ヨーロッパ 鉄道 路線 図。 ユーレイルパスの路線図

スロベニア鉄道

ヨーロッパ 鉄道 路線 図

9,288kmポスト() 西部に位置する首都から、ロシア連邦東部のまでを繋ぐ鉄道である。 正確にはロシア連邦中南部に位置するのから南東部のにある岸のウラジオストクまでの7,416kmの区間を指すが、一般的にはその他の路線も含めたモスクワ - ウラジオストク間9,289km を指す事が多い。 「」はモスクワのを出発し、まで約7日間をかけて走破する。 航空機が登場するまでは、とを結ぶにおいて最速の交通路であった。 モスクワからシベリア(オムスク駅)までのルートは幾度か変更されており、2000年代以降は南寄りのモスクワ - - - - - - - の路線が使われる。 従来はモスクワから北東へ向かうモスクワ - - キーロフ - - 経由の路線を使っていた。 さらに南寄りのモスクワ - - - - エカテリンブルクの路線、モスクワ - - - - - - (領) - オムスクを経由する路線もありうる。 特にサマーラやチェリャビンスクを経由する路線は開業当初のシベリア鉄道のメインルートでもあった。 以上3つが更に広義のシベリア鉄道である。 後に、第二シベリア鉄道と呼ばれる (バム鉄道)が建設された。 バム鉄道の西の始点はシベリア鉄道との分岐点であり、東は日本海に面したを通りの港へ至る。 シベリア鉄道はの南を通るが、バム鉄道は北を通る。 中華人民共和国と、との直通運転がある。 歴史 [ ] 計画まで [ ] シベリア鉄道の地図(1897年当時の路線、ドイツで出版されたもの) シベリアに鉄道を建設する案は、でが完成した後のに既に生まれている。 1850年代 [ ] シベリア鉄道の計画は、から始まり、その初期段階は1860年代まで続く。 は、1850年に()を占拠。 その後、遠征の功を挙げると、のカストリ湾とアムール江岬のソフィウィスクとを連結する馬車道を建設しようとした。 しかし、これは果たせずに終わった。 また、同時にイギリス人技師ダンはより及びを経て、太平洋岸の一港に達する馬車道建設を発議したが、政府は耳を傾けなかった。 同年、アメリカ人コリンズはアムール鉄道株式会社を設立し、・間に鉄道を敷設する請願を出したが、精密な調査の後に廃棄された。 その他計画、請願は多数に登ったものの、いずれも実行に移されることはなかった。 1860 - 1870年代 [ ] こうした頓挫にもかかわらず、1860年 - 1870年代は重要な進展を見せた。 のの救済法を視察する為、に同地方へ派遣されたコロテル・バグダノウィッチが任務を大体終えた3月23日、内務大臣に電報を送り、「将来、地方の飢饉を防御する唯一確実の方法は、内地よりへ、エカテリンブルクよりチュメニへ鉄道を敷設する事にあります。 このような線は、将来シベリアを貫き中国境に達するに及び、軍事上及び貿易上最大重要のものとなるでしょう」と述べた。 この報告はいくらかの注意を引くことになった。 貿易家リウビモフは、1869年にペルムよりクングル、エカテリンブルグ及びシャドリンスクを経て、ウルガンの北49のビエルーゼンスク村までを実測し、報告した。 また、西シベリア総督クルシヨフは同年、()に意見書を提出し、シベリア連結鉄道速成の必要を論じ、ニジニ・ノヴゴロドよりカザンを経て、チュメニに至る線の近い事を説明した。 こうして、三つの計画案である、バグダノウィッチの北方線路、リウビモフの中央線路、クルシヨフの南方線路が生じ、政府内においてもその実現に向けての議論が始まった。 政府においては議論の末、約700ベルスタの線路によってととを連結する事は可能とし、特別に委員を選定し、ウラル地方に派遣した。 委員はウラル鉱業の利益とシベリア貿易の利益の両立を計量の基礎とする事を当初の指針としていたが、両立の不可能な事をみてとり、後者を排して前者を優先する事となった。 やがて政府は1872年に渡る測量の後、三幹線を計画した。 すなわち、• キテシュマ - ヴャトカ - ペルム - エカテンリンブルグ 933ベルスタ• ニジニ - カザン - クラスヌ - フィムスク - エカテリンブルグ 1172ベルスタ• アラチル - ウファ - チェリャビンスク 1173ベルスタ また、審査委員会は1875年において、ニジニ・ノヴゴロドより岸に沿い、カザン、エカテリンブルグ及びチュメニに達する線路を採択した。 こうしてシベリア鉄道の計画は着々と推移していたが、チュメニを過ぎてシベリアまで延長するアムールスキーの案はいまだ停滞し、1875年、ウラジオストクよりに至る鉄道敷設の請願が出、政府もその必要性は認めたものの、財政の考慮から実行には至らなかった。 その間にも、本土の鉄道は随時拡張され、1877年には鉄道、1878年にウラル鉄道が完成した。 1880年代 [ ] 1880年、ロシア皇帝の記念工事であるボルガ大鉄橋が完成され、またエカテリンブルグ・チュメニ間の工事が着工された。 エアテリンブルク - チュメニ間の鉄道はボルガ川とのを連結させるものであり、このため、もしが完成されるなら、ボルガ川の水運はオビ川・と連なり、へ達する事になる。 この水路の活用を見込んだ時、シベリア横断鉄道の工事は実現に明らかな展望が生じた。 かくして、鉄道により水路を連結し、鉄道と水路を併用する計画が生まれた。 まず、第一に挙げねばならないのは、1880年の始めのオストロスキ技師の設計である。 「現時の状態においては、ベルム - 間の鉄道によりカマ川ととを繋ぎ、オムスク - 間鉄道によりイルチシュ川とオビ川を繋ぎ、 - 間鉄道によりオビ川とエニセイ川を繋ぎ、かくして水路と鉄道を繋げる事によって廉価に交通を開発、しかる後にその輸送力をもって全通鉄道の工事に着手する事」が、大体その要点であった。 次いで、オビ川・エニセイ川間の測量を終えたシデルスチル技師は、これに更に水路を活用すべき事を述べ、「の開発の後、下部の急流を治水する事で、チュメニからバイカル湖までの5000リベスタの長水路を開く。 バイカルから湖畔に沿ってスレテンスクに至る道のりには950リベスタがあるが、最初の150はバイカルの湖水との川水を用いて、中間の450は幾多の小流があるためにアレースク湖からタンシンスクへ向かうヤブロノヴォイ山地に18リベスタの鉄道を敷設するのみで事足りる、残り350は及びの両流を用いる事により、ボルガより太平洋岸に至る貫通シベリア大水路を作る事」を主張した。 これらを皮切りに、路線選択に関わる様々な計画案が出始めた。 シベリアの二人の提督、コルフとイグナチフもこの流れに乗り、イムスク - イルクーツク間鉄道及びバイカル・ストレンスク間鉄道の設計案を提出。 次いで、ウラジオストクよりラズトロノエ・ニコラスコエ・アヌチノを経て、ブス・ボストへ至る線路の設計案が提出された。 しかしながら、シベリア鉄道の建設の実行方法の選定には重要な問題があり、これらは実行に移されなかったものの、ウスリー線を第一に敷設する事は決定された。 これに伴い、太平洋側の線路の起点はウラジオストクである事も決定された。 問題は西方の起点であった。 この時、本土の東方の終点は3点、即ち、北の、中央の、南のであり、このいずれかを選択しなければならなかった。 この選択は、1890年の委員会に託された。 1890 - 1891年 [ ] 当時、隆盛の水路併設鉄道案はを起点とするものだった。 それはおおよそ次のようなものである。 (水)カザン - ペルム2344km、(ウラル鉄)ペルム - チュメニ2010km、(水)チュメニ - トムスク7289km、(新鉄)トムスク - イルクーツク4060km、(水)イルクーツク - ムイソフスキー埠頭392km、(新鉄)ムイソフスキー埠頭 - ストレンスク2627km、(水)ストレンスク - グラフスキー5989km、(新鉄)グラフスキー - ウラジオストク1001km 全長は約2万5715km、内、水路は1万6015km、鉄道は9700km程度となる。 ウラル鉄道は既に開発されているから、7690km程の新設で済み、費用は鉄道に関するもので1625万、水路は735万ルーブルの合計約2360万ルーブルと試算されていた。 欠点は運送時間の問題で、モスクワよりウラジオストクまで荷物を運ぶのに75日、旅客を運送するのには35日、これはともかく貫通鉄道までの輸送路確保であるにせよ、水路の氷結のため1年の内わずか4か月しか充分に使用できない事はこの鉄道の見通しを明るいものにはしていなかった。 委員会はチュメニ線は中央との連絡が不便であるとして否定した。 またオレンブルク線は西半分は土地が荒れており、東半分は工事が困難であるとして否定した。 1890年末、委員会は「 - - - - トムスク - クラスノヤルスク - ニジニ・チウジンスク - イルクーツク」の中央路線案を採用した。 シベリア交通幹線はこれによって大体の方針を決定した。 ロシア政府は、チュメニを西方の起点とする事を否定し、この間の線はボルガの水路のみによらないことを示した後、速やかに上述の水陸併用線の欠点を踏まえてこれを否定し、シベリア貫通大鉄道の敷設を決定した。 1891年3月29日、皇帝は次のをアジア各地へ訪問中の皇太子に与えた。 「私は今日シベリア全土を貫通する鉄道敷設の詔勅を発し、天産富饒のこの地をロシアの線路に連絡させる。 よって汝に命ず、東洋諸国の漫遊を終えた後に、シベリアに至ったならば、私のこの意を諸有司に告げて、兼ねてシベリア大線路ウスリー線の第一軌鉄をウラジオストクに布設するところに臨行せよ。 この線路は国庫の財をもって布設し、その監督もまた官の任じるものであり、まさに国家事業である。 汝がこの事業に参与するのは、私がシベリアと他の領内との交通を便にし、シベリアの平和的発達を図る希望切なるを世に知らしめるためである」 以上の勅諭を皇太子は5月12日、ウラジオストクにおいて宣揚し、シベリア鉄道定礎式の盛典を行った。 決定に伴い、工事は直ちに着手すべきこととなり、七区に分かれた予算の概算書が決定された。 その総計は3億5021万482ルーブルであった。 なお、この七区とは、ミアスから繋がるチェリャビンスクに始まる、 1 チェリャビンスク - オビ、 2 オビ - イルクーツク、 3 イルクーツク - ミソウスク、 4 ミソウスク - スレテンスク、 5 スレテンスク - 、 6 ハバロフスク - グラススク、 7 グラススク - ウラジオストク、である。 で金賞を受賞するなど、その技術力は高く評価された に建設を開始し、を結んでいた資本からの資金援助を受けながら難工事を進めた。 は1524mm(後に1520mmに改める)のを採用した。 これには、「1435mmのを採用したと同じにするとのような侵略者に使われれば脅威になると考えた」「皇帝の招いたの技術者が広軌論者だった」など様々な説がある。 建設は同様、路線の両端から開始され、完成した区間から順次使用が開始された。 東の終点のからはに沿ってまでの鉄道、ウスリー線がまず1897年に完成した。 など各地に流されていた受刑者や兵士が鉄道建設に従事した。 西では、を超える橋が完成し、鉄道がを過ぎてアジアに到達した。 オビ川を渡るはに完成し、に鉄道建設に先立ってオビ川沿いに建設されたノヴォニコラエフスク(現在のノヴォシビルスク)は後にシベリアの中心都市と発展した。 1898年、最初の鉄道がに達した。 イルクーツクの60km東にある長さ640km、深さ1600mのが、沿線最大の障害物となった。 バイカル湖南岸は山岳地帯で難工事となったため、1900年から工事が完成するまでの間の暫定措置として、イギリス製を使った鉄道連絡船による鉄道車両の輸送を行った(冬は湖上に線路を敷いて列車を走らせたこともある)。 この区間が完成したのはの最中の9月である。 、ロシア政府は政府から、(現在の)の北部を横断し、(哈爾浜)などを経由するの敷設権を得た()。 、東清鉄道は完成し、シベリア鉄道の短絡線として機能した。 その後北岸(左岸)を通ってでアムール川を渡り、に繋がる区間がに完成し、シベリア鉄道は全線開通した。 影響 [ ] シベリア鉄道の建設の結果、シベリアからロシア西部やヨーロッパ諸国へ農産物を輸送できるようになり、シベリアのは一大発展の機会を得た。 その効果は鉄道沿線のみならず、を通じて鉄道につながる地域にも及んだ。 たとえばはオビ川の舟運とシベリア鉄道を経由して小麦を輸出できるようになった。 1906年から1914年の間に4百万人の農民がシベリアに移住し、未開の原野が農地になった。 シベリアの農家が安い穀物をヨーロッパに輸出するようになった頃、ロシア西部の農業は、によるの後の経済的な圧力でいまだに混乱していた。 この措置はシベリアの輸出産品を大きく変えた。 、、には穀物を加工する製粉所が多く設立され、は生産に路線を変更した。 1896年から1913年まで、シベリアは毎年平均で501,932tのなどを輸出した。 ロシア革命 [ ] ロシア帝国は日露戦争以降、が台頭し、政治的に不安定な状態になった。 シベリア鉄道は中央政権の象徴と見られて、しばしば破壊行為の対象になり、大規模な修理が必要な状態となった。 (米国)のは、6月にを現地へ派遣、資金の乏しい(で成立)と協調を図り、とシベリア鉄道修理などの交渉を締結。 アメリカ側は鉄道修理物資をロシアに到着させるが、スティーブンなど他300名の鉄道技師が到着する前にでロシア臨時政府が倒れたことから、修理には至らなかった。 また十月革命に続くにより、鉄道も到るところ破壊されて不通の状態となる。 このような状況下、アメリカのスティーブンは、鉄道の要所に破壊抑止のための従業員を配置し、これがその後の共同管理へと繋がった。 に、本国移送中のが沿線をし、その救出を理由にして、、、アメリカ、などの連合国軍によるが起こった。 実際の所、日本のシベリア出兵は東清鉄道の利権を認めさせる事が目的であったが、これは同時に、シベリア鉄道の権の帰属にも絡んでいた。 結局、日米仏伊英中の6か国管理で、ロシア側がその委員会をとりまとめる事、スティーブン技師らの技術部がこれを実質上管理する事、東清鉄道に関しては日本のをある程度認める事を、出兵期限内の間継続すると取り決めた。 この結果、日本は現地の反革命軍()などと協力してまで以東の沿線を占領し、成立などの事態となった。 その後、内戦に勝利した新政府が、シベリア鉄道とその沿線であるを実行支配した。 シベリア鉄道は、後述するアジアと欧州の移動のほか、ソ連国内の経済開発や、の兵員や兵器・物資といった軍事輸送に重要な役割を果たした(時 など)。 第二次世界大戦 [ ] シベリア鉄道の 1932年、が成立(は独立国として認めなかったが)。 はとなり、1935年にソビエトのからにされたため、シベリア鉄道の短絡線としての役割は低下した。 その代わり、清国や朝鮮半島の鉄道と直通運転が可能となった。 東清鉄道を失ったソビエト連邦にとって、シベリア鉄道の輸送力増強が緊急の課題となり、路線の複線化工事が推進された。 の政権により追放された多くの政治犯がこの沿線でに従事した。 (昭和16年)に完成した付近の工事にも多くの囚人が投入された。 このトンネルは現在もモスクワ方面行きに使用されている。 1939年9月にが始まったが、当初、ドイツとソビエトはにより友好関係を維持した。 日本は同盟国のドイツにシベリア鉄道で大量の物資を供給していた。 しかし、1941年6月にドイツはソビエトに侵攻しが始まったため、ドイツ向けの輸出は困難となった。 ただ、1941年4月にを結んでいたため、日本人がシベリア鉄道を使うことは可能だった。 第二次世界大戦末期、1945年5月のドイツ降伏後に駐独大使館員が日本への帰国に使用した。 しかし、ソビエトはドイツ降伏後に極秘に対日戦の準備を進めていた。 大量の兵員と物資が満州国境に輸送され、8月9日にとなった。 冷戦下 [ ] 第二次世界大戦後も路線の重要性は変わらなかったが、下のソ連はのであるウラジオストクへの立ち入りを禁止したため、(昭和31年)にが回復したとのや、シベリアを横断する外国人の往来には、ウラジオストクの東側にあるが利用され、シベリア鉄道からはを利用する事になった。 外国人乗客はロシア号の乗車がモスクワ - ハバロフスク間に限定され、ハバロフスク - ナホトカ間は連絡列車を利用した。 の発達により旅客ルートとしてのシベリア鉄道の重要性は低下したが、取扱量は時代でも年々増加した。 また、にはシベリア鉄道の北側にが全通し、シベリア開発の両輪となった。 ペレストロイカ後 [ ] に完成した新しいを側から方面に見る。 古い橋の橋脚がすぐ右側(上流側)に残っている。 にがソ連の最高指導者となり、を断行したが、経済的な混乱は拡大した。 また、設備更新の停滞などもあり、シベリア鉄道の輸送力は低下した。 の後は「ロシア号」の運行が毎日から隔日に削減されるなどの影響を受けている。 1月にウラジオストクが対外開放されたため、外国人旅客も全線の乗車が可能となった。 には新しいが完成して、上面はで利用されている。 にで放送された『五大陸横断 列車の旅』によるとモスクワ - ウラジオストクまでが1等約15000円、2等約7500円であり 、当時のロシアの物価が極めて安かった事が捉えられる(2001年のロシアの月収は6000円前後)。 に始まった電化工事はに全線で完成し、列車の積載量は6,000tにまで大きく増加した。 また工事やの自動化、各港湾と直結する支線建設などの整備も継続している。 ロシア鉄道は、シベリア鉄道の輸送能力を現状の1. 5倍、年1億8000万トンに引き上げる計画を進めている。 現状と今後の展望 [ ] クラスノヤルスク駅 シベリア鉄道はアジアとヨーロッパを結ぶ重要な交通路の一つである「シベリア・ランドブリッジ」の中核であり、空路を除くと最短・最速の北東アジア-欧州連絡ルートである。 実際シベリア鉄道を利用して貨物輸送を行うと、海路と比較するとかなりの時間短縮を図れる。 例えばの首都からのまでは、輸送が順調な場合は海路の半分の日数である15日で到着する。 から間を海路の場合約40日程度かかるが、ウラジオストクからシベリア鉄道を利用した場合、同区間を約25日程度で輸送できる。 そのため、日本の商社や製造業、をはじめとするヨーロッパの鉄道会社が興味を示しており、シベリア鉄道を管轄する国営やその関連企業との業務提携を積極的に進めている。 2008年1月には、ロシア、中華人民共和国、、、の各鉄道会社が、中華人民共和国 - ドイツ間のコンテナ貨物輸送で協力することが発表され 、同年10月にその ()の最初の列車がからハンブルクに到着した。 日本との関連では、バム鉄道を含めて輸送された日本の貨物は2018年に7万個を超え、対前年比で10%増えた。 ただし、ほとんどはロシア国内との輸出入で、ロシア以外の欧州とのトランジット輸送は3000個程度にとどまる。 ロシア鉄道はロシアの物流企業FESCOと共同での「トランス・シベリア・ランドブリッジ」サービスや、と協力して、日本の、物流業界とつくる「日本トランスシベリヤ複合輸送業者協会」との連携により、ドア・ツー・ドアの日欧を19日以内に結ぶ中継輸送の開拓を進めている。 一方で、このルートは、中華人民共和国が構想を掲げて国策として進める経由の(経由の中欧班列はシベリア鉄道に乗り入れる )と競合する。 ソ連崩壊後は外国人でも全区間乗車可能となり、世界中から観光客が急増したことから、内装もいっそう豪華になり、シャワー付き個室の提供や、1等客室にシャワー室が設けられた他、客車は様々な塗装に塗り替えられている。 詳細は後述。 また、ロシア政府は2016年、シベリア鉄道を、まで延伸する構想を経済協力の一部として希望しているとされる。 具体的には大陸からサハリン間の(7km)と、サハリンから間の(橋またはトンネル、42km)。 の項目も参照。 - 間の高速鉄道化構想も上記計画の一部とされる。 シベリア鉄道は21世紀の現在もロシア国内の最も重要な輸出路であり続けている。 多くの外国からの旅行者を惹きつける一方、国内の旅客輸送の重要な一部でもある。 沿線の主要都市・主要駅 [ ]• 本線: - - - - - - - - - - - - - - - タルスカヤ - - - - -• 北ルート(2001年以前の本線): モスクワ - - キーロフ• 南ルート: モスクワ - - - エカテリンブルク• 開業当初の本線: モスクワ - - - - - - (カザフスタン領) - オムスク• オムスク - タイシェト間南ルート: オムスク - - - - タイシェト• :タイガ - - ()• ブラゴヴェシチェンスク支線:ベロゴルスク -• ナホトカ支線:ウラジオストク - - -• 旧東清鉄道(・):タルスカヤ - - - - - - ウスリースク• 主な列車 [ ]• - 間を走る、シベリア鉄道の代表列車。 所要 : モスクワ行き6泊7日、ウラジオストク行き7泊8日 隔日運行• なお、月2往復(平壌発毎月2日(5月、7月、10月及び12月は3日)と16日)は()から国境の・を越えて来た車両をウラジオストク - 間の駅で併結する(7泊8日、走行距離10,272km)。 逆方向にはモスクワ発毎月11日と25日の「ロシア号」に平壌行の客車がウスリースク駅まで併結される。 また、ほかに毎月4往復はモスクワから北朝鮮の豆満江駅まで運行される。 停車駅 : を参照(全停車駅を掲載)。 北京 - () - - モスクワ モンゴル経由の国際列車。 ロシア鉄道のウェブサイトにおける時刻表では33・43列車として案内されているが沿線の駅における発車案内では3・4列車として案内されている(では3・4列車)。 なお中国国内ではK3次・K4次(Kは日本のにほぼ相当する「」の略)、モンゴル国内では3・4列車と案内される。 中国客車。 ナウシキから(つまりロシア国内は)ロシア客車が増結。 中国・モンゴル・ロシアと異なる文化をもった3か国を通過するエキゾチシズムに富んだ路線を走行し、食堂車も国により付け替えられるなど変化に富んだ旅を楽しめるため、欧米の観光客に大変人気がある。 欧米のシベリア鉄道ガイドブックはこの路線を中心に記述している場合が多い。 所要 : モスクワ行き5泊6日、北京行き6泊7日 週1本運行• ウラジオストク駅 - ハバロフスクI駅間。 所要 : 1泊2日(夕刻発 - 翌朝到着) 毎日運行• 5・6列車 ウランバートル - モスクワ間 モンゴル客車。 所要 : モスクワ行き4泊5日、ウランバートル行き5泊6日。 週1本運行。 上記33・43列車と同一ダイヤで曜日を違えて運行されるが、中国発着と比べ利用客は少なく、編成は非常に短い。 なお上の「オケアン号」と列車番号が重なっているように見えるが、走行区間が重なっていないため区別される。 停車駅 : シベリア鉄道本線内の全停車駅はを参照。 7・8列車 ウラジオストク - ノヴォシビルスク間 「ロシア号」との交互運行列車。 所要 : ノヴォシビルスク行き4泊5日、ウラジオストク行き5泊6日 隔日運行• 停車駅 : を参照(全停車駅を掲載)。 (、) - - 間。 所要 : 4泊5日 5月下旬 - 9月中旬まで毎日運行。 をもって廃止された。 ()・ - - - - モスクワ間 かつての日本からの欧亜連絡ルートをたどる国際列車。 ロシア客車。 所要 : モスクワ行き6泊7日、北京・平壌行き7泊8日 週1本運行• () - モスクワ間(経由)。 所要 : 2泊3日 毎日運行• (、) - - モスクワ間。 停車駅 : を参照(全停車駅を掲載)。 53・530列車 ウラジオストク - オムスク - ・()間 国際列車世界最長距離列車に昇進。 ウクライナ客車。 所要 : 所要8泊9日 隔日運転• 75・76列車 - - モスクワ間(経由)。 所要 : 5泊6日• 113・114列車 ノヴォシビルスク - ()。 ドイツ客車。 所要 : 4泊5日 113列車 、5泊6日 114列車 週1本運転• 385列車 ウラジオストク駅 - - 間。 所要 : ウラジオストク行き1泊2日、ブラゴベシチェンスク行き1泊2日 隔日運行• 903・904列車 ウラジオストク - モスクワ。 所要 : 9泊10日。 毎日運行。 世界最長の普通列車(ただし都市部などで通過駅はある)。 運行時間では文句なく最長である。 これは技術が遅れているわけではなく、電気によるエアコンや石油ストーブよりも信頼性が高いと考えられているからで、路線の大半を占める極寒の地において万一暖房装置が故障したら生死に関わるためである。 また、以前のシベリア鉄道の客車は、垂れ流し式なので停車中には使用はできないなどの問題があった他、が用意されていないなどの問題があった。 ソ連崩壊後に導入された客車には、水洗トイレや、1級寝台専用の個室シャワー、さらにシャワー付きの1人もしくは2人用の個室が用意されるなど快適性が向上している。 などが主にシベリア鉄道の長距離列車の機関車に使用される。 は貨物列車に使用される。 普通列車はや客車を使っておりソ連崩壊後は塗装も様々である。 シベリア鉄道沿線は僻地であるためか新型車両の導入が少ない。 主にが使用される。 シベリア鉄道は旧ソ連の影響で地味な印象が強いものの、最近では様々な塗装の車両が導入されており、海外と直通運転している事もあり、種類は豊富である。 一部の区間では中華人民共和国、北朝鮮、モンゴル車両が、ドイツ、ポーランド、、からの車両が直通運転する区間と重なる。 つまりアジアとヨーロッパの車両が同じ線路を走る事になり、広大な国ならではの楽しみでもある。 「ロシア号」はの塗装であり、以前は週に一度は北朝鮮の緑色車両が1両だけ連結され、とバッジをした兵士が乗っていたようである。 今は北朝鮮車両は線路整備悪化でまでの運用と推測される。 「バイカル号」「オケアン号」は「ロシア号」よりも内装が良く、塗装も独特的である。 北京 - モスクワ間の経由の国際列車はこれまでロシア国旗の車両だったが、2008年から臙脂色の車両が登場し、新型車は従来どおり北朝鮮列車と連結運転も可能であり、シャワーやテレビもついているなど首都を結ぶだけあって内装も豪華である。 また車体に中国語・ロシア語で「北京-モスクワ」などと描かれており、また北朝鮮のや、イルクーツク、チタへ行く車両もそれらの行き先が描かれている。 北京 - モスクワ間のモンゴル経由の国際列車は、中華人民共和国の緑色車両が使用されモンゴル・ロシアの旧塗装に酷似している。 ・・の表記のサボがある。 ウランバートルからモスクワ行きはモンゴル車両であり、北京モスクワの国際列車が走らない日に同じダイヤで運行される。 「Golden Eagle Trans-Siberian Express」という豪華が走っており、モスクワ - ウラジオストクを15日かけて途中で降りて観光しながらウランバートルを経由する。 ただし、かなり高額である。 シベリア鉄道の他国との関係 [ ] シベリア鉄道は、、、、、、、(北朝鮮)と国際列車を直通運転している。 広大なロシアを走るために国際列車もヨーロッパとアジアにまたがって運行する列車が多い。 シベリア鉄道は日本の歴史上にも重要な役割を果たしてきた。 を採用していた時期には日本の在外決済機関は全て英国にあったことから、国際決済に要する手形は全てシベリア鉄道で輸送されており、国際金融の重要な生命線となっていた。 日本は南樺太とを統治下としていた頃はロシアとは陸で繋がっており、朝鮮からシベリア鉄道経由で欧州行国際列車が走っていた。 また勃発までは、日本各地(途中は船へ積み替え)から朝鮮、日本の実質的支配下であったを含む、そして欧州の、ロンドンなどに至るまでの国際連絡運輸が行われており、それら各地への切符を主要駅で買う事ができた。 外相はを結びシベリア鉄道で帰朝する際には、に駅頭で見送られた。 日本が初めて参加したではは時間を短縮するためシベリア鉄道を使い、モスクワ経由での首都へと向かった。 1988年に日本へのの輸送でシベリア鉄道が利用された。 ゴルバチョフのペレストロイカで冷戦末期だったために、経由が許された。 近年ロシアで日本車の需要や中国の経済成長でシベリア鉄道の貨物の需要が高まっており、中国とドイツを結ぶ初の貨物列車「北京 - ハンブルク コンテナ特急」が運行された。 のロシアや中国と、の韓国は直通運転を試みているが、北朝鮮が直通運転の障壁であり、ロシアの大統領と韓国大統領は対北朝鮮政策やシベリア開発を会談した。 北京 - モスクワの列車は2種類存在しており、1つはウランバートル経由の中国車両で緑色の車体、もう1つは満州里経由のロシア車両であり、臙脂と白色の新型客車で内装はかなり豪華である。 ロシア・モンゴルと中国・北朝鮮は線路の幅が異なるため国境付近ので台車ごと交換する。 また国ごとに食堂車は付け替えられる。 つまり中国、モンゴル、ロシアの食事が楽しめる。 ちなみにこの北京 - モスクワは旧ソ連時代から走っており、で関係が悪くなっても運休することなく走っていた。 中国と直通があるシベリア鉄道の駅名は、中国語では基本的にそのままが多い。 例えば、符拉迪沃斯托克=ウラジオストク、赤塔II=チタII、泰謝特=タイシェトなどとなる。 の隣の駅のザバイカリスク駅は「后貝加尔」と中国人に読みやすくするための短い当て字であり、ノヴォシビルスクはロシア語で「新しいシベリア」という意味であるため中国語では「新西伯利亜」という漢字に合った当て字であり、中国語の当て字の難しさを窺わせる。 世界最長距離列車は前述の「ロシア号」モスクワ - ハサン - 平壌の列車だったが、経済的に貧しい北朝鮮国内での線路整備の悪化で、北朝鮮区間の運行は打ち切られた。 ただし海外サイトではつい最近でもロシア号に連結されている1両編成の北朝鮮客車が・の「平壌-モスクワ」というサボを掲げながらロシアのまで走っており、そこから平壌行きの北朝鮮車両が接続していると推測される。 北朝鮮の総書記も飛行機利用を避け、シベリア鉄道を経由してモスクワまでで訪問したことがある。 53・54列車の(ウクライナ) - ウラジオストクの列車が9657kmの現在運行中の世界最長距離列車でウクライナ車両(ウクライナ国旗色)を使用しており、極東ロシアではるか東欧のウクライナからの客車が見られる。 しかし国際列車が走っているにもかかわらずシベリア鉄道沿線のなどには英語表記がないため、ロシア語の会話集とシベリア鉄道の旅行ガイドブックがなければかなり苦労する。 また車掌も乗客も英語が話せない人が多い。 シベリア鉄道に関連した作品 [ ]• ドキュメンタリー• 『シリーズ・シベリア鉄道2008』()• 旅番組• 『』 45〜 49()• 『』シリーズ• アニメ• バラエティ• 『シベリア鉄道9400キロ』• 『気まぐれ列車の時刻表』• 『いつかモイカ河の橋の上で』• 『シベリア鉄道殺人事件』• 『ロシアの鉄道』• 『ユーラシア・ブックレットNo. 118 シベリア鉄道 —洋の東西を結んだ一世紀—』• 『シベリア鉄道9300キロ』• 『女三人のシベリア鉄道』• 『大いなる海へ』(訳者は、ハーモン・タッパーによる歴史小説。 原題は"The great ocean;Siberian and the Trans—Siberia Railway")• 『女一匹シベリア鉄道の旅』『女一匹冬のシベリア鉄道の旅』• このほか、日ソ戦をテーマとした小説には、極東ソ連軍の動脈であるシベリア鉄道破壊作戦がしばしば登場する(『ソ連本土決戦』、『鋼鉄の海嘯 樺太沖海戦2』など)。 『』「平島勉」• 『シベリアン レイルロード』「巽」• ロシア語講座• 脚注 [ ]• 『今すぐ乗りたい!「世界名列車」の旅』、2009年、106頁。 『』2019年6月28日(グローバル面)。 距離はルートにより異なるが、モスクワ - ウラジーミル - ニジニ・ノヴゴロド - キーロフ - エカテリンブルク - オムスク - ノヴォシビルスク - タイシェト - ハバロフスク - ウラジオストクの距離を記載。 ちなみに、皇太子ニコライは、この直前に日本を訪問した際、にに遭遇している• 『ブリーフィング・メモ』2017年9月号()2019年7月7日閲覧。 10年後の2010年では1等約120000円、2等約70000円である。 [ ]• [ ]• [ ]• 2016年1月28日. 2019年11月3日閲覧。 2019年9月29日. 2019年11月3日閲覧。 2019年4月22日. 2019年11月3日閲覧。 『』「」(2019年• "Thomas Cook European Rail Timetable", August 2011: p. 33及びTable 1990• (ロシア語)• 主催のツアーに参加する形となるが、最安のSilver Classの2名1室利用で、1名あたり約15,500ドル USD。 関連項目 [ ]• 、、、• (バム鉄道)、(アヤム鉄道)、• - バイカル湖で売られている。 歴史的観点• シベリア鉄道と直通運転を行う鉄道• ・(北京 - )• シビリャク(、ドイツからの直通列車)• 欧亜連絡運輸について• (計画中)• 対抗鉄道計画• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 ( - (2014年3月15日アーカイブ分))• from U. Department of State• For timetables, see covers Europe, as well as at least each branch of the Trans-Siberian Railway and ; note that Moscow time applies for railways throughout Russia. with real time train schedules• ロシアNOW 旅行記 [ ]•

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プロバンス鉄道 | ヨーロッパ鉄道旅行ガイド(レイルヨーロッパ【公式】)

ヨーロッパ 鉄道 路線 図

ヨーロッパ鉄道地図帳 北欧編表紙 スイスと並んで、山と湖が織り成す美しい車窓が乗客を魅了してやまないノルウェー。 しかし残念ながら、印刷物となった同国の鉄道地図に出会ったことがない。 筆者の貴重な情報源の一つである Paul Steane 氏のサイト「ヨーロッパ鉄道旅行愛好家ガイド Enthusiast's Guide to Travelling the Railways of Europe」(URLは下記)でも、「M. Ballのヨーロッパ鉄道地図帳を別とすれば、ノルウェーの鉄道網に関する地図で刊行されたものはない」と言い切っているので、間違いはないだろう。 その M. Ball地図帳(正式な表題は「 ヨーロッパ鉄道地図帳 European Railway Atlas」)の北欧編には、ノルウェー全路線と主要駅、それにベルゲン鉄道(ベルゲン線)Bergensbanen のような路線名ももれなく記載されているから、実用上はこれで十分だ。 堀淳一氏の著書で、現物の写真とともに紹介されている(堀淳一「地図と風土」そしえて、1978 年、p. 236-238)。 それによれば、この地図のタイトルは「 ノルウェー旅行地図 Reisekart for Norge」で、縮尺は1:1,000,000(100万分の1)、「時刻表と同じ発行元から発売されていて、時刻表の索引地図をも兼ねているのだが、独立した地図としても立派に通用するすぐれたものである。 」 1:1,000,000という縮尺は、ノルウェー全土を1面でカバーする地図の定番だ。 図版に使われているのは、西岸のロムスダール Romsdal からソグン・オ・フィヨラーネ Sogn og Fjordane にかけての地域で、旅行地図らしく、氷河(ヨステダール氷河 Jostedalsbreen)が描かれ、地名もふんだんに入っている。 モノクロのため判別できないが、鉄道は黒、バス路線は赤の線で描いてあるという。 脊梁山地とフィヨルドが対峙する過疎地にもかかわらず、けっこう稠密な路線網だ。 右上にラウマ鉄道 Raumabanen の終端区間が認められるが、鉄道は他にありえないので、バスがかつてはこのように、谷奥の小集落にまでこまめに通っていたことがわかる。 路線には時刻表番号が打たれ、索引地図としての役割を果たしている。 【追記 2017. 27】 上記著書で言及された地図のカラー写真を、凡例とともに下に掲げる。 ベースマップは地色にアップルグリーンを充て、氷河を白抜きにしている。 鉄道は黒の実線で示される。 バス路線は赤線で、そのうち太線は運行中、細線は休止中、太線+交差短線は冬期に全部または一部の休止が予想される路線だ。 また、オスロ Oslo、クリスチャンサン Kristiansand、スタヴァンゲル Stavanger、ベルゲン Bergen、トロンハイム Trondheim の主要都市圏については、1:500,000の拡大図がある。 裏面は膨大な量の地名索引で埋め尽くされている。 なお、1869年に創刊され、長い間ノルウェー旅行の必携品であった同社の時刻表 "Rutebok for Norge" は、2003年からウェブサイトに移行している。 ノルウェーの鉄道は、インフラ管理をノルウェー鉄道庁 Jernbaneverket が行っている。 まず、鉄道庁 Jernbaneverket のサイトだが、ここにはごく簡単なスキマティックマップ(位相図)しかない。 下記参考サイトには英語版ページを掲げているが、ノルウェー語版もまったく同じだ。 赤の太線で路線が描かれ、主要駅名が添えられているものの、JPEG形式のため拡大が効かず、文字は読みづらい。 首都圏の路線網は込み入っているので、土地勘のない者にはオスロ(中央駅)の位置を探し出すのさえ難しいだろう。 おそらく、開設者のこだわりは、このページの左メニューで示される路線別の情報提供にある。 路線を選択すると、その全駅名が表示され、駅に関する情報がまとめて参照できるようになっているのだ。 Togtider(列車時刻)タブから、列車の行先(Avganger til)と発車時刻(Rutetid)、番線(Spor)がわかる。 Service タブからは駅の設備、Maps タブからは駅周辺の Googleマップが引ける。 しかし、そもそも路線名はどうやって知るのだろうか。 それに、英語版ページというのに肝心の列車時刻の見出しがノルウェー語のままだ。 どうやら外国からの旅行者のことはあまり念頭にないようだ。 表形式の時刻表が線区ごとにダウンロードできるし、鉄道地図もインタラクティブマップとPDFファイルの両方が用意されている(下記参考サイト)。 インタラクティブマップは、初期画面が路線網全体の表示になっているが(ナルヴィク Narvik へ行くオーフォート鉄道 Ofotbanen は対象外)、スケールバーで拡大縮小でき、倍率が上がるにつれて駅の表示が主要駅から全駅へと詳しくなる。 駅周辺で体験できるアトラクションがピクトグラムで表され、マウスを置くと内容もわかる(残念ながらこれだけはノルウェー語)。 さらに、図上で駅をクリックすると、右メニューに駅情報(Info about the station)へのリンクが現れ、ここから駅の窓口時間、設備の有無、駅周辺のGoogleマップなどが参照できる。 このインタラクティブマップは、列車予約や時刻検索からもリンクされていて、利用者の使い勝手をよく研究したシステムといえる。 一方、PDFファイルのほうは2種類ある。 NSB Network map とあるのは全国図で、黒、灰、赤の3色のみを使った地味な印象のスキマティックマップだ。 駅は主要駅のみだが、旅行者が乗降しそうな駅はほぼ揃っているだろう。 首都圏は拡大図がある。 図枠に索引番号が振ってあるから駅名索引がどこかにあるはずだが、このファイルにはついていない。 また、ここでもオーフォート鉄道は割愛されている。 NSBが運行事業者でないことと、国内の路線網と直接つながっていないためだろう。 もう一つは、NSB Network Map commuter trains、すなわちオスロ近郊の通勤列車圏を描いた路線図だ。 ルートが運行系統別に美しく色分けされ、駅もすべて記載されて、日本の鉄道会社のそれを思い起こさせる。 なお、オスロ中央駅 Oslo S の東側で赤の400系統と黄440~緑460系統を離して描いているのは、前者が旧線、後者がロメリケトンネル Romeriksporten 経由の高速新線を走ることを示している。 また、黄緑の450系統は、フリートーゲ Flytoget が運行している空港特急 Airport Express Train と紛らわしい。 両者は運行ルートが重なっているものの、まったくの別物で、NSBサイトには空港特急の時刻表や路線図は一切ない。 それらは、フリートーゲのサイト(下記)でのみ見ることができる。

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ヨーロッパ鉄道の乗車券・周遊パス予約|レイルヨーロッパ【公式】

ヨーロッパ 鉄道 路線 図

ヨーロッパ鉄道地図帳 北欧編表紙 スイスと並んで、山と湖が織り成す美しい車窓が乗客を魅了してやまないノルウェー。 しかし残念ながら、印刷物となった同国の鉄道地図に出会ったことがない。 筆者の貴重な情報源の一つである Paul Steane 氏のサイト「ヨーロッパ鉄道旅行愛好家ガイド Enthusiast's Guide to Travelling the Railways of Europe」(URLは下記)でも、「M. Ballのヨーロッパ鉄道地図帳を別とすれば、ノルウェーの鉄道網に関する地図で刊行されたものはない」と言い切っているので、間違いはないだろう。 その M. Ball地図帳(正式な表題は「 ヨーロッパ鉄道地図帳 European Railway Atlas」)の北欧編には、ノルウェー全路線と主要駅、それにベルゲン鉄道(ベルゲン線)Bergensbanen のような路線名ももれなく記載されているから、実用上はこれで十分だ。 堀淳一氏の著書で、現物の写真とともに紹介されている(堀淳一「地図と風土」そしえて、1978 年、p. 236-238)。 それによれば、この地図のタイトルは「 ノルウェー旅行地図 Reisekart for Norge」で、縮尺は1:1,000,000(100万分の1)、「時刻表と同じ発行元から発売されていて、時刻表の索引地図をも兼ねているのだが、独立した地図としても立派に通用するすぐれたものである。 」 1:1,000,000という縮尺は、ノルウェー全土を1面でカバーする地図の定番だ。 図版に使われているのは、西岸のロムスダール Romsdal からソグン・オ・フィヨラーネ Sogn og Fjordane にかけての地域で、旅行地図らしく、氷河(ヨステダール氷河 Jostedalsbreen)が描かれ、地名もふんだんに入っている。 モノクロのため判別できないが、鉄道は黒、バス路線は赤の線で描いてあるという。 脊梁山地とフィヨルドが対峙する過疎地にもかかわらず、けっこう稠密な路線網だ。 右上にラウマ鉄道 Raumabanen の終端区間が認められるが、鉄道は他にありえないので、バスがかつてはこのように、谷奥の小集落にまでこまめに通っていたことがわかる。 路線には時刻表番号が打たれ、索引地図としての役割を果たしている。 【追記 2017. 27】 上記著書で言及された地図のカラー写真を、凡例とともに下に掲げる。 ベースマップは地色にアップルグリーンを充て、氷河を白抜きにしている。 鉄道は黒の実線で示される。 バス路線は赤線で、そのうち太線は運行中、細線は休止中、太線+交差短線は冬期に全部または一部の休止が予想される路線だ。 また、オスロ Oslo、クリスチャンサン Kristiansand、スタヴァンゲル Stavanger、ベルゲン Bergen、トロンハイム Trondheim の主要都市圏については、1:500,000の拡大図がある。 裏面は膨大な量の地名索引で埋め尽くされている。 なお、1869年に創刊され、長い間ノルウェー旅行の必携品であった同社の時刻表 "Rutebok for Norge" は、2003年からウェブサイトに移行している。 ノルウェーの鉄道は、インフラ管理をノルウェー鉄道庁 Jernbaneverket が行っている。 まず、鉄道庁 Jernbaneverket のサイトだが、ここにはごく簡単なスキマティックマップ(位相図)しかない。 下記参考サイトには英語版ページを掲げているが、ノルウェー語版もまったく同じだ。 赤の太線で路線が描かれ、主要駅名が添えられているものの、JPEG形式のため拡大が効かず、文字は読みづらい。 首都圏の路線網は込み入っているので、土地勘のない者にはオスロ(中央駅)の位置を探し出すのさえ難しいだろう。 おそらく、開設者のこだわりは、このページの左メニューで示される路線別の情報提供にある。 路線を選択すると、その全駅名が表示され、駅に関する情報がまとめて参照できるようになっているのだ。 Togtider(列車時刻)タブから、列車の行先(Avganger til)と発車時刻(Rutetid)、番線(Spor)がわかる。 Service タブからは駅の設備、Maps タブからは駅周辺の Googleマップが引ける。 しかし、そもそも路線名はどうやって知るのだろうか。 それに、英語版ページというのに肝心の列車時刻の見出しがノルウェー語のままだ。 どうやら外国からの旅行者のことはあまり念頭にないようだ。 表形式の時刻表が線区ごとにダウンロードできるし、鉄道地図もインタラクティブマップとPDFファイルの両方が用意されている(下記参考サイト)。 インタラクティブマップは、初期画面が路線網全体の表示になっているが(ナルヴィク Narvik へ行くオーフォート鉄道 Ofotbanen は対象外)、スケールバーで拡大縮小でき、倍率が上がるにつれて駅の表示が主要駅から全駅へと詳しくなる。 駅周辺で体験できるアトラクションがピクトグラムで表され、マウスを置くと内容もわかる(残念ながらこれだけはノルウェー語)。 さらに、図上で駅をクリックすると、右メニューに駅情報(Info about the station)へのリンクが現れ、ここから駅の窓口時間、設備の有無、駅周辺のGoogleマップなどが参照できる。 このインタラクティブマップは、列車予約や時刻検索からもリンクされていて、利用者の使い勝手をよく研究したシステムといえる。 一方、PDFファイルのほうは2種類ある。 NSB Network map とあるのは全国図で、黒、灰、赤の3色のみを使った地味な印象のスキマティックマップだ。 駅は主要駅のみだが、旅行者が乗降しそうな駅はほぼ揃っているだろう。 首都圏は拡大図がある。 図枠に索引番号が振ってあるから駅名索引がどこかにあるはずだが、このファイルにはついていない。 また、ここでもオーフォート鉄道は割愛されている。 NSBが運行事業者でないことと、国内の路線網と直接つながっていないためだろう。 もう一つは、NSB Network Map commuter trains、すなわちオスロ近郊の通勤列車圏を描いた路線図だ。 ルートが運行系統別に美しく色分けされ、駅もすべて記載されて、日本の鉄道会社のそれを思い起こさせる。 なお、オスロ中央駅 Oslo S の東側で赤の400系統と黄440~緑460系統を離して描いているのは、前者が旧線、後者がロメリケトンネル Romeriksporten 経由の高速新線を走ることを示している。 また、黄緑の450系統は、フリートーゲ Flytoget が運行している空港特急 Airport Express Train と紛らわしい。 両者は運行ルートが重なっているものの、まったくの別物で、NSBサイトには空港特急の時刻表や路線図は一切ない。 それらは、フリートーゲのサイト(下記)でのみ見ることができる。

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