こ ぎつね こんこん 歌詞。 童謡「こぎつね」の楽譜、原詩とmidiやmp3試聴と無料ダウンロード

こんこんこんのこぎつねさん ムック(ひらけ!ポンキッキ) 歌詞情報

こ ぎつね こんこん 歌詞

日本語を勉強中の中国人です。 「小ぎつね」という童謡の歌詞を読んでいますが、理解できないところがありますので、お伺いします。 歌詞の参考ページは次のようになります。? 1.「もみじの かんざし つげのくし」 「かんざし つげのくし」とはどんなことを指すのでしょうか。 くしは普通髪の毛を梳く道具ですね。 なぜ、くしにかんざしをつけるのでしょうか。 2.「枯葉(かれは)の着物じゃ ぬうにもぬえず きれいな もようの 花もなし」 「きれいな もようの 花もなし」は枯葉で作られた着物の模様のことを言っているのでしょうか。 「枯葉(かれは)の着物じゃ ぬうにもぬえず きれいな もようの 花もなし」という文の構造がよく分からないので、意味も分からなくなりました。 句読点を入れていただければ助かります。 また、ここの「じゃ」と「ぬうにもぬえず」もよく分からないので、ほかの言い方に言い換えていただけませんか。 3.この歌の主題に関してですが、私は次のように理解していますが、あっていると思われますか。 この歌は「小ぎつね」という名前ですが、実際は、「小ぎつね」のことを歌っているわけではなく、ははぎつねが子供のためにいろいろ苦労していることを歌っています。 はぎつねは自分自身には廉価の化粧品を使ったり、古い着物を着たりしていますが、いつも子供に住みやすい環境を作ってあげろうと考えています。 これがすばらしい母の愛情です。 この母の愛情こそが作詞者が謳歌したがっているところです。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。 よろしくお願いいたします。 そんな時、「こんな台風の中じゃ、傘をさそうにもさせないよ」「道路が川のようになっていて、信号を渡ろうにも渡れないよ」などなど。 】 ?「謳歌」はここでは? 「謳歌」声をそろえて褒め称える。 幸せをはばかることなく楽しむこと。 特に「歌っています」「母の愛情です」「したがっているところです」と断定する表現を使っていますが、ここでは、断定するのではなく、「自分はこう思っています」という表現法がいいのではないかと思います。 8さんの補足欄をお借りしてまとめて補足させていただきます。 皆さんのおかげで、この歌の主題は理解できるようになりました。 ただ、母性愛という点につきましては、もう少し皆さんのご意見をお聞かせください。 私に母性愛を捉えさせたのは、たぶん、歌詞の最後の部分だと思います。 「大きな尻尾」は母狐の尻尾だと思いました。 「穴の中」はすでにとても狭いです。 自分の大きな尻尾が子供の空間の邪魔になったので、自分の尻尾を退けようと、小狐に住みやすい環境、広い生活空間を作ってあげようと、母狐自身は一生懸命考えて悩んで「小首を かしげて かんがえる」と感じられます。 特に、「大きな尻尾は じゃまにはなるし」の中の「し」という単語は、「大きな尻尾」は子供の生活にほかにもいろいろな影響を与えて、ここの「じゃまにはなる」はその数多くの影響の中の一つというニュアンスが強いように思います。 この詩の構造は私は次のように理解しています。 「コンコン」は狐の鳴く声を表しますね。 この詩の中の「コンコン」を小ぎつねが飢えて泣き叫びながら食を求めるさまと理解しています。 つまり、「小ぎつねの鳴き声が山の中や、冬の山や、穴の中に響いている時に、母狐は何々をした」という構造の詩だと思いました。 特に、最後の段落では、母狐が現れていませんが、とても母狐が感じられます。 私のような理解はやはりおかしいのでしょうか。 皆さん、最後の段落は小ぎつねの行為だったら、この最後の段落では、作詞者は何を言いたいのか、「し」はどんなニュアンスを伝えたのか、教えていただけないでしょうか。 よろしくお願いいたします。 #8さんへの補足を拝見したので個人的感想を少々。 歌詞が3番までありますが、小狐に関する作詞者の想像が書かれています。 あのかわいらしい子狐は、雪深い山でこの寒い冬をどのように過ごしているだろうか、せめて楽しく過ごしていて欲しい。 という気持ちが書かせた歌詞でしょう。 想像の源となる状況はそれぞれ2回繰り返される言葉で表現されています。 1は【山の中】 まず、山の中でこのようにして楽しく遊んでいるのではないか、という想像から入っています。 2は【冬の山】 お化粧もしたしかんざしも付けたのであれば、着物も着てみたいと思うかもしれない。 しかし、冬の山なので枯葉しかないだろうし、縫うことも花柄をあしらうこともできないだろう。 と想像は続きます。 3は【穴の中】 2の状況を、 「う~ん、どうしたらいいかなあ。 何か言い方法はないかなあ」と家(穴)に帰ってから一生懸命考えているだろう、という設定です。 確かに困ってはいるだろうけど、小首をかしげて考えるその仕草が可愛らしい。 ところで、私たちでもよくあることですが、何か真剣に悩んでいる時は身近なつまらない不具合(例えば、前髪が額に垂れ下がってくるとか、人が小声で話す声とか)でも必要以上に腹立たしく感じるものです。 同様に、子狐にとっては普段あまり気にしていない体の割りに大きな尻尾が気になり出した、ということではないかと思います。 「そういえばこの尻尾って大きすぎるよね・・」 いわゆる八つ当たりですが、それは苛立ちの証でもあります。 この難しい問題を考えている時に、 その上、尻尾の大きさまで気になりだす【し】、全く困ったものだ、というニュアンスでしょう。 「道に迷う【し】、雨には降られる【し】で今日のハイキングは最悪だった」 などと同じ使い方です。 つまり苛立つほど真剣に、 「どうしたら人間の女の子のようにきれいな着物を着ることができるだろうか。 お化粧やかんざしまでは何とかうまくいったし、あともう一歩なんだけどなあ・・・」 と真剣に悩んでいる様子を面白おかしく想定しているのだと思います。 小首を傾げるのが真剣さの現われであることは人間でも同じですが、その懸命さが可愛らしさにつながっている、ということでしょう。 根本的には、「子狐は寒い冬でも楽しく暮らしている」と思いたい心が生み出した歌詞と言えると思います。 実際は生死に係わる厳しい季節でしょうが、冷めた言い方をすれば人間の勝手な思い込みですね。 子ぎつね コンコン 山の中 子ぎつね コンコン 冬の山 子ぎつね コンコン 穴の中 これはすべて子ぎつねのいる場所を指していると思います。 お化粧、縫い物、尻尾が邪魔 これらもすべて子ぎつねの行為、動作を指していると判断するのが妥当だと思います。 また、子ぎつね コンコンの「コンコン」は、たしかに狐の鳴き声ではありますが、飢えて鳴き叫ぶ子ぎつねの声ではないと思います。 例えば、子犬がワンワン、子猫がニャオニャオ 子狸ポンポコ 子羊メエメエ 子馬がヒンヒン 蛙ケロケロ 蝉がミンミン 雲雀がピーチクパーチクなど、実際に鳴いていることを歌っているのではなく、その動物の可愛らしさを強調するために使われる場合が多いのです。 特にこの「子ぎつね コンコン」の場合は、【コぎつね コんコん】という韻を踏んだ作詞上のテクニックだと思われます。 また、「大きな尻尾」も母狐の尻尾ではなく、穴の中の子ぎつねにとっては、自分の尻尾も邪魔になるほど小さな穴の中にいるのだという状況を表現していると判断いたしました。 そこで、最後の「し」ですが、 【子ぎつねは、お化粧したり、かんざしを付けたり、枯葉を縫おうとしたりして遊んでいました。 まだ何かして遊ぼうと思いましたが、今いる穴はとても狭いし、大きな尻尾は邪魔になるし、何をしたらいいのかな~と小首をかしげて考えた】のではないでしょうか。 「邪魔にはなるし」は、他にも「尻尾が邪魔になるのと同じような不自由さがある」(ここでは、穴が狭くて動きにくい)ということを仄めかしているのです。 この詩で「母狐」を登場させるのは少々無理かなと思いますが・・・・。 専門の方がお答えする領域だとは思いますが、あしからず素人考えです。 1について 「かんざし」も「くし」も両方とも髪を飾るものです。 「つげ」はくしの材料として、現実に使用されていますが「もみじ」はかんざしの材料としてではなく、単なる飾りとして使われていると思います。 句読点は 「枯葉(かれは)の着物じゃ ぬうにもぬえず、きれいな もようの 花もなし」の1ヶ所入れば、分かりやすいと思います。 「札束」を枯葉で化かしたり、露天風呂を「肥溜め」で化かしたりと落語でもとりあげられています。 悪気はないのですが、人を化かす存在としてある意味おそれられていたと思います。 もみじのかんざしもなにか胡散くさく感じてしまいます。 そういえば、昔のフォークソングに「浴衣のきみは、すすきのかんざし」という歌詞がありましたが、きみはきつねではなかったので違和感はありませんでした。 その「きつねの子」のいじらしさが歌われていると感じました。 ご勉強、がんばってください。 少し古い言葉で書かれた歌ですし、リズムがいいように接続詞が省かれているので分かりにくいですね。 順番が前後しますが、3.の主題からお答えします。 残念ながらその解釈は違っているように思います。 この歌は、こぎつねがもし、まるで人間の娘のように、山の中で精一杯おしゃれしているとしたらどんなふうだろうと想像している歌だと思います。 こぎつねのかわいらしい様子を表現しているのです。 1.「もみじのかんざし つげのくし」とは、「もみじで作ったかんざしと、つげの木で作った櫛」ですね。 櫛には、髪を梳く道具の他に、髪に飾る「飾り櫛」というものもあります。 かんざしと同じように、髪飾りの一種です。 質問にはありませんでしたが「草の実つぶしてお化粧したり」というのは、 赤い草の実をつぶして、その汁を口紅や頬紅の代わりにしている様子です。 山で手に入るものを小道具として歌詞に入れているのです。 廉価な化粧品という深い意味はありません。 2.「枯葉(かれは)の着物じゃ ぬうにもぬえず きれいな もようの 花もなし」を、別の言い方をするならば。 「枯葉の着物では、縫おうとしても縫うことはできないし、きれいな模様の花もない」となります。 冬の山なので枯葉しかなく、花も咲いていないので、おしゃれできなくてがっかりだね、という表現です。 まず1につきましてですが、漢字にすると 「紅葉(もみじ)の簪(かんざし) 柘植(つげ)の櫛(くし)」です。 その部分だけを読むと難しいかもしれませんので、 1番全体を見てみましょう。 季節は「秋から冬にかけて」ですね。 子狐が山で遊んでいる風景を描写したものです。 まず草の実をつぶすと色の汁が出たりすることから「化粧」に例えています。 日本では昔から女性は化粧をすると髪も整えて、簪や櫛を挿したものです。 そこで、山を遊ぶうちに身体にひっついた紅葉や木の枝を簪や櫛に例えたわけです。 2につきましては、寒い冬がやってきたので着物を作ろうにも(枯れ葉を身にまとっている姿から)枯れ葉からは着物を縫おう(作ろう)にも縫う(作る)ことはできないし、その上(素敵な着物に模様としてついているような)綺麗な花もこの季節にはありませんね、という思いを冬という季節に重ねた描写だと思われます。 総じてこの歌は「風景画」のような「ほのぼの」とした自然をテーマにした歌だととらえました。 ちなみに「謳歌する」という言葉には「多くの人が口にする」という動作が含まれていますので、作詞者が謳歌したがっているところ」という表現は少し変かと思われます。 「作詞者が伝えたいこと(言いたいこと)」の方が自然かと思われます。 1.「もみじの かんざし つげのくし」 「かんざし」は髪につけるアクセサリです。 小ぎつねはメスだと思われます。 もみじの葉をかんざしの代わりに頭につけて飾りにしたということです。 「つげ」は木の種類の名前です。 つげで作ったクシです。 これは小ぎつねが実際につげのくしを持っていた わけではなく、歌詞として、「つげのくし」をつけ 加えた方が格好がつくからだと思います。 2.「枯葉(かれは)の着物じゃ ぬうにもぬえず きれいな もようの 花もなし」 「じゃ」は「では」と言い変えられます。 枯葉で着物をぬおうとしてもぬえないという意味です。 この歌は冬の情景を描いた歌です。 冬の山は枯葉ばかりで、花がないのできれいな 着物は作れない。 春か夏なら花できれいな着物を 作れるのになあという事です。 3.この歌の主題に関してですが、私は次のように理解していますが、あっていると思われますか。 この歌には母きつねは登場していません。 化粧をしたり着物をほしがったりする メスの小ぎつねのかわいらしさを描いた 歌だと思います。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。 よろしくお願いいたします 「住みやすい環境を作ってあげろうと」は 「住みやすい環境を作ってあげようと」の 書き間違いです。 「愛情こそが作詞者が謳歌したがっているところです」ここで「謳歌」を使うのは適切ではありません。 「愛情こそが作詞者が表現したがっているところです」でいいでしょうね。 >もみじの かんざし つげのくし 日本髪(にほんがみ)の飾(かざ)りの事を言っているのだと思います。 舞妓さんなどがしている日本古来の髪型(かみがた)です。 髪に刺さっている飾りが「かんざし」です。 もみじの葉っぱで作った「かんざし」と柘植(つげ)で作った櫛(くし)、この場合 飾(かざ)り櫛(くし)だと思います。 柘植(つげ)で作った櫛(くし)は高級品なんです。 で、髪を梳(と)かすための櫛(くし)ではなく、髪飾(かみかざり)りに使う櫛(くし)が 飾(かざ)り櫛(くし)です こぎつねが、もみじの かんざしと つげのくしで かざって たのしんでいる ように見える と言うことだとおもいます。 ----------- >枯葉(かれは)の着物じゃ ぬうにもぬえず きれいな もようの 花もなし 以下 我流の訳-- 枯葉で作った着物では (もようを)ぬいたくても、ぬえないから きれいな花のもようができなかったの 3の解釈は多様にあると思うからパス。 まず、この童謡の主題を「母の愛情」と取るのは少し考えすぎに思います。 母を比喩で表す部分がないからです。 この童謡は「子狐の無邪気なかわいらしさを季節毎の情景の中で表現した」ものではないでしょうか。 1.かんざし(簪)は髪飾り、つげのくしは(柘植の櫛)は質問の通り櫛です。 キツネが実際にかんざしをつけたり、くしで体毛を梳くわけではありませんが、遊んでいる子狐にまとわりついた紅葉の葉っぱや、木の枝をかんざしやくしに見立てて、その無邪気さ、かわいらしさを表現したと思います 2.「枯葉(かれは)の着物じゃ ぬうにもぬえず きれいな もようの 花もなし」も見立てですね。 子狐の体にくっついた枯れ葉を「着物のようだ」と感じて(見立てて)、でも葉っぱじゃ立派な着物として仕立てることはできないなぁ。 という意味でしょう。 また「きれいな もようの 花もなし」は解釈が難しいですね。 「晩秋なので枯れ葉はあっても、花は咲いていない。 だから枯れ葉の着物に花模様はないね 」と言っているように感じ取りました。

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こ ぎつね こんこん 歌詞

小学校の音楽の授業ではやなどで演奏されるようだ。 この文部省唱歌では、草の実をつぶしてお化粧をしたり、もみじのかんざしをつけたりと、可愛らしいきつねの様子が描写されている。 これに対して、原曲のドイツ語の歌詞では、ガチョウをきつねに盗まれた飼い主がキツネに向けてちょっと過激なセリフをぶつけている様子が描かれている。 メロディのルーツは? モルダウやイスラエル国歌と同じ? ドイツ民謡『こぎつね』のメロディについては、や、との類似性が指摘されることがある。 写真:のモチーフとなったヴルタヴァ(モルダウ)川 いずれの曲も、そのルーツ・起源は16世紀イタリアの楽曲『』とされており、同曲は長い年月を経てヨーロッパ各地に広まり、それぞれの国の民謡として定着したと考えられている。 一例をあげると、同曲がチェコ民謡となって定着した楽曲『Kocka leze dirou(穴から猫が)』などは、隣国ドイツの民謡『こぎつね』と全体的な曲調がとてもよく似ており、2曲が何らかの関係にあるのは想像に難くない。 : かわいいキツネよ 忠告しておくよ 頼むから泥棒にならないでおくれ お前はガチョウのローストを食べる必要はない ねずみで我慢しなさい 関連ページ 『こぎつね』、『キツネ狩りの歌』、『向う横丁のお稲荷さん』など、キツネに関する日本の民謡・童謡・世界の歌まとめ。 『5匹のあひる』、『おしゃべりあひる』、『気のいいあひる』、『ピーターと狼』など、可愛いアヒルに関する日本の民謡・童謡・世界の歌まとめ。 『こぎつね(キツネがガチョウを盗んだ)』、『小鳥の結婚式』、『ロディーおばさんに言っといで』など、可愛いガチョウに関する日本の民謡・童謡・世界の歌まとめ。 動物が歌詞に登場する世界の民謡・童謡、日本の唱歌、動物に関連する歌、動物をテーマとした曲・クラシック音楽など動物別まとめ 『ぶんぶんぶん』、『こぎつね』、『山の音楽家』など、学校の音楽授業・教科書でもおなじみの有名なドイツ民謡・童謡の歌詞と解説まとめ 『魔王』、『野ばら』、『ローレライ』、『菩提樹』、『歌の翼に』など、19世紀ロマン派ドイツ歌曲を中心とした定番の作品解説まとめ.

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日本語を勉強中の中国人です。 「小ぎつね」という童謡の歌詞を読んでいますが、理解できないところがありますので、お伺いします。 歌詞の参考ページは次のようになります。? 1.「もみじの かんざし つげのくし」 「かんざし つげのくし」とはどんなことを指すのでしょうか。 くしは普通髪の毛を梳く道具ですね。 なぜ、くしにかんざしをつけるのでしょうか。 2.「枯葉(かれは)の着物じゃ ぬうにもぬえず きれいな もようの 花もなし」 「きれいな もようの 花もなし」は枯葉で作られた着物の模様のことを言っているのでしょうか。 「枯葉(かれは)の着物じゃ ぬうにもぬえず きれいな もようの 花もなし」という文の構造がよく分からないので、意味も分からなくなりました。 句読点を入れていただければ助かります。 また、ここの「じゃ」と「ぬうにもぬえず」もよく分からないので、ほかの言い方に言い換えていただけませんか。 3.この歌の主題に関してですが、私は次のように理解していますが、あっていると思われますか。 この歌は「小ぎつね」という名前ですが、実際は、「小ぎつね」のことを歌っているわけではなく、ははぎつねが子供のためにいろいろ苦労していることを歌っています。 はぎつねは自分自身には廉価の化粧品を使ったり、古い着物を着たりしていますが、いつも子供に住みやすい環境を作ってあげろうと考えています。 これがすばらしい母の愛情です。 この母の愛情こそが作詞者が謳歌したがっているところです。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。 よろしくお願いいたします。 そんな時、「こんな台風の中じゃ、傘をさそうにもさせないよ」「道路が川のようになっていて、信号を渡ろうにも渡れないよ」などなど。 】 ?「謳歌」はここでは? 「謳歌」声をそろえて褒め称える。 幸せをはばかることなく楽しむこと。 特に「歌っています」「母の愛情です」「したがっているところです」と断定する表現を使っていますが、ここでは、断定するのではなく、「自分はこう思っています」という表現法がいいのではないかと思います。 8さんの補足欄をお借りしてまとめて補足させていただきます。 皆さんのおかげで、この歌の主題は理解できるようになりました。 ただ、母性愛という点につきましては、もう少し皆さんのご意見をお聞かせください。 私に母性愛を捉えさせたのは、たぶん、歌詞の最後の部分だと思います。 「大きな尻尾」は母狐の尻尾だと思いました。 「穴の中」はすでにとても狭いです。 自分の大きな尻尾が子供の空間の邪魔になったので、自分の尻尾を退けようと、小狐に住みやすい環境、広い生活空間を作ってあげようと、母狐自身は一生懸命考えて悩んで「小首を かしげて かんがえる」と感じられます。 特に、「大きな尻尾は じゃまにはなるし」の中の「し」という単語は、「大きな尻尾」は子供の生活にほかにもいろいろな影響を与えて、ここの「じゃまにはなる」はその数多くの影響の中の一つというニュアンスが強いように思います。 この詩の構造は私は次のように理解しています。 「コンコン」は狐の鳴く声を表しますね。 この詩の中の「コンコン」を小ぎつねが飢えて泣き叫びながら食を求めるさまと理解しています。 つまり、「小ぎつねの鳴き声が山の中や、冬の山や、穴の中に響いている時に、母狐は何々をした」という構造の詩だと思いました。 特に、最後の段落では、母狐が現れていませんが、とても母狐が感じられます。 私のような理解はやはりおかしいのでしょうか。 皆さん、最後の段落は小ぎつねの行為だったら、この最後の段落では、作詞者は何を言いたいのか、「し」はどんなニュアンスを伝えたのか、教えていただけないでしょうか。 よろしくお願いいたします。 #8さんへの補足を拝見したので個人的感想を少々。 歌詞が3番までありますが、小狐に関する作詞者の想像が書かれています。 あのかわいらしい子狐は、雪深い山でこの寒い冬をどのように過ごしているだろうか、せめて楽しく過ごしていて欲しい。 という気持ちが書かせた歌詞でしょう。 想像の源となる状況はそれぞれ2回繰り返される言葉で表現されています。 1は【山の中】 まず、山の中でこのようにして楽しく遊んでいるのではないか、という想像から入っています。 2は【冬の山】 お化粧もしたしかんざしも付けたのであれば、着物も着てみたいと思うかもしれない。 しかし、冬の山なので枯葉しかないだろうし、縫うことも花柄をあしらうこともできないだろう。 と想像は続きます。 3は【穴の中】 2の状況を、 「う~ん、どうしたらいいかなあ。 何か言い方法はないかなあ」と家(穴)に帰ってから一生懸命考えているだろう、という設定です。 確かに困ってはいるだろうけど、小首をかしげて考えるその仕草が可愛らしい。 ところで、私たちでもよくあることですが、何か真剣に悩んでいる時は身近なつまらない不具合(例えば、前髪が額に垂れ下がってくるとか、人が小声で話す声とか)でも必要以上に腹立たしく感じるものです。 同様に、子狐にとっては普段あまり気にしていない体の割りに大きな尻尾が気になり出した、ということではないかと思います。 「そういえばこの尻尾って大きすぎるよね・・」 いわゆる八つ当たりですが、それは苛立ちの証でもあります。 この難しい問題を考えている時に、 その上、尻尾の大きさまで気になりだす【し】、全く困ったものだ、というニュアンスでしょう。 「道に迷う【し】、雨には降られる【し】で今日のハイキングは最悪だった」 などと同じ使い方です。 つまり苛立つほど真剣に、 「どうしたら人間の女の子のようにきれいな着物を着ることができるだろうか。 お化粧やかんざしまでは何とかうまくいったし、あともう一歩なんだけどなあ・・・」 と真剣に悩んでいる様子を面白おかしく想定しているのだと思います。 小首を傾げるのが真剣さの現われであることは人間でも同じですが、その懸命さが可愛らしさにつながっている、ということでしょう。 根本的には、「子狐は寒い冬でも楽しく暮らしている」と思いたい心が生み出した歌詞と言えると思います。 実際は生死に係わる厳しい季節でしょうが、冷めた言い方をすれば人間の勝手な思い込みですね。 子ぎつね コンコン 山の中 子ぎつね コンコン 冬の山 子ぎつね コンコン 穴の中 これはすべて子ぎつねのいる場所を指していると思います。 お化粧、縫い物、尻尾が邪魔 これらもすべて子ぎつねの行為、動作を指していると判断するのが妥当だと思います。 また、子ぎつね コンコンの「コンコン」は、たしかに狐の鳴き声ではありますが、飢えて鳴き叫ぶ子ぎつねの声ではないと思います。 例えば、子犬がワンワン、子猫がニャオニャオ 子狸ポンポコ 子羊メエメエ 子馬がヒンヒン 蛙ケロケロ 蝉がミンミン 雲雀がピーチクパーチクなど、実際に鳴いていることを歌っているのではなく、その動物の可愛らしさを強調するために使われる場合が多いのです。 特にこの「子ぎつね コンコン」の場合は、【コぎつね コんコん】という韻を踏んだ作詞上のテクニックだと思われます。 また、「大きな尻尾」も母狐の尻尾ではなく、穴の中の子ぎつねにとっては、自分の尻尾も邪魔になるほど小さな穴の中にいるのだという状況を表現していると判断いたしました。 そこで、最後の「し」ですが、 【子ぎつねは、お化粧したり、かんざしを付けたり、枯葉を縫おうとしたりして遊んでいました。 まだ何かして遊ぼうと思いましたが、今いる穴はとても狭いし、大きな尻尾は邪魔になるし、何をしたらいいのかな~と小首をかしげて考えた】のではないでしょうか。 「邪魔にはなるし」は、他にも「尻尾が邪魔になるのと同じような不自由さがある」(ここでは、穴が狭くて動きにくい)ということを仄めかしているのです。 この詩で「母狐」を登場させるのは少々無理かなと思いますが・・・・。 専門の方がお答えする領域だとは思いますが、あしからず素人考えです。 1について 「かんざし」も「くし」も両方とも髪を飾るものです。 「つげ」はくしの材料として、現実に使用されていますが「もみじ」はかんざしの材料としてではなく、単なる飾りとして使われていると思います。 句読点は 「枯葉(かれは)の着物じゃ ぬうにもぬえず、きれいな もようの 花もなし」の1ヶ所入れば、分かりやすいと思います。 「札束」を枯葉で化かしたり、露天風呂を「肥溜め」で化かしたりと落語でもとりあげられています。 悪気はないのですが、人を化かす存在としてある意味おそれられていたと思います。 もみじのかんざしもなにか胡散くさく感じてしまいます。 そういえば、昔のフォークソングに「浴衣のきみは、すすきのかんざし」という歌詞がありましたが、きみはきつねではなかったので違和感はありませんでした。 その「きつねの子」のいじらしさが歌われていると感じました。 ご勉強、がんばってください。 少し古い言葉で書かれた歌ですし、リズムがいいように接続詞が省かれているので分かりにくいですね。 順番が前後しますが、3.の主題からお答えします。 残念ながらその解釈は違っているように思います。 この歌は、こぎつねがもし、まるで人間の娘のように、山の中で精一杯おしゃれしているとしたらどんなふうだろうと想像している歌だと思います。 こぎつねのかわいらしい様子を表現しているのです。 1.「もみじのかんざし つげのくし」とは、「もみじで作ったかんざしと、つげの木で作った櫛」ですね。 櫛には、髪を梳く道具の他に、髪に飾る「飾り櫛」というものもあります。 かんざしと同じように、髪飾りの一種です。 質問にはありませんでしたが「草の実つぶしてお化粧したり」というのは、 赤い草の実をつぶして、その汁を口紅や頬紅の代わりにしている様子です。 山で手に入るものを小道具として歌詞に入れているのです。 廉価な化粧品という深い意味はありません。 2.「枯葉(かれは)の着物じゃ ぬうにもぬえず きれいな もようの 花もなし」を、別の言い方をするならば。 「枯葉の着物では、縫おうとしても縫うことはできないし、きれいな模様の花もない」となります。 冬の山なので枯葉しかなく、花も咲いていないので、おしゃれできなくてがっかりだね、という表現です。 まず1につきましてですが、漢字にすると 「紅葉(もみじ)の簪(かんざし) 柘植(つげ)の櫛(くし)」です。 その部分だけを読むと難しいかもしれませんので、 1番全体を見てみましょう。 季節は「秋から冬にかけて」ですね。 子狐が山で遊んでいる風景を描写したものです。 まず草の実をつぶすと色の汁が出たりすることから「化粧」に例えています。 日本では昔から女性は化粧をすると髪も整えて、簪や櫛を挿したものです。 そこで、山を遊ぶうちに身体にひっついた紅葉や木の枝を簪や櫛に例えたわけです。 2につきましては、寒い冬がやってきたので着物を作ろうにも(枯れ葉を身にまとっている姿から)枯れ葉からは着物を縫おう(作ろう)にも縫う(作る)ことはできないし、その上(素敵な着物に模様としてついているような)綺麗な花もこの季節にはありませんね、という思いを冬という季節に重ねた描写だと思われます。 総じてこの歌は「風景画」のような「ほのぼの」とした自然をテーマにした歌だととらえました。 ちなみに「謳歌する」という言葉には「多くの人が口にする」という動作が含まれていますので、作詞者が謳歌したがっているところ」という表現は少し変かと思われます。 「作詞者が伝えたいこと(言いたいこと)」の方が自然かと思われます。 1.「もみじの かんざし つげのくし」 「かんざし」は髪につけるアクセサリです。 小ぎつねはメスだと思われます。 もみじの葉をかんざしの代わりに頭につけて飾りにしたということです。 「つげ」は木の種類の名前です。 つげで作ったクシです。 これは小ぎつねが実際につげのくしを持っていた わけではなく、歌詞として、「つげのくし」をつけ 加えた方が格好がつくからだと思います。 2.「枯葉(かれは)の着物じゃ ぬうにもぬえず きれいな もようの 花もなし」 「じゃ」は「では」と言い変えられます。 枯葉で着物をぬおうとしてもぬえないという意味です。 この歌は冬の情景を描いた歌です。 冬の山は枯葉ばかりで、花がないのできれいな 着物は作れない。 春か夏なら花できれいな着物を 作れるのになあという事です。 3.この歌の主題に関してですが、私は次のように理解していますが、あっていると思われますか。 この歌には母きつねは登場していません。 化粧をしたり着物をほしがったりする メスの小ぎつねのかわいらしさを描いた 歌だと思います。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。 よろしくお願いいたします 「住みやすい環境を作ってあげろうと」は 「住みやすい環境を作ってあげようと」の 書き間違いです。 「愛情こそが作詞者が謳歌したがっているところです」ここで「謳歌」を使うのは適切ではありません。 「愛情こそが作詞者が表現したがっているところです」でいいでしょうね。 >もみじの かんざし つげのくし 日本髪(にほんがみ)の飾(かざ)りの事を言っているのだと思います。 舞妓さんなどがしている日本古来の髪型(かみがた)です。 髪に刺さっている飾りが「かんざし」です。 もみじの葉っぱで作った「かんざし」と柘植(つげ)で作った櫛(くし)、この場合 飾(かざ)り櫛(くし)だと思います。 柘植(つげ)で作った櫛(くし)は高級品なんです。 で、髪を梳(と)かすための櫛(くし)ではなく、髪飾(かみかざり)りに使う櫛(くし)が 飾(かざ)り櫛(くし)です こぎつねが、もみじの かんざしと つげのくしで かざって たのしんでいる ように見える と言うことだとおもいます。 ----------- >枯葉(かれは)の着物じゃ ぬうにもぬえず きれいな もようの 花もなし 以下 我流の訳-- 枯葉で作った着物では (もようを)ぬいたくても、ぬえないから きれいな花のもようができなかったの 3の解釈は多様にあると思うからパス。 まず、この童謡の主題を「母の愛情」と取るのは少し考えすぎに思います。 母を比喩で表す部分がないからです。 この童謡は「子狐の無邪気なかわいらしさを季節毎の情景の中で表現した」ものではないでしょうか。 1.かんざし(簪)は髪飾り、つげのくしは(柘植の櫛)は質問の通り櫛です。 キツネが実際にかんざしをつけたり、くしで体毛を梳くわけではありませんが、遊んでいる子狐にまとわりついた紅葉の葉っぱや、木の枝をかんざしやくしに見立てて、その無邪気さ、かわいらしさを表現したと思います 2.「枯葉(かれは)の着物じゃ ぬうにもぬえず きれいな もようの 花もなし」も見立てですね。 子狐の体にくっついた枯れ葉を「着物のようだ」と感じて(見立てて)、でも葉っぱじゃ立派な着物として仕立てることはできないなぁ。 という意味でしょう。 また「きれいな もようの 花もなし」は解釈が難しいですね。 「晩秋なので枯れ葉はあっても、花は咲いていない。 だから枯れ葉の着物に花模様はないね 」と言っているように感じ取りました。

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