ヘーゲル 精神 現象 学。 精神現象学(せいしんげんしょうがく)とは

『精神現象学(ヘーゲル)』要旨・要約、感想とレビュー

ヘーゲル 精神 現象 学

カントからヘーゲルへ カント哲学を継承展開した、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルらの哲学は ドイツ観念論の哲学と呼ばれています。 ソクラテス、プラトン、アリストテレスによって展開された ギリシア古典時代の哲学に匹敵する黄金時代と見られています。 ギリシア古典哲学については、全て下記のリンクで解説しています。 カントの「純粋理性批判」が1781年に刊行され、ヘーゲルの没年が1831年なので、ちょうど半世紀に渡ってドイツ観念論哲学は展開されました。 この哲学が目指したのは、カントのもとで人間理性は「限定的に」神的理性の後見を退けることができたわけですが、その限定的な範囲を押し広げようとしたと言えます。 なお、このあたりの説明について詳しくは下記のリンクで解説しています。 上の記事でも解説していますが、カントは「現象界」と「物自体界」において、人間は「現象界」のみ正しく理解可能であるとしました。 しかし、「現象界」と「物自体界」という二元論は、落ち着きが悪く、ヘーゲルのもとで一元化が目指されたというわけです。 ヘーゲルとは? ヘーゲルは1770年に南ドイツのシュトゥットガルトに生まれました。 1788年にシュービンゲン大学に入学し哲学と神学を学びました。 その2年後の1789年に、隣国のフランスでフランス革命が起こりました。 ヘーゲルももちろん隣国から入る情報を目の当たりにしてましたから、彼の人生は社会の大きな変革とともにあったと言えるでしょう。 大学卒業後は、当時の習慣に従い、貴族や実業家の家庭教師をしながら研究を続けます。 1801年にシェリングの推薦によって、ようやくイェナ大学の私講師の職を得て、シェリングとヘーゲルは共に哲学雑誌を発行したりし始めます。 しかし、ヘーゲルはシェリングにだいぶ気を遣っていたらしく、1803年にシェリングが大学を離れてようやく伸び伸びと活動し始めます。 1807年に主著「精神現象学」を発表します。 その後は様々な大学に招かれ弟子を各地に配置して、ドイツ哲学界に君臨することになります。 1830年にはベルリン大学総長に就任しますが、1831年にコレラであっけなく亡くなっています。 ヘーゲルの思想 - 精神現象学とは? ヘーゲルはカントの思想をどのように展開していったのでしょうか? カントは人間理性の「有限性」を強く主張しました。 つまり、人間理性が影響を及ぼせるのは、あくまで「現象界」のみであり、「物自体の世界」には及ばないということです。 カントは現象界は「悟性の枠組み(カテゴリー)」によって整理されると考えました。 しかし、 ヘーゲルは「悟性の枠組み(カテゴリー)」が、もっと多ければそれだけ、人間理性が理解できる範囲が増大すると考えました。 もし、そのカテゴリーが無限に増大するのであれば、もはや物自体の世界は限りなく小さくなり、認める必要はないだろうと考えました。 直感の形式 思考の枠組み 量 単一性 数多性 全体性 質 事象内容性 否定性 制限性 関係 実体と属性 原因と結果 相互作用 様相 可能性 現実性 必然性 ちなみに、もともと悟性のカテゴリーは、上の表の通り、12個の固定的な枠組みに考えたことは不評でした。 人間の精神の働きなのだから、もっと生き生きと、拡張されていくはずなのではないか?と考えられていました。 そうして、人間精神には異質として捉えられていたものも、カテゴリーを広げることで、次々と精神へと取り込まれ、本当の意味での世界の創造者になりうるのではないかと考えました。 無時間的世界から歴史的世界へ ヘーゲルは、カントの現象界と物自体界という二元論を克服していき、むしろ人間精神は拡張されて変化していくものだと考えました。 いわば、人間精神は全く変化しない、静的なものではなく、動的に拡張されるものだと捉え始めました。 いわば、点から線へと認識を変化したわけです。 それと時を同じくして、人々の「世界」への捉え方も、静的なものから動的な歴史的な世界へと捉え方が変化していきます。 つまり、神様が作った、固定的な世界ではなく、人間が自らの手によって作り替え、歴史を作っていくものだと捉えたわけです。 また、歴史を作るのは民族ですから、民族としてのアイデンティティが生まれ始めたのもこの頃です。 いわば、ヘーゲルの思想は、民族精神の解放の一つの運動でもあったわけです。 弁証法とは何か ヘーゲルは、一方的に人間の精神を、世界に押し付けるとは考えていません。 むしろ、人間の精神が世界に、その枠組み(カテゴリー)をうまく押し付けるために、精神もまた世界に自分を合わせ、従わなくてはいけません。 つまり、精神と世界は相互作用をするものだと考えました。 彼が家庭教師時代に研究した、イギリスの古典経済学、特にアダム・スミスから学んだ「労働」という概念によって捉えています。 アダムスミス については下記のリンクで詳しく解説しています。 「労働」は、労働者が一方的に、材料などの対象に働きかけるのではなく、それと同時に労働主体も対象によって働き掛けられます。 スキルが向上したり、やり方を工夫したりするはずです。 つまり、お互いに作用しています。 ヘーゲルは、遠く離れたドイツから、イギリスの近代的生産様式に触れ、その哲学的骨組みだけを捉えたのだと言えそうです。 絶対精神を獲得する ヘーゲルは、人間の精神は、労働を通じて弁証法的に(=対話して相互に作用しながら)成長していくと考えました。 そして、成長し続けた結果、もはやもう、自分に立ち向かってくる異質な力が何一つなくなった時に 絶対精神 を獲得すると考えました。 ヘーゲルは当時のフランス革命に、その思想を重ねながら、人間は長い圧政から解き放たれて絶対精神を獲得する最終段階に来ていると考えました。 超自然的思考様式の完成 こうして、カントによって自然の科学的認識による支配を約束され、さらにはヘーゲルによって神の後見を退陣させ、 その支配を拡大していくのが人間精神であり、最終的には「絶対精神」を獲得すると考えました。 つまり、人間は「自然」よりも上の概念、つまり支配する立場を確立したというわけです。 プラトンによって提唱されたイデアなどの「超自然的思考様式」が近代化され復興を遂げたと言えそうです。 プラトンについて詳しくは下記のリンクで解説しています。 ヘーゲルによって、見事に人間が自然の支配者になり得る哲学的な根拠が提示され、 その後、自然を操作し、コントロールし、作り替えるという「近代化」や「機械化」を推し進めたことは言うまでもありません。 後の産業革命などは、もちろんヘーゲルの哲学的基礎づけと共に進行していきました。 まとめ カントから始まった、プラトン思想の復興運動は、ヘーゲルによって見事に近代化され完結しました。 プラトンは、自然を死せる物質として捉え、超自然的な「イデア」の模造に過ぎないと考えました。 ヘーゲルはその考え方を踏襲し、人間と自然とが弁証法的に相互作用することで、理解を広げ、技術として取り込んでいくと考えました。 プラトンとヘーゲルの大きな違いは、神様しか持ち得ない超自然的な概念を、人間のもとに取り戻し、そして自ら拡大する精神を持つと考えたことです。 ハイデガーは、ヘーゲルから「形而上学が技術として猛威をふるう」とのちに述べますが、まさしく産業革命など大きな近代化を成し遂げたと言えるでしょう。

次の

精神現象学 を読み解く。 ヘーゲル著 世界は精神(ガイスト)であり、世界はガイストの現象 (フェノメノン)であり、世界史は世界精神の弁証法的展開である。 。改訂版

ヘーゲル 精神 現象 学

0020 ヘーゲル著(作品社)を再読しました。 著者は言うまでもなく、近代哲学における最高の巨人です。 これまで、ヘーゲルの哲学はマルクス主義につながる悪しき思想の根源とされてきました。 しかし、わたしは、ヘーゲルほど、現代社会が直面する諸問題に対応できる思想家はいないと思っています。 ヘーゲルは、共同体と人間の関係について徹底的に考えた人でした。 社会制度と個人のあり方を見たとき、共同体には大きくふたつのものがあります。 ひとつは「国家(ポリス)」という公共的で明確な法律を持った共同体。 もうひとつは、血縁で結ばれた私的な共同体、つまり「家族」です。 ヘーゲルによれば、国家は男たちのつくりあげる共同体です。 男は家族のなかで育ちますが、成年になると公共的なものに眼を向け、そこにアイデンティファイする。 自由と共同性を実現した「人倫の国」こそが、ヘーゲルにとっての国家なのです。 では、家族のほうはどうか。 家族は、男女が結びつき、愛し合う場所です。 そして、愛の結晶である子どもを育てる場所です。 国家の側からすれば、家族の機能とは「子どもを立派な公民として育て上げる」ということにつきるでしょう。 しかし、家族の最大の存在意義とは何か。 ここでヘーゲルは、家族の最大の義務を明らかにしました。 それは、ずばり「埋葬の義務」です! どんな人間でも必ず死を迎えますが、これに抵抗することはできません。 死は、自己意識の外側から襲ってくる暴力と言えますが、これに精神的な意義を与えて、それを単なる「自己」の喪失や破壊ではないものに変えること。 これを行うことこそ、埋葬という行為なのです。 家族は死者を埋葬することによって、彼や彼女を祖先の霊のメンバーのなかに加入させます。 これは「自己」意識としての人間が自分の死を受け入れるためには、ぜひとも必要な行為なのです。 ヘーゲルは大著(長谷川宏訳、作品社)において、「死」の問題に正面から取り組んでいます。 死の恐怖を知ることによって、「自己」の意識がめばえる。 死を廃絶してしまうことはできない。 できるのは、ただ死に「意味」を与えることだけである。 だから、死者をとむらうという制度が発生するのは必然的なのです。 ヘーゲルは言います。 国家のために戦って死んだ男たちを埋葬するのは女たち、すなわち家族の役目である、と。 もし、埋葬されずに死骸が鳥や獣の餌食にされるならば、それは死者にとっても、遺された家族にとっても、耐えがたいことなのです。 家族の執り行なう埋葬が「死」に意義を与えてくれるのです。 このように、孟子と同じく、ヘーゲルも「埋葬の倫理」というものを力説したのでした。 最後に、の作品社版は、長谷川宏氏の翻訳が本当に素晴らしい! とともに、出版史上に残る名訳ではないでしょうか。 2010.

次の

完全解読『精神現象学』竹田・西 著

ヘーゲル 精神 現象 学

リンク 『ヘーゲル事典』、これがいちばん大事です。 弘文堂が出している本で、もともとはもっと大型の高価な事典だったのですが、2014年に縮刷版が発売されました。 値段が大幅に下がり、税抜きで3,500円。 圧倒的なコストパフォーマンスを誇ります。 加藤尚武を筆頭に何人ものヘーゲル研究者が集結し、ヘーゲル哲学のキーワードを解説していく。 ページ数は約600ページ。 「愛」からはじまり「我々にとって」で幕を閉じます。 ヘーゲルの場合は、要約的な入門書を読むよりも、この事典を使って色んな方向からゲリラ的に攻めるのが効果的だと僕は思っています。 最初から読んでもいいし、気になったキーワードだけ拾い読みしてもいい。 ヘーゲルのテクストを読む際にはつねに傍らに置いて、キーワードを調べるようにしてください。 ちびちび読み進めれば、半年~1年で相当理解が進みます。 僕の経験談ですが、 少しずつではなく、ある日突然ヘーゲルがわかるようになります。 入門書には金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』 リンク 入門書を通読するならこれがおすすめ。 金子武蔵の『ヘーゲルの精神現象学』です。 金子武蔵は伝説のヘーゲル研究者。 第二次世界大戦前に『精神現象学』の完訳を日本ではじめて成し遂げ、日本のへーゲル研究を超進化させました。 しかもこの訳は長年にわたり業界のスタンダードとなるほど質の高いものだった。 金子武蔵、ちくま学芸文庫、そしてタイトルは「ヘーゲルの精神現象学」。 これだけ聞くといかにも厳しくとっつきにくいイメージですが、 内容はきわめてわかりやすいです。 哲学会で行った 講演をベースにしているため、文章もやさしい。 そこらへんにある新書の入門書よりも、こちらのほうがずっとクリアで理解が容易です。 たとえば講談社現代新書から出ている竹田青嗣らの『超解読!はじめてのヘーゲル「精神現象学」』のような本。 ああいう本はパッと見ではわかりやすそうですが、実際に読んでみるとヘーゲルに対する理解はほとんど深まりません。 第一印象にだまされないようにしてください。 入門書は金子武蔵の『ヘーゲルの精神現象学』だけで十分です。 哲学史から攻めるならレーヴィットの『ヘーゲルからニーチェへ』 リンク いよいよ『精神現象学』を読んでいきます。 どのバージョンで読むべきか?今なら ちくま学芸文庫バージョンをオススメします。 『精神現象学』は西洋哲学を代表する古典の一つであるにもかかわらず、なぜか手ごろな文庫バージョンがなかったんですよね。 これは本当に謎です。 マルクス主義の影響でしょうか?戦後日本はマルクス主義が学会を支配していましたから、その影響でヘーゲルが軽んじられていたのかもしれません。 しかし2018年になって待望の文庫化がなされました。 このバージョン最大の長所は 見出しをふんだんに使っていること。 本文を小分けして、内容を要約する見出しで区切っているのです。 これが最高。 とても読みやすい。 長らく定番だった長谷川宏訳も読みやすいですよ。 ただ大型の本は読んでいて疲れますし(手首が痛くなる)、一般向けになされた訳のためアカデミックな用途には向かないという弱点がある。 文庫バージョンが存在する今わざわざ入手する必要はないと思います。

次の