これについては様々な考察がなされていますが、宮崎監督も明言していません。 ただひとつ言えるのは、物語を通して千尋が大きく成長し、ある種の洗脳(魔法)が解けた状態になったということ。 宮崎監督も「なぜわかるか、でもわかるのが人生ですよ。 それしかないんですよ。 」と答えたそう。 映画の中での経験が、千尋にとって人生を生き抜く確実な力になったのです。 具体的な考察、説明は野暮なのかもしれませんね。 『いつも何度でも』は映画制作前に作られた 主題歌『いつも何度でも』の優しい歌詞は、本作の不思議な世界観と少女の成長物語に寄り添っているように感じられますが、実はこの曲は映画制作前に完成していました。 というのも、前作『もののけ姫』に感銘を受けた木村弓さんが宮崎監督に自らのCDと一緒に手紙を送ったところ、宮崎監督も気に入り、当時企画中だった『煙突描きのリン』が形になったら連絡する、ということで作品概要を木村さんへ伝えます。 そこから着想を得て作られたのが「いつも何度でも」なのです。 しかし、ある理由がありボツになってしまった『煙突描きのリン』。 曲もお蔵入りしかけましたが、当初『千と千尋の神隠し』の主題歌になる予定だった『あの日の川へ』の作詞が難航し、再度監督が『いつも何度でも』を聴き直したところ、歌詞が映画と合致していることに気が付いたそう。 そして主題歌に起用されたという不思議な繋がりのある曲だったのです。 幻の先品「煙突描きのリン」 先述した『煙突描きのリン』は、1998年6月から企画が進められていました。 物語としては、大地震に見舞われた東京を舞台に、銭湯の煙突に絵を描く18歳の学生・リンが、東京を影で支配する集団と対峙し、戦うというもの。 ですがその制作中、鈴木プロデューサーは鑑賞した『踊る大捜査線 THE MOVIE』で感じた「リアルな若者の気持ち」に衝撃を受けます。 そして、その気持ちを宮崎監督に伝えます。 若者とは言えない自分たちが、本当に若者の気持ちを表現することができるのか疑問に思ったというわけです。 結果監督も納得し、この作品が日の目を見る日はありませんでした。 その後、千尋と同年代の子どもたちに向けた『千と千尋の神隠し』を手掛けるのですから、制作側の心境の変化もうかがえます。 最後に 『千と千尋の神隠し』に関する噂や謎、作品に込められたメッセージやテーマについて考察しました。 公式の見解が出揃っているわけではないので、一概に言えることではありませんが、これほど考察が深まるのはジブリ作品の特徴であり、醍醐味といえるでしょう。 スポンサーリンク.

次の

「よきかな」の意味とは?千と千尋で腐れ神が言ったセリフの意味!! | ページ 2 | 情報トレジャー

よきかな 千と千尋

」 「千はどこだ!千を出せ!」 「千~っ。 小娘が何を食わしたぁ!!」 「 欲しがれ」 概要 黒い影のような体にお面をつけたような姿をしている。 手から金などの人が欲しがるものを出す力を持つが、それはただの土くれを変えたものに過ぎず、それを欲した瞬間に相手を飲み込んでしまう。 また「己」を持たず、呑み込んだ他人の声を借りなければ会話ができない(普段は「あ・・・」や「え・・・」と言ったか細い声を搾り出すだけで、表情も無い。 ただし後述の様に相手の言葉にある程度反応はするため、簡単なボディーランゲージなら可能な模様)。 後、僅かだがお面にも感情が反映されてたりしている。 橋の欄干でハクの術で気配を消して見えないはずのを見かけた時から執拗に彼女を求めるようになり、の一件の前に、渡り廊下の外で佇んでいたが千尋に招き入れられた この時は「雨に紛れてろくでもないものが紛れ込んだかな?」と感づいていた 際はもっと喜んでもらいたい一心で番台蛙から薬湯の札を盗んだり、大量の金を手から出し千尋に渡そうとした。 その後オクサレ神様の身体からこぼれ出た砂金に興奮する従業員達を見て土くれでニセの金を大量生産できる力を使い、それを餌に夜間に大湯に忍び込んだ青蛙をおびき寄せ、ニセの金に手をつけた瞬間捕まえ呑み込み、青蛙声で喋るようになる。 その後兄役から、大量に金を出せる「お大尽様」と呼ばれ、もてなされてはたらふく食べて肥大化していく。 再び出会った千尋にも砂金を差し出したが断られ、絶望したところにやってきた兄役の愛想笑いに逆上し、手に残った一つの金を落とし、取ろうと近くでいた従業員の湯女と共に飲み込んでしまう。 その後更に肥大化して千尋と対面するが彼女に拒絶され、残った最後の苦団子を食べさせられると強烈な味に今まで食べたものを嘔吐し、怒りで暴走(この時湯婆婆の魔法攻撃すら弾き、逆に吐瀉物の泥で埋めてしまった)し、飲み込んだ人々や、食べた物が変化したと思われる泥を千尋を追いかけている途中に全て吐き出し、元の姿に戻った。 元に戻った後はまた大人しい性格に戻り、千尋についての所に行き、そのまま引き取られ銭婆の所に留まることになる。 余談 実はが現れる場面と前後して登場している。 千尋のセリフから「ハクって人は二人いるの?」とリンに尋ねる場面があり、ハクの正体はカオナシなのかと思わせたこともあったが、終盤で一緒に映る場面は無いが、竜のハクと交互に登場している。 元々は重要キャラではなく、単なる「橋の上で単にハクの術で気配を消していた千尋が見えており、通り過ぎるだけの何か」(つまり )程度であったが、監督が物語を進めるに当たって、後からキーパーソンになるキャラに起用した経緯を持つ。 顔を持たないというキャラクター性から、海外版においても名称の変わらないキャラクター達の中で唯一彼のみが各国語に翻訳された名前が使われている。 (例:英語圏なら「No Face(ノーフェイス)」など) フィルム・コミック「千と千尋の神隠し3」には「仮面男」と書かれ、後にモデルがであったことが明かされている。 が、後に本人が後付けであると述べた。 正体 宮崎監督曰く「カオナシは誰の心にも存在する」という。 カオナシは現実世界でも油屋の世界でも居場所のない不安定な存在で、 千尋に故郷や親について聞かれた時に困惑した、また、銭婆にとどまるよう言われた=居場所を提供されたとき非常に喜んだことから 出処は 人間の心なのだろう。 そのキャラクター性を「 主体性が無く、居場所も無く、拾い物の他人の言葉でしか喋れず、金品を以外の他人(特に)とのがわからず、拒絶されたと思いこむとキレて暴れだす」とざっくり要約すれば、程度の差こそあれど大なり小なり身に覚えのある人はけっこう多いのではなかろうか。 千尋が来るまでは一般的に馬鹿にされていた人物がこれほどの大問題を起こすほどの力をつけたというのもなんらかの因果を感じる。 また、カオナシは 欲の権化、とくに 金銭欲であるという意見もある。 金銭欲に取り憑かれた湯婆婆は「ヤバい」という事を事前に察知するが侵入を防げず、大損をすることになる。 同じく、従業員も、上役に至るまで、湯婆婆に通すこともせずに上客としてもてなしてしまう。 しかし、金銭欲に惑わされず、 河の神様やハク、カオナシや坊への接し方などから暗示されている 物事の本質を捉えられる千尋や銭婆 絵コンテには、財力にも溢れる優れた魔女であると書かれている はカオナシに取り込まれる事はなかった。 一方で、人間がカオナシに取り込まれると、元の世界に戻れても金の亡者に成り果ててしまうのではないだろうか? そして、財力を持ちながらも金銭欲に縛られない銭婆の下こそ、カオナシが安住できる環境であると仮定できる。 金銭欲の権現だったカオナシは、個性を失い自分の感情を表現する事もままならなかったが、千尋達と出会い感情を取り戻し、最終的には彼自身が憑き物が落ちた様に解放されている。 また、「 世界のルールに従わざるを得ない」という本作の設定の一つからして、カオナシは「ハクや従業員を魔法で奴隷にしようとしていた 絵コンテより 」&「財を他者の為に使う事もせず、神々の疲れを癒す仕事とはいえ金の亡者に成り果て他者を欲のために苦しめていた」、そして、神であるハクを奴隷として苦しめ悪事を働かせたり、息子の事を見ているようで見えていなかった 湯婆婆に降りかかった「天罰」や「神罰」なのでは?などの声もある。 これらの悪しき結果に対し「神々の為」という罰当たりな言い訳を考えさせてしまいかねない意味でも、湯婆婆を踏み留まらせるための神罰および神々からの贈り物だとも考えられる。 同時に、当初は落ち込んでやる気をなくしていて、そして同じ人間の可能性がある 千尋だからこそ欲に駆られたり焦ったりせず、カオナシを最初から受け入れ、無下にしなかった千尋は、金ではなく本当に欲しかった物である、家族とハク つまりハクの名前 と自分の自由を手にする事ができた。 河の神様の苦団子やおしら様がエレベーターで隠してくれた事、千尋が最初に出会ったり傷付いたハク龍の姿を見た従業員がリンだった事、カオナシの来訪、ハクを操っていたすばやい虫を千尋が踏み潰した事、など あらゆる事が千尋やハク等の心正しい者達への救いだった、または 「成長する機会や改心する機会があればやり直せる者達」へのチャンスだったとも取れる。 それは同時に、 千尋一家の来訪も、神々の為に働くが魔法で縛られてきた油屋の面々や、自身を欲とエゴとコンプレックスで縛っていて、息子の本当の姿すら見えていなかった湯婆婆への神々からの贈り物だったのかもしれない。 事実、終盤では湯婆婆に意見をしたりブーイングする、千尋を応援するなど、従業員達にも多少の変化が見られていた それ以前からも、河の神様の砂金の没収に対して不満をもらすなどはあったが。 そうすると、一見天罰にも思える損をしている湯婆婆も、息子の成長、本当の息子と向き合う機会を与えられた、従業員との心の壁の消失と其による将来的な仕事の効率化、等々、やはり救われている事になり、宮崎監督の「本当の意味での悪人はいない」、つまり「やり直せる者へのチャンスは与えられる」といる事にも繋がる。 彼の言葉の意味について 実は彼の言葉にはある程度の法則がある。 つまり、言葉だけでもある程度カオナシが何を考えているのかある程度読み取ることが出来る。 この時仮面の表情も変わっている。 あ・・・ 物をあげるときに使うことが多い。 基本的に物を差し出しながら発する。 仮面の表情はどことなく笑顔。 え・・・ 断られるなどしてショックを受けているときに使うことが多い。 文字通り「え・・・」という意味である。 仮面の表情はどことなく落ち込んでいる。 その他 演じた中村は当時、日本テレビ系列『ズームイン!! SUPER』のインタビューに答えており、「うめき声しかセリフがなく、演じ分けるのに苦労した」と語った。 ちなみにCM前はモザイク代わりにカオナシの仮面で顔を隠されていたため、見様によっては 「流暢にしゃべるカオナシ」というかなりシュールな珍場面となった。 主要人物になるに当たり、初期のイメージは星の模様が付いたマントや体などがあしらわれ、髪も緑色で痩せたカオナシはややファンタジックなヒーロー調となっている。 宮崎駿が作詞したカオナシの歌がある。 歌詞は「さみしい」、「たべちゃいたいの」など、カオナシの欲っしても満たされない孤独な心を表現した少々おぞましいものとなっている。 の漫画『不安の立像』に仮面のないカオナシのような"影"が登場する。 アニメ『』に、 「」という不気味なを着けて本作のカオナシと似た特徴も有する ののようなが登場する。 pixivでは pixivにも多くのイラストが投稿されている。 そのなかには、などカオナシをに書いたイラストがあり、人気を集めている。 関連イラスト.

次の

カオナシ (かおなし)とは【ピクシブ百科事典】

よきかな 千と千尋

こんにちは、小法師です! 2019年8月16日(金)19時56分~22時54分まで、日本テレビ「金曜ロードSHOW! 」で「千と千尋の神隠し」のノーカット放送がありますね!アカデミー賞受賞作品であり、日本歴代映画興行収入第1位に輝き続ける名作を観る機会がやってきました! かわ 2001年7月に日本で公開されて、世界中でも公開されるようになった宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」。 毎年のようにテレビで放映もされていますが、やっぱり見てしまうんですよね 笑 不思議な世界での物語なんですが、最近見返していて「どういう意味かな?」というのがありました。 ヘドロの塊のような生物・オクサレ様・・・実は川の神様なんですが、お風呂に入りに来て、主人公の千が面倒を見てとてもきれいになった。 そして最後に綺麗になった川の神様が「よきかな・・・」というセリフを残しつつ、お店を出ていくんですよね。 そして千の手に「団子」が握られていた・・・。 どういう意味があるのかな・・・と思い、色々と調べながら私なりに考察したいと思います! 早速いってみましょう! 千と千尋の神隠しの川の神の団子の意味は? 川の神が立ち去った後、千の手に握られていた黒い団子。 どういう意味があるのか考えてみました。 浄化させる食べ物 今、千と千尋の神隠しに出てくる苦団子食べたら黒〜いの吐き出しそう。 むしろ出して浄化させたい。 この団子、実は大きな役割を担っています。 色々と食い散らかして悪賢く成長してしまった「カオナシ」や、湯婆婆が「ハク」の体に忍ばせた「黒い虫」によって呪われてしまった「ハク」にそれぞれ食べさせたところ、様々なものを吐き出しました。 その結果、カオナシはいつものおとなしい感じになり、ハクは呪縛から解き放たれたわけです。 千も苦団子を口にしたけれど? ジブリ映画「千と千尋の神隠し」思い出した。 髭じ~は、ありったけの薬草を調合し、湯を炊く。 千は御腐れ様の背中に刺さっていたパイプを引き抜き、見事、元の川の神に戻す。 — 氏 家 健 策 Kensaku Ujiie kensaku4737 千も口にはしましたが、思いっきり苦い顔をしただけで、何も吐き出しはしませんでした。 これは、きっと千が欲望に囚われているわけではなく、純粋な心を持っているからではないでしょうか。 川の神様がお風呂に入りに来た時、それはそれはヘドロの塊のような異臭を放ち湯婆婆からは「オクサレ様」と呼ばれていました。 そんな「オクサレ様」を相手にしても千はありったけの薬湯を使って、丁寧に対応をし、きれいにしようと精一杯対応をしていました。 その結果、「オクサレ様」の体に刺さっていた不法投棄されたであろう自転車をも引っこ抜いて、体中に溜まっていたあらゆるゴミをきれいにしたわけです。 そういう気持ちをもった千ですからね。 人間ですから多少の毒っ気はあると思いますが、何かを吐き出すような浄化しなければいけないような不純なものはもっていなかったのではないかと思います。 上のtweetが川の神様ですが、非常にすっきりとした顔をしてお店を出て行かれました。 その時に残した言葉が「よきかな」でした。 「よきかな」=「よくやった」 「よきかな」を辞書などで調べてみると「よくやった」という意味があるようです。 「よき」が「良い」という意味。 「かな」というのは「詠嘆の終助詞」という意味を持っているそうです。 何かに感動した後に「~だなぁ」という言葉となります。 きれいな夕日を見た時「きれいだなぁ~」と感情をこめて思うことあると思いますが、その「だなぁ~」の部分ですね。 川の神様の気持ち=よきかな 川の神様が、千が行った行動に対して「よくやった~ありがとうね~」という意味を込めて『よきかな』といったのでしょうね。 「かな」という言葉がついているから余計に川の神様の気持ちが伝わってきます。 そりゃ~あれだけのゴミやヘドロ、挙句の果てには自転車が身体の中にゴミとして溜まっていたわけですから。 それをきれいにしてくれた人に対しては神様と言えども「よきかな」と言いたくなりますよ。 ここまで書いていると、「よきかな」の一言に、「あ~すっきりした~気持ちよかったよ~ありがとね~」という意味が含まれているのではないかと感じてしまいました 笑 川の神に名前やモデルはあるの? 「よきかな~」というセリフを残して、気持ちよく去っていった川の神様。 名前やモデルはあるのでしょうか。 川の神様の名前は? 調べた結果、正式な名前はありませんでした。 映画の中でも「オクサレ様」と呼ばれて、千がきれいにした後には「名のある川の神」とだけ呼ばれていましたからね。 川の神様のモデルは? 正式な名前がついていませんから、そうなるとモデルとなった川もありません。 しかしながら私が考察する限り「日本の川」がモデルとなったといえるのではないかと思うのです。 高度成長期、日本はとても豊かできれいな自然を犠牲にしてまで経済優先で来ました。 その結果、人の欲望によって、ゴミが不法に投棄されたり、工業排水によって綺麗な川は汚れていきました。 それまで日本の川は自然豊かできれいな水でしたから飲むこともできれば、魚も自由に泳いでいる。 そういう時代があったはずです。 今一度、きれいな川のある生活を目指したいものです。 千が「オクサレ様」と呼ばれていたものを、甲斐甲斐しく磨いていくことによって本来の姿「川の神様」にもどしたように、生活を改める必要があるかもしれませんね。 ハクも川の神様だった? 川の神様からいただあいた「団子(ニガダンゴ)」を口にしたことによって、湯婆婆が操るために体に忍ばせていた「黒い虫」を吐き出したハク。 その結果、そのハクが映画の最後の方で名前を思い出しますね。 それが「ニギハヤミコハクヌシ」という名前。 これは、千が以前に住んでいた町の近くに流れてた「コハク川」という川の神様だったのです。 思いだした時のシーンですね。 目がとてもきれいになっているな~と思いました。 【千と千尋の神隠し】 「千尋。 ありがとう。 私の本当の 名は、ニギハヤミコハクヌシだ。 」 byハク あかっぱのイケメン男子なのか はたまた龍なのかと思いきや 地元の河の神だった。 団子は「浄化させる物であり、よきかなは「よくやってくれたね~」という意味。 もっといえば「よくやってくれたね~ありがとう~」という感謝の気持ちがこもった意味ではないかと思うのです。 川の神様とのやりとりを通じて、ひとつ成長した千。 私もニガダンゴを食べたら、きっと多くの物が身体から出てくるのではないかなと思っています 笑 欲望に身を任せて金を稼ぐために自然を壊すのではなく、川をきれいにしたり、自然を共存しながら生活を送っていこうと思わせてくれた場面でした。 以上が私の考察となります。

次の