いつか 笑え たら それで いい さ。 笑えない人の心理~もう一度、心から笑えるようになるために~

Naoto Inti Raymi (ナオト・インティライミ)

いつか 笑え たら それで いい さ

いつの間にか座右の銘になっていました。 原因と思われるエピソードが3つ。 小さい頃に父が私に話してくれた第二次大戦中、東南アジアから日本が欧米を追い払って占領したとき現地の人が日本人と欧米人の違いを語った話。 「日本人は仕事をサボったり遅れがでたりすると激しく叱責するし時には暴力をふるったりしたけどそうは言ってもやっぱり優しかった。 欧米人は何も言わずに素知らぬ顔で我々の食事を一切出さなかったのだから。 」 またそれと前後して父の会社で働いていて私達にもいつもよくしてくれた兄さんが父を評して言った言葉。 「社長はなんでも自由にやらしてくれるし、少々サボってても文句は言わない。 でも結果に対してだけはホントに厳しいから、逆に気合いれないといかんけどね。 」 予備校に通っていたとき好きだった日本史の先生が受験にむけた最後の授業のしめで言われたとある映画のセリフなのですが、それを聴いて衝撃を受けた言葉です。 「戦争は勝たなければ意味がないんだよ。 頑張ったからいいじゃない? そんなのは負け犬の遠吠え。 だって戦争なんだもの。 」 それ以来 知らない間に「結果だけが全て。 過程は問題ではない。 」というのが私に強く刷り込まれていました。 思えば「おかげ庵」にしても「やっちゃらや」にしても「G-net」にしても「Uni」にしても「だがぁ」にしても、あらゆるものが私のまわりで生まれては消えていきました。 でも、まだComRadeは残っています。 あちこち不完全でほとんど更新がないなりにアクセスはいまだ増え続けています。 「人が本当に欲しがるのは、人のにおい。 ネットは人と人とが遠くなった今の時代だからこそ切望される人のにおいを提供できる」という私の考えはあたったといえるし、パクリだろうが物まねだろうが人のにおいに重点をおいた私の運営方針は今のところ正しいと言えるでしょう。 そして、一切の利益、存在する理由、価値、条件。 そういうもろもろの過程すべてをひっくるめても「最後に立っている者が勝者」という私の考えからみればComRadeはあらゆる試みにまさっていると思いますし、誰に何といわれようがそれは私の大きな自負になってます。 ただ、立っているというのが結果ならばComRadeは2年半前から立っています。 それ以外の結果といえば挙げれば限りはないが、いずれも成そうと志したことからみれば微々たるもので立っている以上の結果ではありません。 なによりComRadeをはじめたとき「今のネットの事情はこういうところが問題だ」といってはじめる動機になった問題が、そのまま今の私達の状況にあてはまります。 言うならば「立ってはいるが一歩も歩いていなかった。 」というところでしょうか。 経験、見識、見聞。 そんなものを口にするのは言い訳だ。 と言い切る人間にとってこれほど肌が粟立つことはありません。 決して笑える状況ではないですね。

次の

わたしはどうしたらいいのでしょうか。 35才になってしまったわたしは

いつか 笑え たら それで いい さ

コンテンツ• 笑いたいときに笑うのが自然な振る舞い とても簡単な話ですよ。 笑いたいときに笑う• 嬉しいときは嬉しい• 悲しむときに悲しむ• 泣きたいときに泣く それだけ聞くと、すごく自然ですよね?当たり前のことです。 なぜ、あなたはうまく笑えなくなったか? それは、 笑いたくないときに、笑おうとするから うまく笑えなくなっちゃったんですよ。 何でも笑う必要ないですよ。 誰にでも優しくしたり、親切にしたりする必要ないんです。 友達には優しくしなさい• 人には親切にしなさい• 困っている人がいたら助けなさい そんな風に、親や先生の教えを聞いた覚えありませんか?• 本当は嫌いな子なのに、優しくしてあげた• 興味ないのに、親切にしてあげた• 助ける気はないのに、助けてあげた そんな経験ありませんか?あるとしたら要注意。 不自然ですよね。 嫌いな子には、優しくしない• 興味ないなら、親切にしない• 助ける気はないなら、助けない これが自然です。 親や先生の言いつけを守るうちに、 本当の自分の気持ちがわからなくなってきたのかもしれません。 笑いたくもないのに、• 笑わないと仲間外れになるから、笑う• 笑ってないと親が悲しむから、笑う• 笑ってたら攻撃されないから、笑う そんな風にしているうちに、 自分を守るために、どんなときでも笑うことが当たり前になってしまった。 これがあなたの今の状態ではないでしょうか? いつから閉じたんだろう? 小学校3年のときはもう、閉じてたな。 自分らしく笑う方法 「うまく笑う」ってどういうことでしょうか? おそらくあなたが言ってる「うまく」っていうのは、 自然と心からの笑みがこぼれる状態 ですよね。 そうなるには、「楽しい」に限らず、自分の感情を取り戻すことが必要です。 そのためのヒントは、あなたが「嫌い」と感じる人にあります。 あなたの身の回りに、「この人嫌い」と感じる人はいませんか?• 会社の上司がいつも 怒っている• 習い事の先生がいつも 無表情だ• よく行くお店の 怖い顔してる人 そういう、あなたの心をざわざわさせるような人をリストアップしてください。 その人こそ、実はあなたが切り捨ててきた、ないものにしてきた、本来のあなたの感情を表現している人です。 つまり、• 不機嫌なときに怒ること• 無表情で冷たい感じ• お金払ってるのに怖い顔する感じ それがあなたが本来やっていた、自然な表情なんです。 それがいつからか、誰にでもいい顔し始めちゃったんですよね。 自分を守るため• 親から愛されるため そんな理由があったのでしょう。 自然に笑えるようになるためには、• 怒るときは怒る• 無表情・冷たい顔もする• 怖い顔もする そういう表情もあっていいと自分に許可する必要があります。 そうしないと、常に笑っている変な人になってしまいます。 もし、心当たりがあるなら、ぜひ、まずは怒ったり、冷たい人になったり、怖い人になってみてください。 必ず、あなたに自然な笑みが戻ってきます。 年上の奥さんと結婚した後、2人の子を授かるも、イライラをコントロールできずに、我が子を虐待してしまう。 家族と幸せに暮らせるようになるため、育児系のブログやウェブサイト、公共の無料相談、クリニック・病院の心療内科・精神科、民間カウンセラー(アダルトチルドレン系)に助けを求めるも状況は改善されず。。 別居・離婚寸前だったが、心屋塾に入門し、虐待をやめることができ、「今の自分でもいいんだ」と思える、実用的で現実的に効果のある方法・ポイントにたどり着き、虐待をやめられて、奥さんとも円満に暮らせるようになった。

次の

Naoto Inti Raymi (ナオト・インティライミ)

いつか 笑え たら それで いい さ

いつの間にか座右の銘になっていました。 原因と思われるエピソードが3つ。 小さい頃に父が私に話してくれた第二次大戦中、東南アジアから日本が欧米を追い払って占領したとき現地の人が日本人と欧米人の違いを語った話。 「日本人は仕事をサボったり遅れがでたりすると激しく叱責するし時には暴力をふるったりしたけどそうは言ってもやっぱり優しかった。 欧米人は何も言わずに素知らぬ顔で我々の食事を一切出さなかったのだから。 」 またそれと前後して父の会社で働いていて私達にもいつもよくしてくれた兄さんが父を評して言った言葉。 「社長はなんでも自由にやらしてくれるし、少々サボってても文句は言わない。 でも結果に対してだけはホントに厳しいから、逆に気合いれないといかんけどね。 」 予備校に通っていたとき好きだった日本史の先生が受験にむけた最後の授業のしめで言われたとある映画のセリフなのですが、それを聴いて衝撃を受けた言葉です。 「戦争は勝たなければ意味がないんだよ。 頑張ったからいいじゃない? そんなのは負け犬の遠吠え。 だって戦争なんだもの。 」 それ以来 知らない間に「結果だけが全て。 過程は問題ではない。 」というのが私に強く刷り込まれていました。 思えば「おかげ庵」にしても「やっちゃらや」にしても「G-net」にしても「Uni」にしても「だがぁ」にしても、あらゆるものが私のまわりで生まれては消えていきました。 でも、まだComRadeは残っています。 あちこち不完全でほとんど更新がないなりにアクセスはいまだ増え続けています。 「人が本当に欲しがるのは、人のにおい。 ネットは人と人とが遠くなった今の時代だからこそ切望される人のにおいを提供できる」という私の考えはあたったといえるし、パクリだろうが物まねだろうが人のにおいに重点をおいた私の運営方針は今のところ正しいと言えるでしょう。 そして、一切の利益、存在する理由、価値、条件。 そういうもろもろの過程すべてをひっくるめても「最後に立っている者が勝者」という私の考えからみればComRadeはあらゆる試みにまさっていると思いますし、誰に何といわれようがそれは私の大きな自負になってます。 ただ、立っているというのが結果ならばComRadeは2年半前から立っています。 それ以外の結果といえば挙げれば限りはないが、いずれも成そうと志したことからみれば微々たるもので立っている以上の結果ではありません。 なによりComRadeをはじめたとき「今のネットの事情はこういうところが問題だ」といってはじめる動機になった問題が、そのまま今の私達の状況にあてはまります。 言うならば「立ってはいるが一歩も歩いていなかった。 」というところでしょうか。 経験、見識、見聞。 そんなものを口にするのは言い訳だ。 と言い切る人間にとってこれほど肌が粟立つことはありません。 決して笑える状況ではないですね。

次の