人事万事塞翁が馬。 色紙に書く 座右の銘「人生万事塞翁が馬」|十四代今泉今右衛門|今右衛門

人間万事塞翁が馬

人事万事塞翁が馬

【注釈】 昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。 やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。 人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。 すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。 人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。 一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。 しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。 単に「塞翁が馬」ともいう。 人間は「じんかん」とも読み、「人類」ではなく「世間」を意味する。 【出典】 『准南子』人間訓 【注意】 「が」は所有を表す格助詞だが、「塞翁の馬」とはいわない。 人間を「にんげん」と読むのは間違いで、正しい読みは「じんかん」であるとの指摘も多いが、どちらの読み方をしても「世間」の意味があり、「にんげん」が誤読ということはない。 本サイトでは、一般に多い読み方である「にんげん」を採用している。 【類義】 / 【対義】 - 【英語】 Joy and sorrow are today and tomorrow. (今日の喜び明日は悲しみ) A joyful evening may follow a sorrowful morning. (悲しみの朝の後には喜びの夕べが訪れる) 【例文】 「就職試験に落ちたからと言って落胆する必要はない。 人間万事塞翁が馬というだろう?」.

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「人間万事塞翁が馬」の意味とは?使い方や類義語、英語表現を解説

人事万事塞翁が馬

「人間万事塞翁が馬」の読み方・意味 「人間万事塞翁が馬」の読み方は「にんげんばんじさいおうがうま」 「人間万事塞翁が馬」は、 「にんげんばんじさいおうがうま」と読みます。 「人間万事塞翁が馬」の「にんげん」は、 「じんかん」とも読まれることもあり、 「じんかんばんじそうがうま」と読む場合もあります。 「人間万事塞翁が馬」の意味は「人生の禍福は最後まで予測できない」 「人間万事塞翁が馬」の意味は 「人生の禍福は最後まで予測できない」という意味です。 「塞翁」とは昔、中国の北方にあるとりでの近くに住んでいた占いをよくしていた老人の事を指しています。 さらに細かくわけると「塞」が「とりでに住む」という意味で「翁」は「老人」という意味です。 「人間万事」は「人間のありとあらゆること(幸や不幸)」という意味で使われています。 「塞翁が馬」という言葉は、 「人生の幸不幸は予測しがたいこと」という意味として使われる言葉です。 なぜ、そのような意味となるかは、後述します。 「人間万事塞翁が馬」の語源・原文(漢文) 「人間万事塞翁が馬」のは語源は「淮南子(えなんじ)の人間訓」 「人間万事塞翁が馬」の語源は、 「淮南子(えなんじ)」の人間訓にあります。 「淮南子」とは、中国の前漢時代に「淮南(わいなん)」の、「劉安(りゅうあん)」という国王が書かせた哲学書のことです。 「淮南子」は 様々な学者や思想家の書物を一冊にまとめたものです。 「人間万事塞翁が馬」は、その「淮南子」の「人間訓」に書かれた逸話が由来の言葉です。 「人間訓」とは、日本語で、「人生の利害禍福等について述べたもの」と訳されています。 中国語で「人間」とは、「人」のことではなく、「世の中」を指しています。 「人間万事塞翁が馬」の原文(漢文) 近塞上之人、有善術者。 (塞上さいじょうに近ちかきの人ひとに、術じゅつを善よくする者もの有あり。 ) 馬無故亡而入胡。 (馬、故無なくして亡げて胡に入いる。 ) 人皆弔之。 (人皆之を弔す。 ) 其父曰、此何遽不爲福乎。 (其の父曰わく、此れ何遽ぞ福と為ならざらんや、と。 ) 居數月、其馬將胡駿馬而歸。 (居ること数月、其の馬、胡の駿馬めを将いて帰る。 ) 人皆賀之。 (人皆之を賀す。 ) 其父曰、此何遽不能爲禍乎。 (其の父ほ曰わく、此れ何遽ぞ禍と為る能わざらんや、と。 ) 家富良馬。 (家、良馬ば富む。 ) 其子好騎、墮而折其髀。 (其の子、騎を好み、堕ちて其の髀を折る。 ) 人皆弔之。 (人皆之を弔す。 ) 其父曰、此何遽不爲福乎。 (其の父曰わく、此れ何遽ぞ福と為らざらんや、と。 ) 居一年、胡人大入塞。 (居ること一年、胡人大いに塞に入る。 ) 丁壯者引弦而戰、近塞之人、死者十九。 (丁壮なる者、弦を引きて戦かい、塞に近きの人、死する者十に九なり。 ) 此獨以跛之故、父子相保。 (此れ独り跛の故を以て、父子相保てり。 ) 故福之爲禍、禍之爲福、化不可極、深不可測也。 (故に福の禍と為り、禍の福と為るは、化極むべからず、深測るべからざるなり。 ) 「人間万事塞翁が馬」の原文(漢文)の解釈 中国の北方に占いの得意な老人(塞翁)が住んでいた。 ある日、塞翁の飼っていた馬が、逃げていなくなってしまった。 人々は、哀れに思い、塞翁に慰めの言葉をかけた。 しかし、塞翁は、これは「幸いになるだろう」と言った。 暫くして、逃げた馬が、駿馬(立派な足の速いすぐれた馬)を連れて帰ってきた。 人々はその出来事に対して、お祝いの言葉を述べた。 しかし、塞翁は「これは災いになるだろう」といった。 暫くして、塞翁の息子が駿馬から落ちて足の骨を折ってしまった。 それを知った人々は、塞翁にお見舞いの言葉をかけた。 すると塞翁は、「これは幸いになるだろう」と言った。 それから一年がたって、隣国と戦争が起きた。 乱戦で、若者たちのほとんどが命を落としてしまった。 しかし、塞翁の息子は足を骨折していたため、戦争に行くことなく命が助かった。 「不幸が幸福に、幸福から不幸にもなりえるので最後まで予測ができない」というこの塞翁の出来事から、その例えとして「塞翁が馬」という言葉が使われるようになりました。 「人間万事塞翁が馬」の使い方 「人間万事塞翁が馬」は、日常会話で使用することはほとんどないかもしれません。 例えば、 スピーチなどで「過去には大変なこともありましたが、今は幸せなので、人生何があるかわかりませんよね」という ポジティブな意味合いで「人間万事塞翁が馬」を使ったりということが例にあげられます。 その反対で、「良いことがあっても、悪いことが起きる可能性もある」という ネガティブな意味合いで使用することもあります。 また、「人間万事塞翁が馬」には様々な解釈があるので、使用するときは自分自身の解釈の内容で使用して大丈夫なのですが、聞き手となっている場合は、どのようなニュアンスで使われているのか汲み取る必要がある場合があります。 「人間万事塞翁が馬」の解釈の仕方はたくさんある 上記で説明しように、語源が「古い漢文」にあるということや、「淮南子」が様々な思想家の考えを集めた作品であることから、解釈の仕方がたくさんあります。 どれが正しくて、どれが間違いということはありませんので、自分なりの解釈で使用しましょう。 「人間万事塞翁が馬」の代表的な解釈を紹介します。 ・人生の幸や不幸は、予測できないものであるので、一喜一憂すべきではない ・人間は、幸と不幸を繰り返し定まらない ・幸福は喜ぶことでもなく、不幸は悲しむことでもない ・世の中で起きることは予想をつけることはできない 「人間万事塞翁が馬」は座右の銘としても使われる 「人間万事塞翁が馬」を、人生の座右の銘にしている人もいます。 「不幸なことがあったとしても、それが幸福に転じることがあるからどんな時も前を向いていこう」という前向きな意味として座右の銘にする人や、「幸せなことがあったとしても、何が起きるかわからないから油断しない」という意味で座右の銘にしている人もいるでしょう。 上記で説明したように、様々な解釈があるので様々な意味合いで格言としている人がいると言えるでしょう。 単に「塞翁が馬」とも使われる 「人間万事塞翁が馬」は、「塞翁が馬」という言葉だけでも使用されます。 「塞翁が馬」のみでも、「人間万事塞翁が馬」と同じように、「人生の禍福は最後まで予測できない」という意味になります。 小説のタイトルで使われた「人間万事塞翁が丙午」 「人間万事塞翁が馬」は、「人間万事塞翁が丙午」という小説のタイトルにも使用されています。 「人間万事塞翁が丙午」の作者は、青島幸男さんです。 戦時中から、戦後にかけての下町の生活風景を、独特の調子をつけて語りかける「講談」という書き方で記述してある作品です。 この「人間万事塞翁が丙午」は、中国の漢文である「 人間万事塞翁が馬」のパロディとなっています。 「人間万事塞翁が馬」の類語 沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり 「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」は、 「人生は浮き沈みがあり安定しない」ということの例えです。 「人生は、不幸なことがあれば幸運なこともあるので、今不幸なことがあっても次には良いことがあるかもしれないので、くよくよするべきではない」ということを意味しています。 〇「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」を用いた例文 「今年は去年よりもよい1年でした。 沈む瀬あれば浮かぶ瀬ありですね。 」 「沈む瀬あれば浮かぶ瀬ありだから、悲しい事があってもそんなに落ち込まないで!」 「沈む瀬あれば浮かぶ瀬ありを座右の銘にどんな事があってもうよくよしないで生きます」 禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし) 「禍福は糾える縄の如し」は、 「幸福と不幸は巡り巡ってやってくる」という意味です。 世の中、不幸が転じて幸福になったり、逆に幸福が転じて不幸になったりするということから、 「災い(不幸)と幸福は、ちょうどより合わせた縄のようなものである」ということの例です。 〇「禍福は糾える縄の如し」を用いた例文 「お財布を落として大変な目にあいましたが、親切な方に拾っていただき素敵な出会いがありました。 禍福は糾える縄の如しですね。 」 「今は悪い事が続いているけれど、禍福は糾える縄の如しと信じて前向きに生活します。 」 「信じられないくらいの幸運が続いているが、禍福は糾える縄の如しなのでこれから不幸が待ち受けているかもしれませんね」 一寸先は闇 「一寸先は闇」とは、 「この先のことは、まるで予想がつかない」という意味です。 「一寸(約三センチ)先でも暗闇ならば何も見えないように、これから先の事も、どんなことが待ち受けているのかまるで予想がつかない」ということの例えです。 〇「一寸先は闇」を用いた例文 「今は大富豪だけど、一寸先は闇だから、この先貧乏になるかもしれないよ」 「あんなに仲の良かった夫婦が離婚するなんて一寸先は闇だね」 「今は成功しているけど、一寸先は闇というので気を抜かずに努力しよう」 人生何があるか分からない 「人生何があるかわからない」は、 「人生は、どんなことが起こるか予想ができない」というような意味合いで使われる言葉です。 何か、予測していなかったような出来事が起きた時に使用されます。 ポジティブな意味でも、ネガティブな意味でも使われます。 〇「人生何があるかわからない」を用いた例文 「運動しかしてこなかったような少年が、医者になるなんて人生なにがあるかわからないものだ」 「人生何があるかわからないから億万長者になるのも夢じゃないよ」 「あんなにいい子だったのに犯罪を犯してしまうなんて人生何があるかわからないね」.

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人間万事塞翁が馬の意味と読み方、座右の銘にもできることわざ

人事万事塞翁が馬

もくじ• どういったことわざか 人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)は 幸せや災いというのは予想ができないものだ、 という意味です。 もうちょっと補足すると 幸せだと思っていたものが不幸の原因になったり 禍(わざわい)の種だと思っていたのが 幸運を呼び込むことがある、 という意味も含んでいます。 あわせてご覧ください似た意味のことわざに、禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)というものがあります。 むかし、中国の北方の塞(とりで)のそばに おじいさんが住んでいました。 ある時、このおじいさんの馬が逃げ出してしまったので 近所の人が気の毒に思っていましたが おじいさんは 「このことが幸運を呼び込むかもしれない」 と言いました。 しばらく後に、逃げ出した馬が戻ってきました。 しかも、他の馬を連れてきており それは、とても足の速い立派な馬でした。 近所の人が喜んでいると、おじいさんは 「このことが禍(わざわい)になるかもしれない」 と言いました。 すると、この馬に乗っていたおじいさんの息子が 馬から落ちて足を骨折してしまいました。 それで近所の人がお見舞いに行くと 「このことが幸いになるかもしれない」 と、おじいさんは言いました。 やがて、戦争が起き、 多くの若者が命を落とすことになりましたが、 おじいさんの息子は足を怪我していて 戦争に行かなかったため無事でした。 ……という話です。 「このじいさん何言ってんだ」 などと思うなかれ、彼は占いが出来たのです。 これは中国の「淮南子(えなんじ)」という書の 「人間訓(じんかんくん)」という部分に 載っている話で、 禍と思っていたのが幸運の原因になり 幸運と思っていたのが禍の理由になり さらにそれが幸運となった、 というややこしい話ですが、 ようするに 幸や不幸は簡単には予想できない ということになります。 なお、塞翁が馬の 「塞」は砦、要塞という意味で 「翁(おきな)」はおじいさんです。 「塞翁」だと砦のそばに住んでいるおじいさん、 ということですね。 人間万事の「人間」は ここでは世の中、世間ということなので 「人間万事塞翁が馬」だと 世の中のことはすべて 何が幸いして何が禍するか分からないものだ という意味になります。 スポンサーリンク 読み方はどっち? このことわざで、疑問になるのが 人間万事塞翁が馬の読み方です。 辞書では「にんげんばんじさいおうがうま」 と書かれているので、こちらが正しいようですが 出典の「淮南子-人間訓」は、 「えなんじ-じんかんくん」と読む、 また、中国語では「人」と書くと 日本語と同様、人そのものですが、 「人間(じんかん)」と書くと 「世間、この世」という意味になり 人間万事塞翁が馬は 「世の中のことは何が幸いして禍するか分からない」 というような意味ですから ここでの「人間」は中国語の「じんかん」だとして 人間万事塞翁が馬は 「じんかんばんじさいおうがうま」 という読み方もされます。 どちらの読み方をするかは人によりますが こだわりがなければ、辞書に載っている 「にんげんばんじさいおうがうま」のほうが 意味が通じやすいので、こちらを使い、 由来にこだわりたいのであれば 「じんかんばんじさいおうがうま」 という読み方をするといいでしょう。 また、単純に「塞翁が馬(さいおうがうま)」 とだけ言ったほうが間延びしなくて かっこいいかもしれませんし、実際にこれでも通じます。 塞翁の馬じゃないの? もうひとつ、気になるかもしれないのが 「塞翁が馬」の「が」の部分。 上記の故事から分かるように おじいさんの馬だったので 「塞翁の馬」じゃないの? と思われるかもしれません。 塞翁が馬だと 「おじいさんの正体は馬だった」 みたいな意味になりますからね。 ですが、これは簡単なことで 「が」も「の」と同じ、 所有を表す格助詞として使えるからです。 たとえばヘミングウェイの有名な小説 「誰がために鐘は鳴る」などもそうですが 古風な言い回しの場合、 「が」を「の」と同じ意味で使うことがあります。 したがって、「塞翁が馬」も おじいさんの馬、ということになります。 使い方、座右の銘として 読み方や助詞の使い方など いささか勉強っぽい内容になりましたが もちろん大事なのは、 実際にどういった使い方をするかです。 例えば不運なことが合った場合、 「塞翁が馬というから、気を取り直してがんばろう」 といった感じではげましたり、 反対に、幸運なことでも 「塞翁が馬の話もあるので、油断しないでおこう」 と戒めることもできます。 現実にも ・良い企業に就職できたが仕事が合わなく大変な思いをする ・新車が手に入って喜んだら事故を起こした 反対に ・第一志望の学校に落ちたが、 仕方なく行った第二志望の学校が思いのほか楽しかった ・入院したのをきっかけに自分の時間を持つことができた など、良いことがきっかけで悪いことが起きる 悪いことがきっかけで良いことが起こる というのは、おそらく誰の人生にもあることでしょう。 生きていけばいくほど 実感を伴うようになることわざです。 逆境に陥ってもそれを逆用するぐらいにする、 物事が順調に進んでも油断しない、 いろいろなことにやしない どっしりとした人生を過ごすためにも 塞翁が馬をにするのもいいですね。 あわせてご覧くださいこちらで書いていることわざも役に立ってくれるでしょう。 いろいろな言い回しがあって いかに奥深いことわざかがわかりますね。 似た意味のことわざは 禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし) 沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり(しずむせあればうかぶせあり) があります。 禍福は糾える縄の如しは 先ほども少し述べましたが、 ドラえもんにも使われたことわざですね。 よかったらご覧くださいね。

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