四号車の五号車より。 全体の最新情報

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四号車の五号車より

MR2一号車 MR2一号車 全てはこの子から始まりました。 もし、私がこの子と出会っていなければ、Midship病にはなっていなかったかもしれません。 そう、こいつが諸悪の根元なのです(笑)。 この子の名は、MR2、型式がAW11であるため、単にAWとも呼ばれるトヨタの車です。 一般的には、最終型と呼ばれている五型でした。 AW11って、どんな車 MR2は(AW11、正確には1. 5LのAW10もあります)は、トヨタが日本で初めて発売した量産ミッドシップ・スポーツです。 正式発表前に、東京モーターショーにSV3という名前で出典されました。 このSV3は量産型とAWとほぼ同じでしたが、外観上は、リアスポイラーの形状が異なりました。 そして、1984年6月8日、ついにMR2は正式に発表されました。 AWは、マイナーチェンジが一回、一部改良が三回行われています。 一般的にはマイナーチェンジを境に前期型と後期型に分けられており、最後の一部改良の後を最終型と呼ぶ場合もあります。 私は一部改良を含めて変更がある都度、分けて、前期型を一型、二型、後期型を三、四、五型と全部で五つに分類しています。 このMR2一号車は、最後の五型です(ちなみにMR2二号車は、一型)。 詳細は別途述べますが、大ざっぱに言えば、NAの場合、余り大きな違いはありません。 前期型の方がハンドリングは軽快で、後期型の方が安定志向にあると言われていますが、私が乗り比べた結果から言えば、あえて分ける程の違いがあるようには思えませんでした。 基本的には、比較的小型軽量であることもあり、動きは軽快です。 絶対パワーはNAの場合には大したことはありませんが、上り坂でない限り、パワー不足を私は感じませんでした。 ブレーキは効きは悪くはありませんが、ノーマルパッドだとフェードしやすく、ノーマル主義者の私でもパッドとフルードだけは交換しました。 これは、ブレーキ配分が前より過ぎるのも原因の一つではないかと思います。 パッドは、通常はエンドレスのタイプMを使っていました。 ボディ剛性は、絶対的にはそう高いレベルではないと思いますが、キャビンが小さいこともあり、体感的にはそう悪くはありません。 基本的な特性はアンダーステアです。 ミッドシップというイメージよりもかなり強めのアンダーステアと言って良いのではないかと思います。 このため、時々、批判されていたりします。 特にフロントへの荷重移動が十分で無かった場合には、かなりひどいアンダーステアに陥ります。 ただ、これはミッドシップの特性とも言えますから、AWだけがそうなる訳ではありません。 しかし、アンダーステアと言っても、必ずしもアウト側にはらんで行く訳ではありません。 確かにフロントの舵角は大きくなり、フロントタイヤは滑っていますが、そのまま、車は曲がっていきます。 フロントタイヤは滑っているけど、上から見れば、車全体としては、ほぼニュートラルステアと言うことも出来ます。 さて、エンジンです。 AW10は1. 5lの3Aを搭載していますが、AW11は、1. 6lのトヨタが世界に誇るスポーツツインカムである4A-GELUです。 私は必ずしも正しい表現ではないのですが、4AGと略するのが好きですので、以降は、全て4AGと表記します。 5Lの普通のセダンのエンジンと大差ないものです。 しかし、7700回転から始まるレッドゾーンまで、きれいに吹け上がります。 一号車は、レブリミッターがメーター読みで8000回転強で作動したため、常時、8000回転までは常用していました。 そして、フィーリングもですが、音が素晴らしいです。 私は4AGの音を聞くと、心が休まります。 少なくとも私にとっては、4AGは最高のエンジンです。 3S-GEの音がじゃりを落としたような音だとすれば、4AGのはさらさらの砂です。 操作性は基本的には良好です。 シフトフィールは見た目よりもストロークが長く、剛性感にも欠けます。 しかし、ギヤが入る瞬間の手ごたえは悪くないですし、どのギヤも入れ易いので操作性という観点から言えば悪くないです。 各ペダルやレバー、スイッチなども良好です。 なお、パワーウインドウに運転席だけオートモートがあることに随分長いこと気が付いていませんでした。 サイドブレーキはシフトレバーの右側にあります。 一見使い難そうにも思えますが、実際には邪魔にもならず、私はこの配置が好きです。 SWも同じですね。 逆に普通にシフトレバーの後側にあると私には使い難いです。 AW式に慣れてしまっているからでもありますが。 実は86も基本的には同じ位置だったりします。 ただ、86と違ってレバーがでているので、操作性は向上しています。 これまたこれに慣れているので、普通にステアリング・コラムにレバーがあるタイプは使い難かったりします。 全体として、絶対的な速さはありませんが、バランスが取れていて、乗っていて、非常に楽しい車です。 ミッドシップは運転が難しいと言われる場合もありますが、決してそんなことはありません。 確かに限界領域でのコントロールは難しいかもしれませんが、そこまでいかないある一定の領域ではこれほど楽な車も無いと思います。 そうですね、二重円だと思って下さい。 外側の円の外に出ると車は限界を越えて、制御不能となります。 内側の円の中では、非常に楽で、誰でもそこそこのペースで走ることが出来ます。 しかし、二つの円の間の領域で走らせるためには、慣れと技量が必要で、気を付けないと円の外に出てしまいます。 円の外に出てしまうとどうなるかというと・・・もうどうなるか分かりません。 多分、道路からも外に出てしまうでしょう(爆)。 ちなみに私は内側の円の外には出ないようにしています。 他の人はどうだか知りませんが、現時点に至るまで、AWは世界最高の車です。 G-Limited、ノーマルルーフのNAです。 オプションはエアコンとオーディオ、それにリアコンソールボックス程度しかつけませんでしたが、それでも総額は200万円を軽く越えていました。 今から考えると年収の半分以上のローンをよくもまあ、いきなり組んだものです。 そして、これが苦闘の始まりでした。 私は、大学二年の夏休みに運転免許を取りましたが、その後は、時々、友人の車やレンタカーを運転していた程度で、実質初心者マークでした。 納車された翌日にはもうフェンダーを擦ってしまいました。 その後もあっちでゴリ、こっちでガリと擦ったり、軽くぶつけまくったのです。 右フェンダーの傷はやや大きかったので、仕方無いので、板金修理を依頼しました。 納車されて、一ヶ月もたたない時のことです。 そして、ある時、田圃の中の道を走っていました。 用水路にかかっている橋を渡ろうとしたのですが、思ったより狭かったため、渡るのを止めてバックすることにしました。 ところが、その時、上り坂になっていたため、ずりずりっと車が後退し、そして、反対側のガードレールに・・・ガシっと右リアフェンダーをぶつけて、ベコっとへこませてしまったのです。 生まれて間もなく、早くも二度目の板金修理です。 しかし、まだ、それは本命ではありませんでした。 梅雨も明けたある夜、雨が上がった後の下り坂を私は三速で下っていました。 実はガソリンの残りが少なく、燃料警告灯が時々点灯するようになっていたので、極力ガソリンを消費しないようにしていたのです。 しかし、これが裏目に出ました。 ヘアピンになっている左コーナーにブレーキを踏んで減速して、進入したのですが、ちょっと減速が不十分でした。 そして、そこは雨に降って出来た水たまりがまだ乾いていなかったのです。 で、対向車さえいなければ、おっと危ないで、済んでいたのですが、前を見ると対向車が列をなしてやってくるではないですか!このままでは正面衝突してしまいます。 私はすぐに自分の車線に戻るべく、ステアリングを左に切ろうとしました。 しかし、その時、先頭の対向車が私を避けるために、彼にとって反対車線、つまり私の側の車線に進路を変更したのです!このまま、私が自分の車線に戻れば、その車と正面衝突してしまいます。 かと言って、まっすぐ行けば、後続の対向車とぶつかります。 私の逃げ場は・・・・もはや一個所しかありません。 私は、ステアリングを左ではなく、右に切って、反対側の路肩へと進むしかありませんでした。 対向車とはぶつからずに済みました。 しかし、一号車は、対向車を避けるために目一杯、右へ寄せたため、右のフロントフェンダーを路肩の外にある崖肌にぶつけてしまったのです。 これは数秒間の出来事ですが、対向車線に飛び出した後の私は、妙に冷静で、何故か十分にどうすべきか考える時間がありました。 まるで、時間の流れが遅くなったかのようでした。 幸い、ダメージはフェンダーだけで済みましたので、自走は可能でした。 しかし、その右フェンダーは以前ぶつけて板金したところです。 こんなことなら、修理に出さなければ良かったと思いました。 結局、フェンダーのダメージは大きく、交換することになり、それまでの板金修理のため、修理費用が尽きていた私は、ついに車両保険を使う羽目になりました。 総額は今から見ればたいしたことなかったので、もったいなかったですけどね。 その後も、渋滞の中で追突され、リアバンパーを交換する羽目になったりもしました(これは費用は相手持ち)。 これも含めて、納車後、なんと四回も板金修理することになったのです。 担当営業氏に、納車直後に廃車になったことはあるけど、こんなに何度も板金修理したのは初めてだと言われました。 本当に何度も怪我させちゃって、ごめん。 私はそう言い聞かせることしか出来ませんでした。 さすがにその後は、運転も慣れたので、膨らんできた対向車にかすめられたのと、ドアミラーをぶつけてぶっとばした位で、板金系の修理は済みました。 やっぱり、最初の車だったせいでしょう。 本当に何度も怪我させてごめん。 でも、怪我じゃ済まないことがついに起こってしまったのです。 運命の日 1994年7月16日深夜、日付が17日に変わる直前、それは起きました。 箱根某所で、やや霧が出ているものの走行に支障があるという程ではなく、普通に走っていました。 左コーナーを抜けて、三速のまま次の右コーナーへ進入したところ、いきなりテールスライドを起こし、ノーズがインに向きました。 まずいととっさにカウンターステアを当て、なんとか立て直したかと思った次の瞬間、天地が入れ替わりました。 頭上で火花が散っています。 そのまま、しばらく滑ってようやく止まりました。 シートベルトで中吊りになったまま、私は声にならない声をあげていました。 ダメージが大きいことは明白です。 私の体には特に異常はありません。 でも、でも、この子が重傷を負ったことは外に出ないでも分かりました。 結局、ちょうど駐車場の前のコーナーであったこともあり、一緒にいた友人らやそこらにいた人達に助けてもらい、ひっくり返った一号車を起こしました。 助手席側のルーフから着地したため、そこはつぶれて斜めになっています。 もし、逆に運転席側から接地していたら、私は無事では済まなかったでしょう。 しかし、それでも、この子はまだ走れたのです。 リトラクタブルライト式であるため、ライトが上がりませんが、フォグは点灯したので、それを頼りに友人の車に先導してもらって、自走して帰りました。 右リアをイン側の壁に当てていたため、アームが若干曲がっているため、ある程度以上速度を出すと振動が出ますが、法定速度内なら問題はありません。 しかし、それらを除けは問題はありません。 エンジンはこの状態でもレブリミットまできれいに回ります。 私はまだ、この時には望みを捨てていませんでした。 だって、この子はまだ走れるのですから! 駐車場に戻った時には既に明るくなってきており、改めて、大怪我をしたこの子を眺めると、走ることは出来ますが、どう見ても、もはや、手遅れに思えます。 望みは捨ててないと言いつつも、もう一人の自分はもう駄目だと諦めてしまったように思いました。 重要なものは車から下ろして、また写真を撮りました。 家に戻って、寝ようとしましたが、自分がしでかしてしまった事の重大さを考えると眠れません。 涙が止まりません。 今日に至るまで、私の生涯でこれだけ涙を流したことはありません。 ディーラーに事故ったので見て欲しい、自走は可能だから、これから行くと電話して行きました。 ついて、出てきた懇意の営業氏らを始め、ディーラーの人達は、この子を見て、絶句していました。 そりゃ、そうでしょう。 事故ったけど、自走は可能と聞いていて、ルーフが半分つぶれた車がやってきた訳ですから。 ともかく、修理出来ないか見積もりを依頼しました。 しかし、結論はやはり無理とのことです。 ルーフを始め、モノコックの各部にダメージが及んでおり、仮に修理したとしても、以前と同じようには走ることは出来ないだろうということでした。 もし、ホワイトボディがあれば、ボディを交換することにより、修理可能かもしれません。 しかし、既に生産終了後五年が経過しており、ホワイトボディはもうはや入手出来ません。 結局、私はまだ生きているこの子を葬りさるしかありませんでした。 私の生涯で最悪の決断でした。 走行距離はちょうど10万kmを越えたばかりでした。 抹消登録証明書 平成6年9月5日 関東運輸局 神奈川陸運支局長 これが私が最愛のこの子を葬り去ったという証拠です。 親が死んでもその時には涙を流さなかった私ですが、この夏、夜になると毎晩思い出して泣いていました。 秋になっても、まだ、ふいに思い出して泣いてしまいます。 大の男が恥ずかしい話ですが、今でも思い出すと涙が出てきます。 そう、今、これを書いている時でも、私の目からは涙が流れ出ているのです・・・・・。 MR2一号車のスペック 車名・グレード トヨタMR2 G-limited(五型) 車輌型式 E-AW11-WCMQF ボディカラー スーパーホワイトIII 043) シャシー/ボディー形式 スチールモノコック/スチール 初度登録年月 1989年4月 登録抹消年月 1994年9月 新車当時車輌本体価格 1,709,000円 全長 3950mm 全幅 1665mm 全高 1250mm ホイールベース 2320mm トレッド 前1440mm:後1440mm 最低地上高 140mm 車輌重量 1020kg:前軸重430kg:後軸重590kg 車輌総重量 1130kg 最小回転半径 4. 0mmx77. 0mm 圧縮比 9. 250 減速比 4.

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【号車が自由席】の例文集・使い方辞典

四号車の五号車より

ひろとも[走れ!バカップル列車 第76号 サンライズ出雲(東海道・山陽線)] 走れ!バカップル列車 第76号 サンライズ出雲(東海道・山陽線) 二 とりあえず今回はみつこさんの許可が出たので、早速旅程を組むことにした。 七月八日金曜日の夜、「サンライズ出雲」で東京駅を出発、翌朝出雲市に着いたあと出雲大社に向かう。 その後は一畑電車で松江に出て、その日は米子泊。 翌日は境港(さかいみなと)に行って米子空港から帰京するという計画を立てた。 七月九日土曜日の米子の宿はなかなか取れなくて難儀したが、地元独立系の古くて小さなビジネスホテルがひとつだけ空いてるのを見つけることができた。 翌日日曜日午後の米子発羽田行きの飛行機もとれなかった。 この時期の米子にいったいなにがあるのか。 まったくわからないが、幸い鳥取発の便なら予約ができた。 あとは「サンライズ出雲」だ。 この寝台券がとれなかったら、旅行は中止にせざるを得ない。 出発日一か月前の六月八日、みどりの窓口で「十時押し」をしてもらった。 希望していた「サンライズツイン」という二人部屋は一瞬で売り切れてしまい、やはりとれなかった。 いよいよ旅行は中止かと諦めていたところへ駅員が機転をきかせて他の寝台をあたってくれた。 「『シングルツイン』というのがとれましたがいかがでしょうか? 補助ベッドをつければお二人でご乗車できます」 (「シングルツイン」かあ……)一瞬、考え込んでしまう。 じつはは十四年前、「サンライズ瀬戸」で乗車した寝台が「シングルツイン」なのだ。 二人で乗るにはちょっと窮屈だった記憶があるから、今回は「サンライズツイン」にしようとしたのだが。 それでも旅行できないよりはましだ。 そう考えて、「シングルツイン」の寝台券を買うことにした。 手にした寝台券に記された個室は「13号車 12番」となっている。 家に帰って寝台特急の室内の様子が載っている雑誌を見ると、「12番」の個室は進行方向右側にあることがわかった。 「『サンライズ』の寝台券取れたんだけどね」みつこさんに話しかけてみた。 「よかったじゃん」 「二人用の広い個室が取りたかったんだけど、それは取れなくて、昔『瀬戸』で乗った狭い二段式の部屋になったんだ。 大丈夫かな?」 「うん、大丈夫だよ。 取れてよかったよ」 そうして一か月が過ぎた。 列車の発車時刻は22時ちょうどだが、早めに家を出て、八重洲口のレストラン街でスパゲッティーを食べた。 改札口を抜け、九番・十番ホームまで来たのは九時半少し前のことだ。 夜遅い時間帯とはいえ、家路へ急ぐ通勤客たちがせわしなく行き交い、隣の十番線ホームには上野東京ラインの普通列車を待つ行列が長く伸びている。 九番線からは21時30分発の「湘南ライナー13号」がちょうど出発するところだ。 白い車体に斜めに緑の三本線が入った185系電車で、日中は特急「踊り子」に使われている。 「いかにも国鉄って感じの電車だね」みつこさんがいう。 「そりゃあ、本当に国鉄時代につくられた車両だからね」 185系もずいぶん古い。 最初に登場したのは一九八一(昭和五六)年だからすでに三十五年も経っている。 よく見たら先頭車は「クハ185-1」。 185系の中でもいちばん古い車両である。 JR車両のなかにはすでに廃車になったものもあるから、当時の国鉄はずいぶんと頑丈に車両をつくったものである。 「湘南ライナー」が発車して五、六分ほど経って、待ちかねた「サンライズ瀬戸・サンライズ出雲」が品川の車庫から回送されてきた。 「瀬戸」と「出雲」で同じ編成が七両ずつ、合わせて十四両という長い編成だ。 その名のとおり、「サンライズエクスプレス」は夜明けをイメージした車両である。 車体上半分が赤、下半分がベージュ色で、赤とベージュの境目に金のラインが細く通っている。 寝台特急といえば夜というイメージで車体も青色というのが国鉄からの伝統だったが、それとはまったく対照的だ。 オール二階建てで寝台車はすべて個室。 木目調のインテリアデザインはミサワホームとの共同開発である。 快適性とプライバシーを重視する時代を反映している。 いちばん豪華な「シングルデラックス」は四号車と十一号車、「シングル」は三、四、十、十一号車以外の各車両、「シングル」よりやや狭い「ソロ」は三、十号車、二人用個室の「サンライズツイン」は四、十一号車、私たちが乗る「シングルツイン」は一、二、六、七、八、九、十三、十四号車の車端部に配置されている。 このほか「ノビノビ座席」というカーペット敷きにごろ寝できる座席が五、十二号車にある。 枕やシーツはないが掛け布団はある。 寝台券は必要なく特急券(指定席)だけで乗れるからかなりお得といえる。 列車の先頭で記念写真を撮ったあと、みつこさんと二人で一号車から後ろの十四号車まで列車の様子を眺めながらホームを歩く。 始発駅から列車に乗るときはできるだけ発車前に先頭から最後部まで見ておきたい。 このひとときが旅立ちへの高揚感をいっそう引き立てるのだ。 キャリーバッグを転がして自分の寝台に向かって歩く人たちがいる。 早くも個室に乗り込んで、したくを整えている乗客が窓越しに見える。 乗車率はかなり高そうだ。 夏休みが近い金曜だからか、本日発の「サンライズ瀬戸」は高松到着後、土讃線の琴平まで運転区間を延長する。 十四号車で列車の最後部を眺めてから一両分戻って、今夜の宿となる十三号車に乗り込む。 車端部に中央の通路を挟んで左右に二室ずつ個室が並んでいるが、このうち右側前方寄りの「十二番」が私たちの「シングルツイン」だ。 「タクシーみたいな匂いだな」 部屋に入るなり、匂いに敏感なみつこさんがいう。 言われてみればそんな匂いがしないでもない。 自分では特に気にならなかったし、それがどういうことなのか、その時の私にはわからなかったので、「そうかな?」と適当に答えておいた。 個室はお世辞にも広いとはいえない。 一人分の寝台が上下に並んでいて、その手前は人一人がやっと立てるぐらいのスペースしかない。 二人同時に立つと身動きがとれず、みつこさんがはじめに下段寝台に座って、やっと私が荷物を上段に載せるといった具合だ。 荷物を置いたり上着をハンガーにかけたり、したくが整って私が上段に、みつこさんが下段に落ち着いたところでちょうど発車時刻になった。

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「五反野駅」から「北四番丁駅」始発検索

四号車の五号車より

ひろとも[走れ!バカップル列車 第57号 寝台特急トワイライトエクスプレス(終着+後日談編)] 走れ!バカップル列車 第57号 寝台特急トワイライトエクスプレス(終着+後日談編) 二 ゆっくり食べて八時ごろ食堂車をでた。 その足で車内探検にでかけることにする。 四号車のサロン「サロンデュノール」までは昨日も来ているので、今朝はその先まで足を延ばす。 四号車でもサロンの先はあまり見ていなかった。 五号車側へ向かう通路の一角は自動販売機コーナーになっていて、一台はおつまみやシャワーセットなどを売る機械、もう一台はふつうの飲み物用の販売機になっている。 自動販売機コーナーの奥はシャワールームが二部屋並んでいる。 「スイート」「ロイヤル」以外の寝台にはシャワー設備がないので、シャワーをする乗客はここを利用する。 時間帯の予約とシャワーカードの購入は食堂車で扱っている。 五号車と六号車はB個室寝台の車両だ。 車内レイアウトはそれぞれ同じで、大阪寄りに「シングルツイン」個室が真ん中の通路を挟んで左右に六室ならんでいる。 「シングルツイン」は基本的に一人用だが補助ベッドを使えば二人までが利用できる部屋だ。 札幌寄りは通路が右側(山側・太平洋側)に移って、左側(日本海側)に「ツイン」が七部屋並んでいる。 「ツイン」は二人用で上下にベッドが並ぶ構造になっている。 もちろん、こうした設備はパンフレットなどからわかる構造で、実際に乗客がいる部屋をきょろきょろとのぞくわけにはいかない。 七号車の大阪寄りには小さなロビースペースがある。 深緑色の革のソファが二脚、直角に並べられていて山側と大阪側に向いて座るようになっている。 小型の自動販売機もある。 「ここ、いいね」 みつこさんがソファに座って、くつろいでいる。 四号車の大きな「サロンカー」よりこぢんまりした七号車のミニロビーの方が落ち着くんだそうだ。 ミニロビーでちょっと休憩して再び探検開始。 七号車のミニロビー以外のスペースには五、六号車と同じ「ツイン」が九室並んでいる。 八号車、九号車はB寝台コンパートメントと呼ばれていて、一般的な開放型B寝台と同じレイアウトの寝台車だ。 線路と直角方向に二段ベッドが向かい合わせに計四つ並んでいる。 ほかの寝台特急と違うのはこの四つのベッドスペースと通路との境にドアが設けられていることだ。 広さや構造は開放型寝台と同じでも、四人組で利用すればドアで仕切られた部屋をコンパートメントとして使うことができる。 B寝台コンパートメントはところどころシーツを使っていない空席が見られる。 「トワイライトエクスプレス」はどの寝台も満席だと言われてきたが、実際に乗ってみると誰も乗せずに走る寝台もあるのだ。 年輩ウエイターが二日前が狙い目だといったのはキャンセルが意外に多いことをいっていたのだろう。 九号車の札幌寄りの車端が車内探検の終点である。 機関車との間に客室に電気を供給する電源車が一両連結されているが、乗客は入れない。 車端の左右には車掌室があるが、その間には乗客ものぞける窓がある。 窓の向こうの電源車にも連結面のドアがあって「荷物室」と書かれている。 「荷物車だね」 みつこさんが楽しそうにいう。 上野駅などで寝台特急が停まっているとみつこさんは必ず電源車の窓をのぞく。 電源車の発電機以外のスペースは荷物室になっていて、「弘前行」などと書かれた麻袋を載せていたりした。 それを見るのがなぜかみつこさんは好きなのだ。 「トワイライトエクスプレス」は荷物は載せていないが、「荷物室」という文字にどういうわけかみつこさんは食いついている。 ちょうど列車は登別に停車した。 車掌が一人いてホームに出て様子を確認したあと、車掌室に入り、その窓からもう一度ホームを確認している。 無線機からなにか声が聞こえてくる。 列車が動き出し、スピードがいくらか出てきたところで車掌は窓を閉めた。 「寒いですねえ」 私たちに話しかけてくる。 いまの季節、コートなしで外に出たら寒いはずだが、最近の車掌といえば不親切な人ばかりで、用事がなければ声をかけてくることなどあり得ないのに、きょうの車掌はなんだか愛想がいい。 「その無線機で機関車とやりとりしてるんですか?」 せっかくなので車掌に聞いてみた。 「ええ。 客車なんで、無線しか機関車と交信できないんですよね。 ここではドア扱いしてないんで、後ろの車掌が話してるんですが」 てっきりこちらの車掌がドアの開閉しているのかと思った。 ドア扱いしない割にはずいぶん念入りにホームの安全を確認していたように思う。 三十分ほどの車内探検を終えて、二号車三番「スイート」に戻ってきた。 ふたりでソファに座って、外の景色をぼんやり眺める。 さきほどまでの曇天が晴れてきた。 雪原は朝日を浴びてきらきらとまぶしく光っている。 サングラスを忘れてきたことを思い出した。 個室からは太平洋は見えず、牧場がただただ広がっている。 その向こうにはあまり記憶にない、独立してそびえる山がある。 地図をみたら樽前山というらしい。 しばらくして車掌の観光案内でも樽前山と紹介していた。 「あ、お馬さんだ!」みつこさんが叫ぶ。 「え、どこどこ?」 地図を見ていたら、見逃してしまった。 「すぎちゃったよ」 「えー」 このあたりは競走馬を育てる牧場があって、運が良ければ馬が見られるといわれるが、私はまだ見たことがない。 それにしてもこんな雪原に放牧したりするのだろうか。 「あー、いたいた!」 みつこさんがまたいうので、私も急いで窓の外をみる。 「いた! ホントだ! 見えた!」 均整の取れたサラブレッドが雪の牧場を散歩しているのが見えた。 雪でも放牧するなんて、実際見るまで知らなかった。 8時50分、苫小牧に停車した。 ふとみると駅のヤードの向こうに壁に鳩の絵や「友愛」の文字を飾りたてた趣味の悪いビルがある。 「なにあのビルー」みつこさんが笑いながら指さす。 「そんなのわかりきってるじゃん。 だって『はとやま』って書いてあるよ」 「あの人って、ここが地元なの?」 「よく知らないけど選挙区はこのあたりだよ」 「そうなんだ」 列車は苫小牧から千歳線に入る。 札幌の二つ先の白石で、いったん分かれた函館線と再び合流する。 札幌着は9時52分。 二十二時間におよぶ乗車時間もあと一時間を残すところとなった。 千歳線は札幌近郊の通勤路線になっていて、駅周辺には高層マンションが建ち並んだりもしているが、駅から離れたところにはいまもところどころ草原が広がっている。 「ひろさん」 ソファの向こうからみつこさんが話しかけてくる。 「なに」 「やっぱ乗って良かったでしょ?」 「うん、良かったよぉ」 私は実感をこめて答えた。 「ひろさん、最初は乗るのよそうかって言ってたけど」 「二号車の『スイート』とか乗っても、やっぱ一号車の『スイート』に乗りたかったなって悔やむと思ってたんだけど、ぜんぜんそんなことないね」 「乗ったときもあんまりうれしそうじゃなかったし」 「いや。 うれしい、うれしい」実際、乗っているうちにうれしさが実感を伴ってわいてきたのである。 「それなら、良かったじゃん」 「うん、悔やむどころか、大満足。 もう別に一号車の『スイート』とか乗らなくてもいいやってなった」 「本当? そりゃあ、ホントに良かったね」 「みつこさんのおかげだよ」 「いやいや。 ひろさんが八月からみどりの窓口に通い続けたおかげだよ」 「でさぁ」 「なに」 「『トワイライト』の『スイート』はもういいからさぁ」 「なに?」みつこさんが身構える。 「『カシオペア』の一号車一番の『スイート』に乗ろうよ」 「えー!? マジでー?」 「うん、マジマジ」 「うーん……寝台券が取れたらね」みつこさんは呆れかえって答えた。 ピイイィ! 遠くで汽笛の音がする。 空は青く、大地は白い。 「トワイライトエクスプレス」は終着札幌めざしてひた走る。 カタカタカタという軽快な車輪の音が、いつまでもどこまでも鳴り続けていた。

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