ノート ルダム 大学。 パリのノートル・ダム

名著73 ノートル=ダム・ド・パリ:100分 de 名著

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キリスト教文化研究所図書室 宗教的学内行事の企画運営 クリスマスをはじめ、宗教的な学内行事の企画・運営を行います。 入学感謝ミサや追悼ミサ、大学祭オープニングミサ、クリスマスミサ、そしてフッド授与式などの大学行事の中でのミサが中心です。 キリスト教文化研究所図書室 キリスト教精神、思想、文化などに関する和書や洋書、雑誌などを多数所蔵しています。 約10,000冊におよぶ蔵書は、自由に閲覧することができ、貸し出しも行っています。 キリスト教文化研究会 キリスト教を広い視野から研究・考察し、知的理解を深める場として開かれる研究会です。 より幅広く研究するために、本学教員だけではなく学外の講師も招いて行っています。 聖書研究会 指導にあたる教員のもと、学生とともにキリスト教の心を知り、聖書に触れる研究会です。 学生のクラブ活動等への援助 、、、災害支援ボランティアグループの活動を助け、点字の講習会も開催しています。 黙想会合宿 毎日が忙しく、自己についてゆっくり考える時間が持てない学生のために、年数回行っている合宿です。 ともに祈り、仲間と語り合う中で、より深く自己に出会い、新しく生きる力を得ることができるひとときを提供します。 教員構成 所長・副学長・教授 (キリスト教と日本文学) 副所長・准教授(兼) (哲学・人間関係学) 学長・教授 (聖書学) 教授 (キリスト教学) 教授(兼) (日本語学) 教授(兼) (社会福祉学) 教授(兼) (食品衛生学) 教授(兼) (生涯学習概論) 教授(兼) (家族社会学) 教授(兼) (日本文学) 准教授(兼) (特別支援教育基礎論) 講師(兼) (宗教社会学) 学外所員 シスター髙木 貞子 学外所員 シスター橋本 晶子(本学非常勤講師) 学外所員 大谷 文彦 (本学非常勤講師) 学外所員 池田 満之 (本学非常勤講師) 学外所員 出村 和彦 (本学非常勤講師) 学外所員 袴田 渉 (本学非常勤講師) 教育・研究機関 児童臨床研究所•

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岡山にあるノートルダム清心女子大学は一流大学ですか?

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世界に蔓延する排外主義の波、絶えることのないテロや国際紛争、人間の欲望を駆り立て続けるグローバル経済……私たちは今、自分の意志だけでは動かしようのない「宿命」ともいうべき現実の中を生きています。 そんな「宿命」に直面したとき、人はどう生きていけばよいのか? 今から200年近くも前、「宿命」に翻弄された人間たちの群像を描ききった一篇の作品が生み出されました。 「ノートル=ダム・ド・パリ」。 フランス最大の文豪とも称されるヴィクトル・ユゴー 1802- 1885)の傑作です。 物語の舞台は15世紀末。 ノートルダム大聖堂の司教補佐クロード・フロロは、前庭で踊る異邦の女エスメラルダに魅了され、自分が育て上げた孤児の鐘番カジモドにさらわせて我が物にしようとします。 しかし王室親衛隊長に救われ一目ぼれするエスメラルダ。 嫉妬に狂ったクロードはエスメラルダに濡れ衣を着せ破滅させようとします。 エスメラルダの優しさに触れていつしか愛を抱くようになったカジモドは彼女をなんとか救い出そうとしますが、物語は終盤、破局的な結末を迎えるのです。 五回の映画化を果たし、数多くの舞台やミュージカルなどに今も翻案され続けるほど、この作品が人々の心をとらえてやまないのはなぜか? フランス文学者の鹿島茂さんはその理由を、時代を超えて人間を貫く「根源的な葛藤」を描いているからだといいます。 私たちは、登場人物の行為に自らの煩悶や葛藤を重ね合わせることで、自身の姿や運命を見つめさせられるのです。 それだけではありません。 こうした重いテーマを、マンガやアニメーションの原型ともいうべき魅力的なキャラクター造形、映画的ともいえるダイナミックな描写手法を駆使して生き生きと描き出すユゴーの物語には、他の近代小説とは異質の「神話的想像力」にあふれています。 それ故にこそ、時代が更新されるたびに、新しい命が吹き込まれ甦ってくるのです。 番組では、人間が決して避けることができない「根源的な葛藤」にスポットを当て、「ノートル=ダム・ド・パリ」という作品から、人間は宿命とどう向き合い、生きていけばよいのかを読み解いていきます。 元祖ストーカー男、クロード・フロロ司教補佐。 醜い容貌の内に無垢なる魂をもつ鐘つき男、カジモド。 少女性と妖艶さを併せ持つ異邦の女、エスメラルダ。 そして圧倒的な民衆エネルギーを放つ「奇跡御殿のひとたち」。 いずれも現代の漫画やアニメに出てきてもおかしくないような、輪郭の際立った魅力にあふれている。 ユゴーはいかにしてこのようなキャラクターたちを設計しえたのか? 第一回は、このキャラクターたちにスポットを当て、神話的な魅力を放つ物語の秘密に迫っていく。 教義によって恋愛を禁じられた司教補佐の許されざる愛。 強固な中世の秩序とそこからどうしてもはみ出してしまう人間の欲望。 嫉妬が生み出す愛と憎しみの混在。 どんな時代でも人間が直面してしまう葛藤が物語を駆動しているおかげで、誰が読んでも、その葛藤の中に自分自身の姿や運命をみてしまうのだ。 第二回は、人間の中の「根源的な葛藤」がいかに作品の中に描かれているかを読み解く。 彼らの愛は、純粋であればあるほど空回りし、決して報われることはない。 そして、報われない愛は、あるいは狂気へ、あるいは絶望の底へ、人間を暴走させていく。 愛は人を不幸にするだけなのか? それとも? 第三回は、「ノートル=ダム・ド・パリ」を「報われない愛の物語」として読み解き、私たち現代人にも通じる「愛のかたち」を探っていく。 現代でいえば映画でしかなしえないような描写をたたみかけていくユゴー。 彼が「幻視者」とも称されるゆえんだ。 圧倒的な想像力で、光と闇、崇高なものとグロテスクなものを対置して、ユゴーが描き出そうとしたものは何か? それはユゴー自身が激動の時代の中で直面せざるを得なかった人間の「宿命」ともいうべきものだった。 第四回は、彼の圧倒的な想像力の秘密を探るとともに、人間にとっての「宿命」の意味に迫っていく。 まさに言い得て妙で、「ノートル=ダム・ド・パリ」は、本当にやっかいな名著でした。 読み始めて100ページ以上もの間、全く主人公が出てこない。 あるのはカオスのようなお祭りの描写ばかり。 一体いつ本題が始まるんだろうと、いらいらしてきます。 そして、物語がいよいよ本格的にスタートした後も、延々と、俯瞰したパリの風景が語られたり、建築に関する薀蓄が述べられたり……。 いつまでたっても場面が展開しません。 いったいこの作品をどう読めばよいのだろう? 読み始めた誰もがこの問題に突き当たり、挫折を余儀なくされることでしょう。 鹿島さんが解説するんだったら「レ・ミゼラブル」だろうと思った視聴者も多かったかもしれません。 しかし、鹿島さんには、すでに「『レ・ミゼラブル』百六景」という卓抜な解説書がありますし、「レ・ミゼラブル」研究は世の中にごまんと溢れています。 どうせなら、ほとんど類書が見当たらない「ノートル=ダム・ド・パリ」を鹿島流にさばいてもらい、唯一無二の解説本、解説番組がこの世に残せたら……というのが目論見でした。 「近代的小説」ではなく「神話的小説」として読むという鹿島さんの視点から浮かび上がった「ノートル=ダム・ド・パリ」という作品の実像は、意外にも、一気に現代につながってきます。 200年近くも前の作品であるにもかかわらず、です。 レヴィ=ストロースにならって、キャラクターを要素に分解することで浮き彫りになった「じゃんけん構造」からは、「元祖キャラ小説」という意外な側面が明らかになりました。 クロード、カジモド、フェビュスらの愛の読み解きからは、「ストーカー」「オタク」「ホスト」という現代人の「愛のかたち」がくっきりと浮かび上がりました。 もう、こうなると目が離せません。 最後は、現代を代表するエンターテインメント「映画」を、先取りするどころか上回っていくような、ユゴーの凄まじい想像力まで明らかに。 鹿島さんが指摘するとおり、ユゴーの作品は「超近代」といった方がよいのかもしれません。 今までにない形で「ノートル=ダム・ド・パリ」の世界が立体的に膨らんでくることでしょう。 そして、もう一つお薦めなのは、「ノートル=ダム・ド・パリ」を携えて、舞台のパリを訪ねてみること。 私自身も昨年「ノートル=ダム・ド・パリ」を片手に持ってパリを旅行してみました。 意外にも、当時を彷彿とさせる建物や場所がそこここにあり、想像力をフル稼働させると、かつてのパリが脳内に立ち上がってきます。 鹿島さんの「パリ五段活用」「パリ時間旅行」といった著作も絶好のガイドになってくれます。 名著は、時として、今では失われてしまった世界に私たちを誘ってくれるタイムマシンになってくれるのです。 その活動は「本への愛」に溢れています。 「100分de名著」のスタッフ一同も、そんな「本への愛」に刺激を受けつつ、今後も古典の名著に少しでも多くの人たちが近づいてもらえるような番組に育てていきたいと決意を新たにしています。

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花のノートル・ダム(はなののーとるだむ)とは

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「花の都パリ」を象徴するノートル・ダム大聖堂ー勇壮なる西正面、或いはセーヌ川から臨む華麗なるフライング・バットレス等、その優美な姿は世界中の人々を魅了して止まない。 …にも拘らず、殊に西洋建築に関する一般的な入門書や解説書等では、このノートル・ダム大聖堂はアミヤンやランス、若しくはシャルトル等に圧され気味でもあり、存在感が薄くなりがちだと思えるのだが、どうであろうか。 こうした傾向が強い中、徹頭徹尾パリのノートル・ダム大聖堂にのみ捧げられたのが本書であり、この寺院をこよなく愛する方達にとってはかけがえのない一冊になってくれるであろう事は間違いと思う。 本書は、歴史、或いは「大聖堂」の位置付け、更にはステンド・グラス、彫刻、様々な図像やガーゴイル(本書では仏語でガルグイユと表記)等を扱った上で、最終章は「ヴィクトール・ユゴーの見たノートル・ダム」にて締め括っている。 このように列挙しただけでも、本書が如何に幅広い視点を以ってノートル・ダム大聖堂を検証しているか…という事がお解かり頂けると思うが、実際に、その内容の充実度には目を見張るものがあった。 特に、フランス革命の際にこの聖堂が破壊の対象となり、多くの貴重な物が失われた事、そして修復を経て現在の姿に至っている事等を丁寧に辿っている所は実に感慨深く、改めて、この大聖堂がパリの歴史と共にあった事を思い知らされた次第である。 因みに、芸術的観点から特に興味深かった点を挙げるならば、第四章の「図像としてのノートル・ダム」第三節に於いて、徹底的にガーゴイルを分析している箇所について特記したいと思う。 パリのノートル・ダム大聖堂と言えば、誰しも特徴的なガーゴイルについては御存知だと思うし、また、ガーゴイルには雨樋としての役割がある事を学んだ方も多いであろう。 然しながら本書では、本来「雨樋」として登場し、ゴシック建築と共に発達した筈のガーゴイルが、実はこの寺院ではその役割を果たしていない事に着目し、即ち、パリのノートル・ダム大聖堂では「雨樋」のガーゴイルと、怪物の図像としてのガーゴイルが混在している事を突き止めているのだ。 ここで内容の全てを明かしてしまう訳には行かないが、本書ではこうした疑問に端を発して、改めてゴシック建築に於ける図像学にまで踏み込んでおり、非常に画期的であった。 尚、私はたまたまガーゴイルに着目したが、この寺院に魅せられている方であれば、例えば「バラ窓」或いは「彫刻」…等など、それぞれ興味の対象があるであろう。 そして、本書は恐らく、こうした方達の多岐に亘る要望全てに応え得る内容なのではないかと思う。 何しろ、パリのノートル・ダム大聖堂について、遠くから一望するかと思えば、いきなり近付いて詳細を分析する…という展開なので、より広く、そしてより深く理解するには最適なのである。 確かに「様式」と言う観点では他に見るべき大聖堂は幾らでもあるであろうし、建築史の中でのノートル・ダム寺院の位置付けはやや軽んじられる傾向もあるかもしれない。 然しながら、本書を読むと、この大聖堂ならではの特色や価値が理解出来るように思う。 パリのノートル・ダム大聖堂の魅力を再発見出来る名著である。

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