君のいない日々生活。 小さな“君”と歩んだ日々…母の日にこそ読み返したい号泣必至の名作『君の春』|ウーマンエキサイト(1/2)

第1話 怠惰な日々

君のいない日々生活

30歳まで女性として暮らしてきて、染色体検査でインターセックスと判明。 自身は、男性でもなく、女性でもない何かと性自認し、自分の体に起きた劇的な体験をエッセイ漫画として飄々と描く。 離婚も経験し、東京から名古屋へ引っ越し、専門学校の非常勤講師となる。 そこで出会ったゲイの美青年、こう君をアシスタントにして、同居生活を送る。 出会いから10年、こう君は漫画家デビューし、カミングアウトをする。 カメラが二人の生活に密着し、新井の心の奥底を照射するとき、二人の関係は思わぬ方向へ・・・。 新井祥は漫画だけではなく、トークショーも行っている。 名古屋の会場では、染色体検査でインターセックスだと判明したという読者から、感謝の言葉をかけられた。 新井の漫画のおかげで、自分がどう生きたらいいのか、教えられたと告白された。 職場でもカミングアウトして、理解を得られているという。 新井自身も相談者たちからの多くの感謝の言葉によって、励まされている。

次の

映画 「性別が、ない!」インターセックス漫画家のクィアな日々

君のいない日々生活

どうやら僕の想像は甘かったみたいだ。 僕はある程度、この生活に慣れたつもりでいたらしい。 しかし、未だに目覚まし時計は朝に弱い誰かの為に本来起きようとしていた時間の十五分前に鳴り始める。 うっかりコーヒーを二杯分作ってしまう癖は、わざとそのままにしてある。 余った分は夜に飲むのに楽だから。 空のコップに、薄茶色の液体を黒々しい海になるまで注いで口の中へ流す。 あまり好きではない風味が鼻から抜けて、爽快とは言えない苦味を舌全体で引き伸ばす。 好きでもない物を朝から体に馴染ませることに違和感を覚えないのは、きっとそれが癖になってしまっているからだろう。 有限な生活に身を置く学生である僕にモーニングコーヒーの習慣なんて無かった。 彼女が止めてくれなかったら、朝食代わりの板チョコに冷蔵庫は占拠されていたかもしれない。 体内に気持ち程度のカフェインを取り込んだ僕は顔を洗って、ソファの上に放り投げていたパーカーと、淡い青色のデニムパンツに着替えた。 高校時代から愛着しているデニム生地は、刺々しさも角が取れ、もうすっかり肌に馴染んでくれていた。 去年の春は、とにかく目覚めが悪かった。 自分以外の体温を感じる布団の中はあまりにも誘惑的で、何度アラームが鳴り響こうとも、瞼が重たくて仕方が無かった。 彼女が朝に弱かったことも、僕の心の甘えを生んだ大きな原因だった。 少しだけ手を伸ばして彼女の手を握ってみると、決まって彼女の手は冷たかった。 「生きてる?」なんて意地悪く訊くのが好きだった。 もっとも彼女の目は閉じ切ったままで、僕の問いなど微睡みに消えていくだけに過ぎなかったのだが。 彼女の髪は長かった。 それは本人も自覚しているらしく、「早くショートカットにしたい」が彼女の口癖だった。 だが彼女は口でそう言うばかりで、いざ僕が美容院に連れていこうとするとやたら面倒くさがり、気づいた時にはもう彼女の腰辺りまで黒のカーテンが降りてきていた。 彼女の黒檀のような髪が風に混ざるのを、僕はしばしば呼吸を忘れてしまうほどに見つめていた。 振り返り、僕には真似出来ないほど優しく笑う彼女を、決して自分には手に入らないもののように感じていたのだ。 また、思い出してしまった。 僕の身体に穴でも空いていて、そこから無意識に漏れ出しているかのように、彼女はほんの一瞬の隙をついて姿を現す。 一度思い出してしまえば、僕には目の前に彼女が立っているのとさして変わらないほど鮮明にイメージが出来てしまう。 こういう時は頭を空にするのがいいと、僕の経験則的に理解はしている。 しかし何も考えないというのは、この状態になってしまってからではそう簡単に出来る芸当ではない。 もう既に、僕の目には彼女が見えてしまっているのだから。 絶対にそんな事象は有り得ないと理解していても、彼女は何度も何度も、僕の前に姿を現す。 現れる彼女は服装も髪の長さもてんでバラバラで、僕がその時思い浮かべた姿をしている。 何度名前を呼んでも何の反応も示さず、彼女からも何一つとして話しかけては来ない。 もういるはずのない彼女がそこにいる。 ただそれだけの事が、こんな幻覚が、ここまで僕の神経をすり減らすものだとは思わなかった。 「もう大丈夫だから、帰りなよ」 彼女は僕の言葉など意にもかいさずにこちらに歩み寄ってくると、そのまま僕の隣に腰掛けた。 二人がけ用のソファが定員いっぱいになって、自然と僕も端によって彼女が楽に座れるようスペースを作った。 彼女は向こう側の手すりにもたれ掛かるようにして、顔を突っ伏した。 黙々と支度を進める僕の横で分刻みの睡眠を得る彼女、まるで以前の僕達のようだった。 彼女はどうしたいのだろうか。 戻りたいと、思ってくれているのだろうか。 こんな風に僕に取り憑くことで、何か伝えたいことでもあるのだろうか。 それともこれは全て、現実を受け入れられない僕が作り上げた傲慢な幻覚に過ぎないのだろうか。 そんなことばかりを考えて、何にも辿り着けないまままでいる。 確か、今日の講義は三限からだったはずだ。 現在の時刻は午前八時。 まだまだ持て余すだけの時間はある。 カーテンの隙間から、暖和的な光が差し込んで来ていた。 今日は春一番といった天気になるだろうと、スマートフォンの画面にも映し出されている。 僕は昔から日光が苦手だった。 ベランダに続く大窓には、厚い遮光カーテンがいつも掛かっている。 彼女はそれを嫌い、人間らしくないと僕を叱った。 これに関して、僕に反論の余地など残されてはいなかったが、自分の根底から否定されたような気分から変に意地になり、よく言い合いになった。 今度二人で白レースのカーテンを買いに行くという約束が、数回の衝突の末に二人が導き出した妥協案だった。 「まだアレ、覚えてるの?」 もう春も終わるよ。 僕はそう付け加えようとしてやめた。 時間は都合の悪いように流れていき、それに付随する季節も決まって意地が悪い。 彼女のいない春が、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。

次の

セイカツ 歌詞「おさるのうた」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

君のいない日々生活

どうやら僕の想像は甘かったみたいだ。 僕はある程度、この生活に慣れたつもりでいたらしい。 しかし、未だに目覚まし時計は朝に弱い誰かの為に本来起きようとしていた時間の十五分前に鳴り始める。 うっかりコーヒーを二杯分作ってしまう癖は、わざとそのままにしてある。 余った分は夜に飲むのに楽だから。 空のコップに、薄茶色の液体を黒々しい海になるまで注いで口の中へ流す。 あまり好きではない風味が鼻から抜けて、爽快とは言えない苦味を舌全体で引き伸ばす。 好きでもない物を朝から体に馴染ませることに違和感を覚えないのは、きっとそれが癖になってしまっているからだろう。 有限な生活に身を置く学生である僕にモーニングコーヒーの習慣なんて無かった。 彼女が止めてくれなかったら、朝食代わりの板チョコに冷蔵庫は占拠されていたかもしれない。 体内に気持ち程度のカフェインを取り込んだ僕は顔を洗って、ソファの上に放り投げていたパーカーと、淡い青色のデニムパンツに着替えた。 高校時代から愛着しているデニム生地は、刺々しさも角が取れ、もうすっかり肌に馴染んでくれていた。 去年の春は、とにかく目覚めが悪かった。 自分以外の体温を感じる布団の中はあまりにも誘惑的で、何度アラームが鳴り響こうとも、瞼が重たくて仕方が無かった。 彼女が朝に弱かったことも、僕の心の甘えを生んだ大きな原因だった。 少しだけ手を伸ばして彼女の手を握ってみると、決まって彼女の手は冷たかった。 「生きてる?」なんて意地悪く訊くのが好きだった。 もっとも彼女の目は閉じ切ったままで、僕の問いなど微睡みに消えていくだけに過ぎなかったのだが。 彼女の髪は長かった。 それは本人も自覚しているらしく、「早くショートカットにしたい」が彼女の口癖だった。 だが彼女は口でそう言うばかりで、いざ僕が美容院に連れていこうとするとやたら面倒くさがり、気づいた時にはもう彼女の腰辺りまで黒のカーテンが降りてきていた。 彼女の黒檀のような髪が風に混ざるのを、僕はしばしば呼吸を忘れてしまうほどに見つめていた。 振り返り、僕には真似出来ないほど優しく笑う彼女を、決して自分には手に入らないもののように感じていたのだ。 また、思い出してしまった。 僕の身体に穴でも空いていて、そこから無意識に漏れ出しているかのように、彼女はほんの一瞬の隙をついて姿を現す。 一度思い出してしまえば、僕には目の前に彼女が立っているのとさして変わらないほど鮮明にイメージが出来てしまう。 こういう時は頭を空にするのがいいと、僕の経験則的に理解はしている。 しかし何も考えないというのは、この状態になってしまってからではそう簡単に出来る芸当ではない。 もう既に、僕の目には彼女が見えてしまっているのだから。 絶対にそんな事象は有り得ないと理解していても、彼女は何度も何度も、僕の前に姿を現す。 現れる彼女は服装も髪の長さもてんでバラバラで、僕がその時思い浮かべた姿をしている。 何度名前を呼んでも何の反応も示さず、彼女からも何一つとして話しかけては来ない。 もういるはずのない彼女がそこにいる。 ただそれだけの事が、こんな幻覚が、ここまで僕の神経をすり減らすものだとは思わなかった。 「もう大丈夫だから、帰りなよ」 彼女は僕の言葉など意にもかいさずにこちらに歩み寄ってくると、そのまま僕の隣に腰掛けた。 二人がけ用のソファが定員いっぱいになって、自然と僕も端によって彼女が楽に座れるようスペースを作った。 彼女は向こう側の手すりにもたれ掛かるようにして、顔を突っ伏した。 黙々と支度を進める僕の横で分刻みの睡眠を得る彼女、まるで以前の僕達のようだった。 彼女はどうしたいのだろうか。 戻りたいと、思ってくれているのだろうか。 こんな風に僕に取り憑くことで、何か伝えたいことでもあるのだろうか。 それともこれは全て、現実を受け入れられない僕が作り上げた傲慢な幻覚に過ぎないのだろうか。 そんなことばかりを考えて、何にも辿り着けないまままでいる。 確か、今日の講義は三限からだったはずだ。 現在の時刻は午前八時。 まだまだ持て余すだけの時間はある。 カーテンの隙間から、暖和的な光が差し込んで来ていた。 今日は春一番といった天気になるだろうと、スマートフォンの画面にも映し出されている。 僕は昔から日光が苦手だった。 ベランダに続く大窓には、厚い遮光カーテンがいつも掛かっている。 彼女はそれを嫌い、人間らしくないと僕を叱った。 これに関して、僕に反論の余地など残されてはいなかったが、自分の根底から否定されたような気分から変に意地になり、よく言い合いになった。 今度二人で白レースのカーテンを買いに行くという約束が、数回の衝突の末に二人が導き出した妥協案だった。 「まだアレ、覚えてるの?」 もう春も終わるよ。 僕はそう付け加えようとしてやめた。 時間は都合の悪いように流れていき、それに付随する季節も決まって意地が悪い。 彼女のいない春が、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。

次の