月 日 は 百代 の 過客 にし て 意味。 「奥の細道」の冒頭について

百代の過客 日記にみる日本人 (講談社学術文庫)

月 日 は 百代 の 過客 にし て 意味

永遠に歩き続ける旅人のたとえですが、永久に絶えること無くつづく時間・年月のことを言います。 【百代過客】を漢音読みしますと【ハクタイのカカク】、呉音読みしますと【ヒャクダイのカキャク】となります。 李白の『春夜(シュンヤ)宴桃李園(トウリエンにエンす)序』のなかに【百代過客】がでてきます。 夫れ天地は萬物の逆旅(ゲキリョ)にして そもそも天地は万物を迎え入れる旅籠(はたご)のようなもの 光陰は【百代の過客】なり 光陰は【永遠の旅人】のようなものだ 而して浮生(フセイ)は夢の若し そして人生とははかない夢のようなもの 歡(カン)を爲(な)すこと幾何(いくばく)ぞ 楽しさも長続きはしない 古人燭 ショク を秉(と)り夜遊ぶ 古人は燭をともして遊んだというが 良(まこと)に以(ゆえ)有る也 それは 理由(わけ)あってのこと 況(いわ)んや陽春の我を召すに煙景を以てし いわんや陽春は美しい景色で私を招き 大塊(タイカイ:造物主)の我を假すに文章を以てするをや 宇宙万物の造物主が私に詩文を作る才能を授けてくれたのだ 芭蕉は李白の『春夜宴桃李園序』を引用して、『奥の細道』を次のような書き出しで始めています。 月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。 舟の上に生涯をうかべ、馬の口をとらえて老を迎うる者は、 日々旅にして旅を栖(すみか)とす。 そして奥羽の旅へ出かけました。 『奥の細道』よりも10年前に、井原西鶴の『日本永代蔵』に李白の【百代過客】が引用されているそうです。 されば天地は萬物の逆旅。 光陰は百代の過客、浮生は夢幻といふ。 江戸期の人達の琴線に触れるものがあったようです。 八重樫 一 (やえがし・はじめ) 【プロフィルと自己紹介】 ・1943年3月1日生まれ、北海道大学工学部卒業 ・2001年に漢字検定1級合格。 以来、 ・2014年の検定まで30回合格 ・2014年 漢字教育士 資格取得。 ジャケット、オーダースーツ、靴なども取り扱っている。 全国一律1,000円の送料。 届け先1件あたり。 クール代・税込み。 お買い上げ代金10,000円以上で送料無料。 フリーダイヤル0120-024-137。 携帯電話からは0246-23-4174 にこにこバラ園(須賀川市)は、1年以上持つというプリザーブドローズを発売。 バラ園がデザインしたプリザのバラアレンジメント。 バラの季節を迎え、特価でのバケツ売りの特売日もあり。 ホームページ2,000円〜10,000円台(消費税別)。 送料は別途。 Tel・Fax0248-72-7834 かに刺し満足コース・かにすき鍋満足コース・かにちり鍋満足コースを用意。 2時間飲み放題。 無料送迎バス付き(10名様以上)。 箱代・氷代込み。 送料は別途。 電話0248-82-2760・ファックス0248-82-2761 豚肉専門店ノーベルは、お中元贈答品を受け付けている。 各種肉が2〜3割引。 ノーベルはドイツ食肉加工国際コンテストで金メダルを受賞。 豚肉生産は泉崎村の生産農場・中野目畜産。 ビール酵母で元気に育った烏骨鶏の酵母卵とトローリ酵母卵。 熱処理した高品質の飼料をエサに安心・安全に飼育しました。 卵黄のみを使って独自開発した酵母卵の卵油もどうぞ。 海産物専門のおのざき(いわき市平鎌田町)は、いわき市鹿島の鹿島ショッピングセンターエブリア内に潮目食堂をオープン。 2店目。 ボリュームのある海鮮が自慢で、海鮮丼、刺身盛り、焼き魚定食など豊富なメニューを用意。 台風19号による水害で縫製工場・店舗が被災した東和ユニフォーム(本宮市本宮字舘町2-1)、SATO TAILOR 佐藤洋服店(同)は、ともに営業を再開 外食事業などを展開するマルベリィのコスモス通り沿い(郡山市谷地本町)とんかつ専門店は4月限定で弁当を販売。 200円引きのお買い得となっている。 当店は温度や湿度を管理して熟成させた「特別熟成肉」が好評。 「特別熟成ロースカツ定食150g」1180円。

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月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。とはどういう意味です...

月 日 は 百代 の 過客 にし て 意味

「月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人なり。 」 今まではろくに味わいもしなかった、かの松尾さんの名コピー。 今になって、しみじみいいポエムだなぁと思ったりする。 老けた。 「月日っちゅうもんは、ずーっと旅してる旅人みたいなもんで、行ったり来たりする年もまた旅人みたいなもんやなぁ…」きっと関西弁ではなかっただろうけど、きっと松尾さんはある時しみじみと思ったのだろう。 こういうスーパーな歌人や俳人という人種は、現代でいうと最強コピーライターといったところか。 パロディが上手で、音のリズムは完璧。 (「百代之過客」とかも李白の詩からの引用。 )ぜひ、松尾さんに唐桑のコピーとか考えてもらいたい。 何の話だ。 --- つづき トロトロっとした山菜にやみつきになり始めたころに山菜の時期が終わり、 6月末(旧暦5月5日)にご節句を迎える。 全てが初めてで、全てに驚く。 まず、菖蒲(ショウブ)とヨモギの葉を玄関の屋根から垂らす。 菖蒲湯に入る人もいる。 とりあえず餅をついて食べる。 そして、鯉のぼりをまた上げる。 …印象に残っているのはこれくらいか。 「正月でもあるまいし」とか思いながら初夏の餅を頂く。 「(ホンモノは)やっぱり旧暦なんだよね。 新歴の5月5日じゃ、菖蒲もヨモギもまだ大きくなってないからね」という地元の人。 唐桑半島の背骨である県道を走っていると、数えきれない鯉が目に飛び込んでくる。 よそ見運転で危ない思いをしたくらい、鮮やかな鯉たちが唐桑の空を泳いでいるのだ。 さらに、唐桑の鯉のぼりはレベルが高い。 このように、2本の竹を使って鯉を揚げる家が多い。 これだと、風が吹かない日でも鯉がだらりとポールに纏わりつくことはない。 そして風が吹けば2本目の竹もくるくる回るので、より自由に鯉が舞うのだ。 なるほど、こっちがホンモノの5月5日なんだなと感心する。 7月を迎えようという頃、町がそわそわし始める。 「いよいよだねぇ」といった感じだろうか。 皆が口にするのは「カゼの開口(開港)」。 ウニ(カゼという)漁の解禁だ。 漁協が乱獲防止のため、解禁日を決めて行う。 年に何回もない。 しかも早朝の数時間だ。 しかし今年は震災の影響か、獲っても出荷用にはできないそうだ。 それでも、腕が鳴る漁師は少なくない。 箱メガネをもって海に繰り出す。 東北の梅雨は遅くやってきて、なかなか明けない。 海風はべたべたする。 終日波の音が聞こえるほど海の近くにある馬場のアパートは湿気で悲惨なことに。 夜は夏の風物詩、漁火(いさりび)が煌々と海を照らす。 漁火とは、イカ漁のために船が発する灯り。 水平線にだいたい等間隔に並ぶ強い光。 とても幻想的だ。 まるで、海の向こうに大都市があるような錯覚を覚える。 「あれがアメリカの西海岸の都市だったらおもしろいのに」とか思ってみたりする。 いよいよ気仙沼も30度を超え始める。 ここからは仕事に忙殺。 地域のお祭りのラッシュ。 ボランティアの受け入れも激化。 それでも、休みの日はこっそり海に飛び込んで、差し入れのスイカを食べて、去年は味わえなかった夏を満喫した。 「みなと祭り」では、気仙沼名物「はまらいんや」を楽しむ。 「はまらいんや」とは「join us!! 」の意味。 市民がそれぞれグループを組んでエントリーするイベントで、「はまらいんや」という統一の音頭に思い思いの振り付けをつけ、それをただひたすら路上を行ったり来たりしながら大人数で踊りまくる、という体力勝負のクレイジーイベント。 私たちは見学のつもりで行ったのだが、唐中グループのお母さん方に「はまらいん!! 」と誘われ、そのまま中学生と走って踊って… 祭りとは本来こういうもんだ。 決まった振り付けをひたすら繰り返し、自分を周りと同化させながら昇華させていく。 イスラームのスーフィズムを思い出す。 そんなことを考えてるヤツも自分くらいか。 ところで、温暖化現象とはウソではない。 私にとって最大の東北の魅力、それは「Gがいないこと」だった。 Gとは、生物の大先輩ゴキブリ。 しかし、ここ数年で一気にGが北上している。 (たぶん。 )唐桑にも本格的にGが進出してきたのだ。 地元住民にとりあえずGの恐ろしさをレクチャーする。 ご先祖様が帰ってきて、忙しいお盆を迎える。 そして16日には盆舟でお送りする。 「盆を過ぎれば秋」がセオリーの唐桑。 夜は一気に過ごしやすくなり、22〜24度くらいまで落ちる。 Tシャツ一枚でとても心地いい気温。 あぁ今年もあっという間の夏だった…と感慨深くなる。 唐桑に残暑はない… はずだった。 「異常だ」 8月末に、みなが口を揃える。 今年、昼間の気温が落ちないのだ。 去年の記憶では、9月に入るころはもう肌寒いくらいだったはずが、今年はまだ30度近く上がる日が連日続く。 まぁもっと酷い東京のことを思うと全然マシなのだが、とにかくこっちの今年の残暑は異常だ。 そもそも残暑があることが異常なのだ。 温暖化とは極化である、というのを聞いた。 このままだと、また今年の冬も異常な寒さになりかねないという予想。 去年のことを思い出す。 「本当に越冬できるのだろうか」と真剣に考えたくらい寒かった。 暑いのは嫌だが、このまま年末に向けて気温が急降下していくのも怖い。 今日もじめじめした暑さ。 でも、ふと空を見上げるときれいなウロコ雲が並ぶ。 空はすっかり模様替えしたようだ。 こうやって季節のことに思いを馳せ、ふーっとたばこをふかす時間は好きだ。 日本っぽいなと思う。 月日は百代の過客とは、よく言ったもんだ。 と偉そうに感心するのだ。

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おくの細道の解釈

月 日 は 百代 の 過客 にし て 意味

「stay home」、テレビのニュース時間に、都知事の口から突然に発せられた時には「???」、視聴していたが、意味を理解できなかった。 緊急事態宣言は、首都の1都3県と関西の2府1県そして北海道を除き、先々週に解除されている。 追ってこの週末には関西と北海道が解除となった。 現役引退直後の10年間位の時間は、海外・国内の旅に数多く出たこともあったが、その後は兵糧も尽きて留まっている。 昨日はわが誕生日。 本年は年男でもある。 一昨日は家内の誕生日だった。 数日前に娘が母の日・父の日のお祝いと誕生祝いを合わせて持参してくれた。 当初、このニュースを知った時には、「公務員と年金生活者には、国民の税金の無駄な浪費・・・」と思ったが、やはり貰えるとなったら、預金口座へ直接入金される日を今か今かと待つ、それが普通人間。 「俺も同じ」。 自分で申請用紙をダウンロードして書き込み、郵送しても暫し音沙汰無し。 一週間後に市役所へ電話してみた。 「2~3週間かかります。 1件1件チェックしています。 その結果と送金の通知を必ず出します。 25日に締め切って、申請していない人には、その後に返信用封筒を同封して申請用紙、それに住民登録の必要項目を記載してから、こちらからそれぞれの該当者へ郵送します。 」という返事だ。 個人ナンバーを利用してオンライン申請、or ダウンロード申請用紙に記載して郵送する、この2通りが現在の方式である。 我、未だ受給せず。 更に、コロナウィルスに対する安倍首相のヒット援助第一号「各家庭へマスク2枚送付」は 未だ品物が届かない。 これは世界の笑い話、税金の無駄な浪費! 我、マスクは一箱30枚の事前購入と家内の手作りで、満ち足りている。 無駄なこと、意味のない事、でも我には気がかりなのだ。 (その1)、昭和30年の夏、当時の小生は、航海訓練所練習船北斗丸に乗り組んでいた。 富山商船高校航海科専攻科の学生(19才)だった。 ナホトカへ出向き、ソ連からの引き揚げ者20名を、舞鶴へ送還したのである。 現地を出帆して間もなく、一人の引き揚げ者が小生の居る学生居室へ訪ねて来た。 「この部屋へ福島県出身の人が居ると聞いてきました。 どなたでしょうか?」。 小生は名乗り出た。 聞けばこの人は、わが故郷・文殊村の隣村・芦沢村の出身だった。 この隣村には我が実姉が嫁いでいた。 この人は「その部落は、私の実家から一山越えた部落です」と応じた。 私たちは捕虜ではない。 満州で警察官をしていたので、政治犯でした。 中学校で一級上だったという小生の叔父(父の弟・明治43年生まれ)の名を挙げたり、村から女学校へ通っていたという女性・小生の従姉(父の姉の長女)の名を挙げて、「知っていますか?」 と小生へ質問したりしていた。 偶然にも大正時代後期の記憶が蘇ったのだろう。 舞鶴へ着いたら、実家へ帰らず奥さんが待つ高岡市へ行く、という事を話していた。 小生はその人の名前も居所も尋ねなかったのだ。 1年後の秋には国家試験受験勉強のために、半年の期間を学校のある新湊・高岡市の隣市へ戻ったのである。 ソ連の国際法違反3年間の日本人捕虜虐待50万人、捕虜死亡5万人、特に警察官政治犯身柄10年拘束、これには今頃になって関心が増して来た。 (その2)存在を知らない叔父の存在 我が父は長男である。 弟5人(内一人19才の時に死亡)。 これは身内の者なら誰でも知っている。 所用があって5年前に、祖父・與十郎を筆頭者とする戸籍簿コピーを故郷市役所から取り寄せた。 開いて見て驚いた。 二男叔父、四男叔父、六男叔父の名は除籍されている。 これは新戸籍を作成したのと死亡者を載せていない、と理解した。 驚いたのは三男叔父の欄には「四男」と記載し、四男叔父と思っている人の欄には「六男」と記載されている。 欠番の「五男」叔父は死亡したのを知っている。 戸籍上「七男」叔父は婿養子に出ているから除籍。 「三男」叔父の存在?? 名を知らない叔父の存在! これを説明できる長老高齢者は、既に全員が黄泉の国だ! (その3)栃木の従兄、栃木の親戚 我が母の父(與五郎)は我が祖父(與十郎)の実兄である。 與五郎さんは我が故郷の部落から、隣村・沢石村富沢の渡辺家へ婿養子となったのである。 與十郎さんは同部落で土地を分けてもらい、同部落で本家から5~600m離れた所に分家した。 東京住まいだった小生の一番叔父と三番叔父の両奥方は栃木の出身。 三番叔父の奥方は、長男を出産して病死。 その後の奥方も栃木の出身で長女次男三男を出産した。 我が母には姉が4人いた。 2番姉は本家へ嫁いでいた。 妹である母は分家の嫁となったのだ。 本家の長女孫娘(小生の従姉)は我が二番叔父(戸籍では三番叔父)の奥方となり、男児6人を出産(1名幼時に死亡)育て上げた。 川崎に住んでいた。 数十年前の出来事である。 東京で親戚が集まる行事があったので、小生も参加した。 食事時に小生の隣の青年の顔が、川崎の従兄に瓜二つの相似形! 小生は斜向かいの従兄に声をかけて質問した。 「お前の従兄だよ。 栃木の人だよ」一番叔父が声を上げて答えてくれたのだ。 これ以外の記憶は何もない。 全ての叔父夫婦と従兄たちの多くは亡くなって、昔を語れる人はいない。 與五郎さんには、我が母に弟二人(俗称腹違い)がいたのだった。 隣村から出向いて、足尾で就職していたそうである。 亡き叔父さんたちには、父親(與十郎)に関わる小生の従兄弟姉妹が、栃木に多くいたらしいのだ。 stay home! 不要不急の外出自粛! この掛け声には全く関わりなし!! 暇の一時に、芦沢の甥、船引の従姉の長男、川崎の従弟、東京の従弟、電話を駆け回り腹の空くまでしゃべりまくった。 何となくもやもやが解け始めた。

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